第6話 石尾村
二人は蕎麦屋を出ると、バス停に向かった。時間としてはまだ十分ほどあるが、もうバスは扉が開いている。二人はそのバスに乗り込むと、後ろから二列目の二人席に座った。
他愛もない話をしていると、続々と人が乗り込んでくる。年配の夫婦や、若い女性のグループ、カップル。
「意外と人がいるものだね」
凛太郎が自身の村を、限界集落だの何もない村だと言うものだから、バスを利用する人の多さに驚いたような声を上げた。
「あぁ、これは石尾村に行く途中にある、温泉街のお客さんですよ」
ここからバスで四時間ほど揺られると温泉街がある。そこには世界遺産もあり、観光も充実しているのでよく人が訪れるのだという。
「うちの村とは大違いですよね」
そう言った凛太郎の口調は、どこか冷めていた。それは若者特有の無気力さからか、それとも冷静な観察の結果か。正樹は測りかねて、何も言わなかった。
既定の時間になると、プシューッと音がしてバスの扉が閉まる。
「発車します、ご注意ください」
女性の機会音声が、繰り返しながら言う。かと思えば、エンジン音を響かせながらバスはゆっくりと滑り出した。
市街地を走っているときは、まだ車内アナウンスに何かしらの広告が入っていた。しかし、窓の外に木々が多くなるにつれ、それはどんどん少なくなる。すっかり山の中を走るころには、バス停間の時間が三十分は下らないようになっていた。
以外にも道路は綺麗で整備されている。そのおかげか、それとも選んだ席が良かったのか。正樹はさほど気持ち悪くなることなくバスに揺られていた。
乗り物というのはとにかく眠くなるものである。新幹線で疲れ、また昼を食べた直後なら尚更であろう。二人は無意識のうちに、こっくりこっくりと舟をこいでいた。
あるバス停を通過すると、車内で次のバス停へのアナウンスがされる。その声で凛太郎はふと目を覚ました。
先ほどまでのそっけない案内とは違い、いくつかの紹介がなされている。それを最後まで待たずに、誰かがピンポーンと降車ボタンを押した。
それと同時に、大半の者が荷物をまとめるようなそぶりを見せた。中には、同じ体制でいることに疲れたのか、小さく伸びをする者もいる。凛太郎もそれにつられるように、大きな欠伸をかみ殺した。
それから二十分もすると、バスは狭い道を左折する。左側にはゴツゴツとした岩肌があって怖かったが、慣れたようにバスは曲がっていった。
すると、簡素に作られたバス停があった。少し広めの屋根は、長年の雨風で錆びついている。その下にはベンチがあり、その壁には村の観光地マップが張り付けられていた。
「お忘れ物にご注意ください」
アナウンスが言い終わると同時に、バスの扉が開いた。すると乗っていた人々が次々に降りていく。その人数の多さに、バス内には行列ができていた。
自分の村と、いったい何が違うのだろう。凛太郎はふとそんなことを考える。
凛太郎が物心つくころには、祖父は旅館を閉めていた。その頃にはもう村に活気はなく、凛太郎自身は村が温泉で有名だった自覚はない。しかし何だか悲しくなるのだ。
ここら辺一帯に活気がなくなるのであれば、仕方がないとも思える。しかし実際には石尾村は廃れ、その温泉街は成功している。それは石尾村自体に問題があると言うことを示していた。
「やっぱり、後継者問題なのかな?」
伝統を重んじるあまり、時代とともに取り残される。それはよくある光景だった。今の若い人間の言うことを真っ向から否定すれば、誰だって見切りをつける。
それに、若いうちは外の世界を見ていたいという好奇心がある。こんな狭い村でなんの面白みもない人生を送るより、都会に出て刺激的なことに出会いたい。それは凛太郎も同じであった。
今はまだ、両親とも元気だ。健三はまだ定年まで間があるし、公美子も祖母の介護ができるくらいには達者だ。
しかし後十五年もすれば、祖母はなくなり、両親のどちらか、もしくは両方とも元気という訳にはいかないだろう。
その時には、凛太郎は素直に村に戻る気でいた。だからそれまでは、自分の好きなように生きていたい。それは健三にも言ってある。しかしそれで納得しているわけではなかった。
健三は、結婚したら帰ってこいとい常に言っていた。その意図を尋ねれば、その時になったら言うとはぐらかされる。これは公美子に聞いてもわからなかった。
それは、高校を卒業して、大学に行くまでの休み期間の時だった。その時も凛太郎は村に帰っており、今後の生活の相談や進路について家族と話しあっていた。
祖母を早くに床に入り、公美子は台所で洗い物をしている。健三と凛太郎は、居間でテレビを楽しんでいた。相談と言っても、父親が提案するものを凛太郎が承諾するだけである。学生の身である凛太郎にはまだ拒否権は無いし、またしようとも思っていなかった。
「父さん」
「ん?」
最近老眼なのか、メガネをかけて夕刊を見ている。そこから目を上げず、健三は空返事をした。
「大学、行かせてくれてありがとう」
「何だ急に」
ようやく夕刊から目を離した健三は、訝しげに凛太郎を見る。すると凛太郎は恥ずかしくなったのか、少し俯いた。
「いやさ、今日、孝太郎にあったんだ」
孝太郎とは、数少ない村の子供である。凛太郎とは幼馴染で、兄弟のように育ったと言っても過言ではない。
「あぁ、豆腐屋のところの」
「あいつ、大学行きたいって言ったら親から反対されたんだって」
「そうか」
豆腐屋に学はいらないとの考えなのか、それとも単に費用が払えないからなのか。どちらにしても、孝太郎にはつらい状況だった。
「だから幸太郎、家出て、奨学金で大学行くんだって」
少し憐れむような口調で、凛太郎が言う。
「それに比べたらさ、俺なんか学費まで払ってもらっちゃって。そう考えたら、これは父さんと母さんに感謝しないとなって」
そう言うと、健三は夕刊で顔を隠してしまう。照れくさいのだろうと凛太郎は思い、黙ってテレビに集中した。
「お前、大学出たら戻ってくるのか?」
夕刊で顔を隠したまま、健三は尋ねる。
「うーん、二人の介護が必要になったらって考えてる」
凛太郎も、目を合わせずにそう答えた。
「就職はもう決めてあるのか?」
「まだ早いよ。それって三年になったら考えるものじゃないの?」
別に凛太郎は、何か志があって大学に行くわけではない。今の時代、大学くらいは出ていないと就職もできないという時代の流行に乗っただけだ。
「もし結婚する段になったら、帰ってこい。その時は役場の仕事紹介してやる」
「いっつもそれ言ってるけど、何でなの?」
結婚するということは、それだけで環境が大きく変わる。それなのにわざわざこんな不便な村にくることもないのではないか。そんな思いが凛太郎の頭に浮かぶ。
「その時になったら教える」
「いっつもそうやってはぐらかして」
「今のお前にはまだ早い」
そう言った健三の顔は、なぜか険しいものだった。そのせいでリラックスしていた凛太郎も、思わず緊張が走る。
「結婚するまでは何をしてもかまわん。好きなように生きろ。だがな、結婚前に子供なんて作るんじゃないぞ」
そう言うと、健三は自室に引き上げてしまった。
やはり、凛太郎に神事を早く継がせたいのだろうか。しかし、それにしても結婚結婚とやけに強調していた。そこがどうも引っ掛かる。
「あれ、お父さんは?」
台所から引き揚げてきたのか、公美子が居間を見渡して尋ねる。
「自分の部屋行っちゃった」
「あらそう」
公美子は先ほどまで健三が座っていたソファに座ると、テレビを眺める。そして時折小さく笑った。
「ねぇ、母さん」
「ん?」
視線はテレビに向けたまま、公美子が応えた。
「父さんと母さんって、東京の大学で知り合ったんだよね」
「そうよ」
健三も東京の大学を出ている。だから凛太郎にも東京の大学を進めるというのは理解できた。
「母さんはさ、この村に来たのってどのタイミング?」
「えっと、お父さんと結婚してからかな」
「そのまま東京で生活しようとか思わなかったの?」
「あぁ、お父さんと再会したの、同窓会でだから」
曰く、二十代後半で大学の同窓会が東京で行われたらしい。そこで健三と再会し、交際に至ったという。
「その時はねぇ、お父さんこの村に帰って来てたのよ。そこから一年くらい遠距離恋愛して、で、結婚してくださいって、お父さんが」
プロポーズの場面を思い出しているのか、口元がニヤニヤとしている。それを複雑な表情で凛太郎は見ていた。
「あ、あのさ、父さんが結婚したら帰って来いって、なんでかな?」
「さぁねぇ。私にも何にも言ってくれないからね」
「そう……」
テレビの画面からは、爆笑している声が聞こえてきた。
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