第2話 鬼を祀る村

「はい、それまで。解答をやめてください」

 試験官がそう言うと、教室内にいくつかのため息が漏れた。それは望月凛太郎も例外ではなく、ようやく終わったという解放感に思わず伸びをする。


「はい、退出して結構です」

 それを合図に、銘々が椅子から立ち上がった。凛太郎も鞄を肩にかけ、椅子を戻してから扉へと向かう。


 ゾロゾロと出て行く人の最後尾に凛太郎も並ぶ。すると後ろから肩を叩かれた。振り返れば、同じ講義を取っている高梨が手を振っていた。

「よぉ」

「どう、できた?」

「全然。オレ、落ちたかも」

 手を目の前で振って、高梨が答える。それを苦笑いで凛太郎応えた。


「なに、もう帰んの?」

「ううん、学食行こうかなって」

「ウチの学食好きな、お前」

「安いから行ってるだけだよ」

 自炊をするのが面倒だというのも、理由の一つではある。


 和歌山の限界集落出身の凛太郎は、全寮生の高校の入学を機に上京した。それから東京の私立大学の経済学部に入学し、現在二年生である。その間、料理らしい料理は全くしたことがなかった。


「じゃあ、オレも飯食ってこうかな」

 高梨が言った。二人は並んで階段を降りていく。

「今日の日替わりは何かな」

「肉がいいわ、肉!」

 

 一階まで降りると、掲示板を素通りして学生食堂へ向かう。十二時過ぎだからか、そこそこの賑わいを見せていた。

 二人はショーケースの前で立ち止まると、中を覗き込む。器の中には料理の代わりにメニューが書かれた紙が入っている。


「どうするよ?」

「そうだな……」

 日替わり定食を見てみれば、カレイのあんかけと書かれている。凛太郎は、骨を取るのが面倒で魚は嫌いだった。


「な~んか、今日は良いもんねぇな」

 どんぶりは、辛いと評判の麻婆豆腐丼。ほかはうどんなどの麺類だけだった。

「俺、冷やし中華にしようかな」

「じゃ、オレも」

 

 凛太郎は自身の食券分のお金を高梨に渡すと、席の確保に向かう。人の波をかき分け、二人分の席を探した。しかし、大半がもう埋まってしまっている。キョロキョロと辺りを見回すと、窓側のテーブルが見えた。


 クーラーが効いているとはいえ、真夏の日差しを直接受ければ暑い。だから誰もそこにはいないのだろう。しかし、他に空いている席はないのだから仕方がない。向かい合う椅子の片方に高梨の荷物を置き、自分は水を取りに行った。


 ちょっと多めに、一人二つ分のコップを両手で慎重に持つ。お盆を使えばいいのだが、凛太郎は元来面倒臭がりな性格だった。


 しばし座って、受け取り口の方に目を見やる。五分もすれば、お盆に冷やし中華を二つ乗せた高梨が、探すように首を振っているのが見えた。

「おーい」

 手を振って、高梨に合図する。向うもすぐ気が付いたようで、目が合うと、あからさまに嫌そうな顔をした。


「ふざけんなよ。ぜってーここ暑いじゃん」

 予想通りのクレームに、凛太郎は肩をすくめる。

「仕方ないよ。他に席ないんだから。ほら、お水でも飲んで」

「……、ぬるっ」

 数分前までは確かに冷たかったのに、もう温度が上がってしまっている。日差しの強さを改めて実感した。


 凛太郎は自分の分の皿を引き寄せると、胸の前で手を合わせる。

「いただきます」

 小さく言うと、箸を取った。

「いっつも思うんだけどよぉ、凛太郎って育ちがいいよな」

「そうかな。まぁ、礼儀には厳い親だったけどね」

 そう言うと、麺を一口啜る。いい音を立てて、凛太郎の口の中へと消えていった。


「で、夏休みは実家帰んの?」

「うん、そうだね。祭りの手伝いとかしなきゃいけないから」

「え、お前ん家、神社とか?」

「う~ん、違うと思う」

 さらりと凛太郎は否定する。


「うちの村、オクイ様っていう鬼を祀ってるんだけどね、その祭りはうちの一族が仕切ってるんだ」


「へぇ~」

 高梨は袖で汗を拭いた。その顔はあまり興味がなさそうで、豪快な音を立てながら麺を啜る。


「元は人喰い鬼だったらしいんだけどね。今は狩りの神様として祀ってる」

 今度は高梨は、何も言わなかった。あまり聞いていないのかもしれない。


「でもいいよな、夏祭りって。何か風情があってよ」

 高梨は意味深に言う。しかしそれに気付いていないのか、凛太郎は首を横に振ってみせた。

「俺ね、高校生の時に初めて村以外の夏祭り出たの。そしてらすごいカルチャーショックで」

「は? 夏祭りなんてどこも似たようなもんじゃねぇの。あ、それともあれか。ネブタみたいなスケールのデカい祭り見ちゃうとショボく見えるってか?」


「ううん、逆。もうね、なんて華やかなんだって、感動したよ」

「なんだそれ」

「祭りって言ってもさ、ウチのところなんかただ唄を詠って山登ってくだけなんだよ。村人全員で、オクイ様の社に向かって。そんで村人の前で、望月家の当主が祝詞みたいなの読み上げるんだ」

「あんまり楽しそうじゃねぇな」


 同意するように凛太郎は深く頷く。

「もうさ、こっちの夏祭りはなんていうの、賑やかだよね。出店とかいっぱい出てるしさ、みんな楽しそうだし。こっちなんかお通夜だよ、お通夜」


「本当、憂鬱でしょうがないよ」

 凛太郎はため息を吐く。その間に高梨の皿はもう半分ほどなくなっていた。

「で、いつ帰んの?」

「来週の水曜日。まだ新幹線のチケット取ってないから、家帰ったら予約しなくちゃ」

「あ、そう」


 憎らしげに錦糸卵を口に入れる。

「あの祭りだけは本当に意味不明だよ」

「大変だわなぁ」

 ちっともそう思ってなさそうな顔で、高梨が相槌を打った。


 それから高梨から連絡があったのは、二日後のことであった。

 家でゴロゴロしていると、スマホの着信が鳴る。見てみれば、高梨と表示があった。凛太郎は通話ボタンを押す。


「もしもし」

「あ、凛太郎? ちょっと相談があんだけどさ」

「お金なら貸さないよ」

 冗談のつもりで凛太郎が言う。

「オレもそこまで困ってねぇよ」

 高梨も軽口で返してきた。


「この前学食でよ、凛太郎の家が鬼祀ってるって話したじゃん?」

「正確には村がね」

「そんなのどっちでもいいんだよ。でな、オレさぁ民俗学専攻してる先輩がいてよ。凛太郎の話したら興味持ったらしくて」

「へぇ」


 そんな学科、うちの大学にあったんだ。そう思ったが、話を腰を折るのも悪いので黙っていた。


「なんか、卒論の題材で鬼について調べてるんだと」

 卒論ということは、四年生なのだろう。凛太郎は高梨にそんな先輩がいたことに驚く。

「でさ、取材したいから帰省する時一緒に連れてってくんね?」

「え~」

 

 凛太郎は不安から、抗議の声を上げた。

 凛太郎の出身である石尾村は、観光施設も、宿泊施設も、本当に何もない村だ。頑固な年寄りも多い。よそ者にはあまりいい顔をしないだろう。


「頼むよ。オレ、その先輩に借りがあるんだからよぉ」

 珍しくしおらしい態度に、凛太郎はため息を吐く。

「俺の一存じゃ決められないからさ。取りあえず親に頼んではみるよ」

「マジで。助かるわ」


 それから二言三言話し、凛太郎は通話を切った。

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