第3話 角田正樹という男
凛太郎は、東京駅の八重洲口に立っていた。今日が帰省する日なのだろう。脇には青いキャリーケースが置いてある。
朝の通勤時間と被っているのか、スーツ姿のサラリーマンが改札を通っていった。それを何ともなしに凛太郎は眺める。
高梨からの電話の後、凛太郎はすぐに実家に電話をした。三回ほど呼び出し音が鳴った後に、電話に出たのは母親の公美子だった。
「はい、望月でございます」
「あ、母さん。俺、凛太郎だけど」
「あぁ、凛太郎。どうかしたの?」
つい数日前にも電話でやり取りをしたから、久しぶりであるとか、元気にしてたか、なんて挨拶は交わされない。
「うん、ちょっと。相談したいことがあるんだけど」
「うん、何かあった?」
「あのさぁ、ウチの大学の先輩で民俗学専攻の人がいて」
「民俗学?」
聞き慣れない言葉に、公美子は聞き返した。
「でね、その先輩が卒論で使いたいからウチの村取材に来たいんだって。それでさ、泊めてあげるなんてことできない?」
「あら、そうなの? いいじゃない」
予想に公美子はあっさりと承諾の意を示す。
「ちょっと待って、お父さんに確認してくるから」
そう言い残すと、パタパタとスリッパの音が遠ざかっていく。居間ではテレビが付いているのか、微かに笑い声が聞こえてきた。
数分後、再びゴソゴソと物音がする。返事はどうだったか聞こうと、凛太郎は口を開いた。
「あ、母さん」
「ちょっとねぇ……、ダメだって」
「……」
「私は別にいいと思うんだけどね。こんな何にもない村に人が来てくれるだけで嬉しいのに。頭ごなしに突っぱねるなんて」
凛太郎にしてみれば、予想の範囲内だった。しかし高梨の顔をつぶさないためにも、まだ食い下がってみる。
「大学ですごくお世話になった先輩なんだ。どうしても駄目?」
正確には高梨が、だが。まぁ親友の高梨の借りは自分の借りだと思えば、あながち嘘でもない気がした。
「そうなの?」
「卒論、大変らしいんだ。だから少しでも力になりたくて」
「……、もうちょっとお父さんに言ってみるわ」
「うん、お願い」
それからまたしばらく静かになる。すると今度は公美子の声が聞こえてきた。テレビよりはっきりとしているので、そこそこ大きな声で話しているのだろう。
「凛太郎」
鼻息荒く、公美子が電話口に出る。
「その人、連れてらっしゃい」
「いいの?」
「恩を仇で返させるのかって言ったら、承知してくれたわ」
「母さん、すごい」
「まぁ、渋々だけどね」
そう言う声はすこし誇らしそうだった。
それから高梨に連絡を取り、行ける旨を伝えるとさっそく先輩の連絡先を教えてもらう。
先輩の名前は、角田正樹といった。
それから何回かやり取りをして、当日に東京駅で待ち合わせることにする。八重洲中央口に、午前八時半。正樹は水色のシャツにチノパン、茶髪を後ろで一つに結んでいるという特徴を教えてくれた。
腕時計を見ると、針は約束の時間の五分前をさしている。もう少し待たなくては、なんて思いながら行きゆく人々を何ともなしに見ていた。
すると、キョロキョロと辺りを見回している男がいることに気付く。周りの人間より頭一つ分突き出ていて、よく目立っていた。その髪は日本人にしては比較的明るい茶色。そしてそれは、後ろで一つに束ねられていた。
もしやと思い、凛太郎は大きく手を振ってみせる。
「角田先輩!」
声に気付いたのか、その男は凛太郎の方を見た。手を振っていることに気付くと、一直線に向かってくる。
「君が、凛太郎君かな?」
目の前まで来ると、正樹は微笑みながらそう尋ねた。凛太郎は、はいと短く返事をする。それは驚きでとっさに声が出なかったせいだった。
類は友を呼ぶという。こういっては失礼だが、高梨の先輩ということで凛太郎は正樹にやんちゃなイメージを抱いていた。
しかし会ってみれば、大人の余裕すら感じられるほど落ち着いた雰囲気の青年である。高梨がこの人物にどのような経緯で借りを作ったのか、凛太郎は気になりはじめていた。
「今回は本当にありがとう」
「いえ、俺は何も」
手を振って、凛太郎は否定をする。実際、世話をするのは凛太郎の家族なのだ。凛太郎自身は本当に案内をするだけ。
「いやいや、君がいなければオクイ様の存在自体知らなかったわけだから。それだけでも僕には十分感謝する理由になる」
「なら、よかったです」
凛太郎が笑うと、正樹は右手を差し出した。どうやら握手を求められているらしい。
「よろしく、凛太郎君」
「はい、よろしくお願いします。角田先輩」
「正樹でいいよ」
フランクにそう言われれば、なんだかグッと親しくなったように感じる。
「はい、正樹先輩」
そう言うと、凛太郎は正樹の手を握り返した。
新幹線の時間が迫っているからと、二人はホームに向かう。
「でも、見つけてもらえてよかったよ。あんなに人がいたら、すれ違いになりそうでそうで怖かったんだ。そう思うと、よく見つけられたね」
「いえ、結構目立ってましたから」
「あぁ、この髪?」
正樹は後頭部を撫でつけながら言う。凛太郎は身長のことを言ったのだが、特に間違ってもいないので黙っていた。
「僕、アメリカ人のクォーターなんだ。顔は日本人だけど、髪だけこんなに明るくてね。高校のときなんか染めてるんじゃないかってよく疑われたよ」
当時を思い出したのか、苦笑しながら頬をかく。凛太郎は、そうなんですね、と応えた。
物静かなイメージとは裏腹に、正樹はよく喋る。それは早く打ち解けようという正樹の気遣いからであった。
今回のフィールドワークは、最低でも一週間は予定している。短くはない期間だ。それならば、仲良く過ごすに越したことはない。
「やっぱり、民俗学を選んだのは日本の文化とかに興味があったからですか?」
月並みな質問かとは思ったのだが、凛太郎は聞いてみる。それに少し眉を寄せながら、正樹は答えた。
「うーん。祖父母の家に遊びに行くためにアメリカに渡ることはあったけど、元々僕は日本で生まれ育ったからね。逆にアメリカの文化に驚かされることの方が多かったよ」
凛太郎からすれば、腕を組んで答える仕草は十分アメリカ人っぽい。しかしそれは両親の影響なのだろうと結論付けた。そんな凛太郎に気付いていないのか、正樹は言葉を続ける。
「僕が民俗学を選んだのはね、神になる方法を知りたいからさ」
冗談とも本気とも取れる笑顔で、正樹はそう言った。
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