第13話 朝食
それから約一時間。凛太郎は布団に入ったが何だか眠れず、そうこうしているうちに正樹も目を覚ましてきた。隣の布団で身じろぎをしたかと思えば、ムックリと正樹が上半身を起こす。しばし辺りを見回すと、横になっている凛太郎と目が合った。
「あぁ、おはよう」
「おはようございます」
正樹はよく眠れたようで、両腕を伸ばして大きく伸びをする。しかし反対に凛太郎は、あまり寝た気がしなかった。やはりあの夢のせいなのか。
「凛太郎くん、大丈夫かい?」
正樹はそれを見抜いたのか、顔を覗き込みながら聞く。しかし凛太郎は小さく笑いながら首を振って否定した。
「大丈夫ですよ。ちょっと怖い夢を見ただけです」
「そうかい。ならいいんだけど」
これ以上触れても仕方がないと判断したのか、正樹はそれ以上深く追及はしなかった。その代わり、話題を変える。
「もう皆さん起きてらっしゃるかな?」
「はい、多分」
正樹は寝巻から着替えると、鞄から着替え取り出した。チノパンに白の半そでシャツを着ると、顔を洗うために洗面所に向かう。
「先に行ってるよ」
まだ布団の中でグズグズしている凛太郎を見ながら、正樹は言った。タオルだけを持って、襖を開けて部屋を出て行く。それをぼんやりと見ながら、自分も起きなければとブランケットを乱暴に払った。
着替える、といってもズボンを履き替えるだけだが、ジーンズに足を通す。しばらくは寝ぼけた様にボーっとしてはいたが、段々と覚醒して顔を洗おうという気になってくる。気が変わらないうちにと、開け放してある襖の方に足を向けた。
そこで何となく、廊下の右側に視線をなげる。そこには昨日と同じ、閂の掛かった扉が構えている。凛太郎はそれに近づくと、その錠前を持ち上げた。
やはり、鍵は掛かっている。軽く引っ張ってみてもビクともしない。
「ばかばかしい」
たかが夢。自分の頭の中で作った勝手な想像だ。そう結論付けて、凛太郎は肩をすくめる。それからクルリと振り返ると、今度こそ洗面所に向かった。
洗面所の扉を開けると、ちょうど出ようとしている正樹と鉢合わせる。凛太郎の脇を通り抜けると、そのまま居間の方に歩いていく。もう誰かいたのだろう。おはようございますという挨拶が少し離れて聞こえてきた。
蛇口をひねると、チョロチョロと水が流れ落ちる。手の甲で温度を確かめると、少し温かった。すくうような手の形を作り、一定量水を貯めると思いっきり顔に浴びせかける。乱暴にゴシゴシと擦ると、タオルをとって顔を拭いた。
ようやく少しサッパリした心地になると、凛太郎も居間に向かう。テーブルには、春江と正樹が座って食事をしていた。
「あら、おはよう。よく眠れた?」
「……、うん」
うなされていたとは言えず、曖昧に答える。凛太郎は正樹の隣に座ると、公美子が朝食を持ってきてくれるのをぼんやりと待った。
今日の朝食は、いつもと同じ焼いた鮭と卵焼き。卵焼きは健三の意向で、甘くないものだった。それと白ご飯が、心なしかツヤツヤと茶碗の中に収まっている。
「……、いただきます」
眠そうな声でそう言うと、箸をとってはノロノロと口に運んだ。
「もうちょっとシャキッとしなさいよ、だらしない。正樹くん、おかわりいる?」
バシリ、と公美子が凛太郎の背を叩いた。次の瞬間には、正樹に対して満面の笑みを浮かべる。その変わりように、凛太郎は思わず公美子を睨んだ。
「いえ、もう結構ですから」
まだ茶碗に残っているのを示し、正樹は応える。
「お口に合うかしら?」
「それはもう。とても美味しいですよ」
「本当?」
小娘じみたそのリアクションに、公美子のはしゃぎようが伺える。
「何作っても誰もなんにも言わないもんだから、美味しいなんて言われると嬉しいわ」
若干の嫌味はスルーして、凛太郎は構わず卵焼きを口に入れる。大して噛みもせずに、そのまま飲み下した。
「じゃあ、今日の夜ご飯は張り切っちゃおうかしら。何か食べたいものある?」
「そうですね……」
突然言われたからか、正樹は少し考える素振りを見せる。小首を傾げ、腕を組むのも忘れない。
「では、公美子さんの得意料理なんてどうでしょう?」
特に思いつかなかったのか、そう提案する。満面の笑みで人差し指を立て、名案だという顔つきでそう言った。
「得意料理、ねぇ……」
公美子の得意料理といえば、鍋や煮込み料理といった、夏には適さないものばかり。もともと料理もそれほど得意ではなく、夏はもっぱらそうめんの日が続くような家だった。
「じゃ、じゃあ、夏野菜カレーにしてみようかな」
正樹のマネをして、公美子も人差し指を立てる。しかしその笑顔は若干引きつっていた。
凛太郎はふとテレビを見ると、ちょうどお天気お姉さんがフリップの前に立って気象図の説明をしていた。
「最近めっきり暑くなったわね」
「なんでも地球温暖化とかいうのが原因なんだろ? 年寄りにはよくわからんけどね」
春江が鮭を崩しながらそう応える。
「こうも暑くっちゃ、外に出るのも嫌になりますよね」
「夜には涼しくなるといいけどね」
「あら、お出かけのご用事でも?」
そう言うと、二人は不思議そうにお互いをしばし見つめる。
「公美子さん、今日って婦人会じゃなかったかい?」
「……、そうでしたっけ?」
公美子は急いでカレンダーを見ると、今日の日付に確かに婦人会と書いてあった。しかも公美子の字である。
「忘れてた!」
頭に手をやり、思わず大きな声で叫んでいた。それからオロオロとあたりを見回す。
「どうしよう! なんにも準備してない!」
「とりあえず落ち着きな」
それは年の功か、春江が呆れ気味に公美子を諌めた。
「何が必要なんだい?」
「えっと……」
宙に視線を漂わせながら、公美子は指折り数える。
「そんなにあるのかい」
「まだ先だと思って……」
「公美子さんにしちゃ珍しい」
公美子は元来、物事を後回しにはしない人間だ。優先順位がよくわかっている、とも言える。
「仕方ないから、商店街で買えるだけ買うしかないね」
今日の晩飯もそうめんだろうか。そんなことを考えながら、凛太郎は麦茶を口に含んだ。
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