第5話 石尾祭り

 その日はよく晴れていて、富士山がはっきりと見えた。

 東京駅を出てから二時間ほどすると、京都駅に新幹線は到着した。二人は駅の構内で、少し早い昼食を取ることにする。


 駅ビルには、京料理を扱った店が多数存在した。すばやく食べられるものをという考えから、二人は比較的空いている蕎麦屋に目を付け、その最後尾に並ぶ。十五分後には、店員に案内されて席についていた。


 正樹は蕎麦を、凛太郎はうどんを注文する。その店は鯖寿司も出しているらしく、正樹はそれも注文した。 


「所で聞きそびれたんだけれど」

 店員が背を向けて去っていくと、正樹が口を開く。

「なんですか?」

「君の村の祭りって、具体的には何をするんだい?」

 

 もう調査に本腰を入れているわけではない。単なる世間話、くだらない雑談。まぁ少しくらい予備知識が入ればいいなくらいに思っていた。


「うーん、取りあえず練り歩いてる感じですかね」

 そう答えると、凛太郎は去年の祭りを思い出した。


 去年の夏。凛太郎は同じように新幹線に乗り、実家に帰っていた。しかしゆっくりしていたためにバスに乗り遅れ、家に着くころにはもう日も落ちかけていた。


「ただいまー」

 田舎は鍵など掛けない家も多いが、凛太郎の家も例に漏れない。玄関のガラス戸を音を立てて開けると、それに気付いたのか奥からパタパタと足音がした。


「おかえんなさい」

 夕飯の支度をしていたのか、エプロン姿でタオルを手に公美子が出迎える。凛太郎は靴を脱ぐと、二つ三つ話をして自分の部屋に荷物を置きに行った。


 祭りが催されたのは、その二日後だった。


 祭りは、毎年八月の二十五日に行われる。その日、健三は珍しく朝から忙しそうにしていた。

 行列の先導を司る健三は体を清める必要があり、そのために川で行水をしなければいけない。真夏日とはいえ、一時間近く水に浸かってるのは辛いものがあった。


 また水以外のものは朝から口にしてはいけない決まりになっていた。これはオクイ様が食物の神として祀られているのが由縁であると言われている。


 それが終われば、代々望月家が着てきた衣装に着替える。それは山伏の格好によく似ていた。しかし本職の人間が見ればすぐにわかるのだが、所々違った箇所がある。これは山伏の衣装を見よう見まねで作ったからであった。


 元々はちゃんとしていたのだろうが、いかんせん型紙がない。困った望月家は元の衣装を真似て作ったからだと言われていた。


 すべての用意が整うと、当主は部屋に籠る。詳しくは知らないが、凛太郎は黙祷でもしてるのだろうという見解だった。

 

 当主が出てくるのは、日も暮れかかったころ。時間で言えば、午後七時ちょっと前といったところか。

 望月の家族四人は、健三を先頭にオクイ様が祀られてある山に向かう。その山の名は、牙乞山がこつさんといった。

 その道中、同じように村人も牙乞山に向かって歩いていた。


「あら、望月の奥さん」

「寺島さん」

 祖母の手を引いていた公美子に、後ろから呼び止められる。振り返れば茶飲み友達の寺島がいた。


「あら、おばあちゃんは?」

「足腰弱ってきてるから、去年で最後」

「あら、そうなの」

 そんな話から始まって、他愛もないお喋りに興じる。その間祖母は、凛太郎に手を引かれていた。


 そうして歩いているうちに、前方には人だかりが見えた。ざっと見て、七十人は下らない。その三分の一が六十歳以上という高齢者だった。


 夕日が沈み、それに夜の帳が降りる頃。健三が手に持った金剛杖を二回鳴らした。するとザワザワと騒がしかったのが静まり返る。これが、行進の合図だった。


 健三を先頭に、村人は並ぶでもなくその後に続く。公美子は赤い提灯で道を照らしていく。凛太郎はそのまた後ろで、鳴子を鳴らしながらゆっくりとついて行った。その音に合わせ、後ろの方で村人たちが声を合わせて祭りの唄を詠う。


~人喰らう鬼 山で攫うは神隠し 死肉を漁りて笑いけり~


~人喰らう鬼 飢えで人里下りにけり 人を殺めて喰いにけり~


~山伏来たり 村の訴え聞きにけり 鬼を討たんと山中やまなかへ~


~案内坊主 角を抱えて帰りけり 子細をすべて語りけり~


~人喰らう鬼 山伏と対峙せり 相打ち互いの首が舞う~


~山伏曰く 鬼を慰め奉れ 村に幸い降りかからん~


 山の周りをまわるように、頂上へ向かう。それほど高度のある山ではない。その山の頂に、その祠はあった。


 まるでこの祭りのためだけに拓いたかのような道を、凛太郎たちは登っていく。中腹を行く頃、にはもう後ろの集団の息は切れて、唄も揃わなくなっていた。


「あ、うあっ」

 誰かが転びかけたのか、小さく悲鳴が上がった。声からして高齢の女性だろう。


 牙乞山は小さいながらも、かなりの距離を歩くことになる。体力がなければついていけない。そのせいか、ここ十年で行列に参加する人数は大分減った。


 ようやく頂上に出ると赤い鳥居があり、その先には開けた場所に出た。木で出来た小さな祠がぽつんと鎮座しており、それを覆い囲むように木々がそり立っていた。

 

 健三はその祠の前まで来ると、スッと立ち止まる。村人もできるだけ入るように左右に展開し、それでも入らない者は道中で立ち止まった。


「我らが石尾村の守り神であらせられるオクイ様」

 健三は背筋を伸ばすと、声高に言う。

「あなた様のありがたい恩恵により、我らは平穏に日々を過ごすことができるのです。どうぞ我らを見守ってくださいませ」


 そう言うと、柏手を打って健三は頭を下げる。それと同時に村人たちも首を垂れた。それを三度繰り返した。


 それが終われば、三々五々に村人たちは山を下りる。登って来た時とは打って変わって、笑い合ったり喋りながら足を動かす者が大半だった。


 高齢者の親族では、背負って山を下りる者もいる。凛太郎も、ここ数年は祖母を背負って下りていた。


「あとは大体、公民館とか集まって宴会ですね」

 話している間に運ばれたうどんを、一口分を箸で掴む。息を吹きかけて冷ますと、チュルチュルと啜った。


「山の周りを歩くのは、何か意味があるのかい?」

 そう言った正樹は鯖寿司を口に放り込むと、味の良さに思わず唸る。


「あんまり考えたこともありませんでしたね。そういう仕様だったとしか……」

 確かに、どんな意味があるのだろうか。自分の村であるのに、全く知らない。いや、知ろうともしなかったのかもしれない。


「俺も、ちょっと気になってきました」

「そうかい。じゃあ、なにか分かったら教えてあげようか」

 正樹は蕎麦をつゆに浸しながら言う。凛太郎は、お願いします、と返事をした。

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