終章 伝えることの出来た花言葉

 事件の真相を知って、1週間の時が経った。

 あの日、しっかりと叱られた音子を宥めるのに苦労したが、天辺ハイツを取り巻く環境の変化はそれ以外で特になかった。

 そして、司馬からの連絡で、笹原が逮捕されたことも知ったが、あの優しい人間であるのならその選択をするだろう。笹原の証言により、10年前の事件にも終止符が打たれた。

 メディアでは元刑事であった笹原に悪意をぶつける人間もいたようだが、来浪はその言葉に顔を歪ませるだけであった。

 来浪は自分の部屋――そこで、相変わらずマリアに紅茶を淹れている。今日は彼女が持って来てくれたクッキーをお茶菓子とし、午後のお茶会を2人でしていた。だが、そのクッキー、どことなく見覚えがあり、来浪はそれを手に取って、マリアを抗議の目で見ていた。

「魔女さん、これ」

「オレガノのクッキーよ。少し癖があるけれど、そこそこ上手く出来たはず。ああ、ちゃんと自然乾燥させたから、香りも良いと思うわ」

「そうじゃなくてですね。これ、笹原さんに食べさせたクッキーじゃないですか?」

「そうよ」

「そうって……他人の血で育てられた物を口に入れろと?」

「ああ、そんなこと。心配しなくても大丈夫よ、このオレガノはカラスが血をくれないから伸び伸びと育ってしまった不良だもの。そろそろ収穫しなくちゃならなかったから、真っ当なハーブになる前に退学さちゃったの」

 わざわざ学生に例える必要も、優良ハーブを不良と呼ばなくても良いのではないか。来浪はクッキーを1つ手に取り、口に運んだ。確かに、癖がある。オレガノを料理ではよく使うが、お菓子では使ったこともないために、少し新鮮な気分である。好き嫌いは分かれそうだが、来浪はこのクッキーが気に入った。

「気に入ってもらったようで何より」

「ええ……ねぇ魔女さん」

「何かしら?」

 来浪はどうしてもマリアに聞きたいことがあった。それは、10年前の事件ではなく、今回起きた誘拐事件のことだ。犯人が捕まったのである。

 来浪はこちらに関してはあまり興味を持っていなかった。何故なら、自分に害があるわけでも、周りの人間に害を成したわけでもなかったからだ。最初はこの事件を調べ、対策を立てていたが、結局、この事件が周囲に関与したことはなく、マリア風に言うのなら、つまらない。ものであったのは言うまでもない。

 しかし、聞いた話ではその犯人が捕まった時、信じられない出来事が起きたそうな。

「僕は漠然とした根拠で、賢くんに調べてもらうように頼みました。けれど、どうして雪平 林檎の家に行った賢くんが彼女に襲われ、しかも、気が狂ったように『魔女が、魔女が』と、叫んでいたようなんですが、何か知っています? 今でも錯乱状態みたいですよ」

「あら、どうして私が?」

「この街に魔女が2人いるんですか?」

 今回の誘拐事件の犯人――それは、小学校に服を無料提供していた雪平 林檎であった。彼女は児童たちとも距離が近く、どのような家庭環境かも知ることが出来た。そもそも、彼女が服を作り始めた理由なのだが、人形遊びが高じて、服を作っていたそうなのであるが、いつしか人形では耐えられなくなり、人間の着せ替え人形が欲しかったのだと供述しているらしい。

 そして、やけに正直に話すのも、どこに連れて行っても視界の隅に真っ黒な服を着た魔女が笑っている。と、全部話すから助けて。と、言っているらしい。

 そんなことが出来るのは目の前でティーカップを優雅に口に運んでいる女性に他ならない。

「うん? 見惚れている?」

「……出会った時から。です」

「そう」

「それで、何をしたんですか?」

「別に特別なことはしていないわ。私はただ、彼女の家の庭に立ったり、枕元でジッと顔を見つめたり、お風呂に入っている隙にテーブルに『私は魔女。全部知っている』と、書いただけよ」

 雪平 林檎の家でホラー映画さながらな怪奇現象を演出していたのか。と、来浪は呆れた。

「人間はね、理解出来ないものや正体不明に本当に弱いの。カラスだってそうでしょう? 今回の事件、わからなかったから調べた、それは正体不明に恐怖していた。何が起こるかわからない。だから、自分で調べて安心しようとした。違う?」

「その通り。ですが、それが雪平 林檎と何の関係が――」

 そこまで言って気が付く。笹原の家でマリアが言っていた。警察官ではない。けれど、魔女。と、いう言葉の意味である。

 マリアは警察官ではない。だからこそ、誰かを捕まえる権限もなければ、それを証明する機会も然う然うない。だが、誰かを追い込んで、追い詰めて、自分で選択させることは出来る。前に、捕まえられないけれど、捕まえられる瞬間を目撃できる。とはこういう意味なのだろう。

「……まぁ、ほどほどにしてくださいよ。普通に犯罪ですからね」

「誰も私を捕らえようとはしないし、社会からしたらただの一般人だもの。そもそも、未だに私を頼っている時点で警察も理解していると思うけれど?」

「マリアさんが魔女だと?」

「ええ、そう」

 来浪は需要と供給について考えたが、誰からも罰せられないのは不公平だと思い、マリアの頬をムニムニとこねるのである。

 張りのある頬で、もう少し触っていたいが、マリアがジトっとした目を向けてきたために手を離し、紅茶のおかわりを淹れるのであった。

 そして、ふと来浪はマリアに対してとんでもなく失礼なことを思ったことを思い出す。雪原 林檎を見た時、あれは白い魔女だと。来浪は冷蔵庫からカスタードのアップルパイを取り出すと、それを皿に盛り、マリアの傍に置く。

「あら、今日はいつも以上に気が利いているわね。何か後ろめたいことでもあったのかしら?」

「え? ええ、その……魔女さんに謝りたいと思いまして」

「何故?」

「雪平 林檎を白い魔女さんだと思ってしまって――」

 ふと、来浪は喉に小骨が刺さっているような、何か思い出さなければならないのでは。と、言葉を止めてしまった。

「ええ、それで?」

「え? ああ、えっと……あれ――ああ、そうです、その、ごめんなさい」

「言ったわね?」

「え?」

「約束。まさか、カラスという賢い鳥類を名乗っておいて忘れたわけじゃ――ああ、とり頭なんて言葉もあるわね」

 そこで来浪は思い出す。雪平 林檎がトゥインクルフェアリーに訪れた際、来浪は彼女のことを白い魔女だと言った。その時、マリアに無理矢理約束されたのだが、その条件が、謝る。と、いう行動であった。

「……わかりました。1日中、どこへだって付き合いますよ」

「ええ、期待していてちょうだい」

 来浪は言いようのない不安に、背筋が冷たくなった。

 そして、ふとテレビのニュース番組から流れてくる笹原への批判が聞こえた。来浪はリモコンを手に取り、テレビを消す。

「ねぇ魔女さん」

「ん~?」

「僕は、少しわからなくなってしまいました」

 笹原が行なったことは素晴らしいことだとは言えない。だが、彼が救った人数は多く、その行ないに感謝している者もいるかもしれない。しかし、この扱いはどうなのだろうか。罪を犯し、その報いを受けなければならないのは理解しているし、当然だとも思う。

「笹原さんは悪人ではありません」

「そうね、彼は今も10年前も正義の味方だったわ。でもねカラス、それを社会が許して良いものでもないの。それはわかるでしょう? 誰かを救ったとしてもその人の声は大きな声に掻き消える。社会が法を絶対だというのなら、それが大きな声」

「……魔女さんが社会を気にするんですね?」

「私は気にしないわよ。一般論だし、私はそんな人間の隙間に入り込んで貶めるのを最も得意としているもの。まぁ、何が言いたいかというと、貴方がそれを気にしても仕方がないわ。だってカラスの声、小さくて可愛いじゃない」

「ありがとうございます」

 きっと、マリアなりに慰めてくれているのだろう。彼女はいつもそうである、普段はあまり話を聞いてくれなかったり、欲しい言葉をくれなかったりするが、こう弱っている姿を見せると途端に優しくなる。来浪は感謝しながらマリアのカップに紅茶のおかわりを注いだ。そして、クッキーを口に運ぼうとするのだが、マリアがジッと見ている。

「魔女さん?」

「ねぇカラス、あの時、笹原のお爺さんにあげたクッキー、あれ、貴方が収穫したオレガノなのよ」

 マリアが夜中に出かけた日、彼女に頼まれ、ベランダからハーブを収穫したことがあったが、あれのことなのか。と、来浪は思い出した。自然乾燥させず、オーブンでやっていたことを少し咎めたが、あのハーブをクッキーに使っていたとのことである。

「ああ、あれだったんですね」

「ねぇカラス、オレガノの花言葉を知っていて?」

「いえ――」

 花に詳しくもなく、花言葉を一々覚えるような人間でもないために、来浪は素直に首を傾げた。富、財産、輝きなどの意味を持っている。と、マリアが言い、ただ今回はその意味ではない。と、間を開けた。

 そして、ティーカップを揺らしながらマリアが笑みを浮かべるのであった。


「貴方の苦痛を失くします」


「……」

「カラスらしい素敵なハーブを選んだわね」

 来浪は今の言葉が今までで一番魔女らしく思え、ここ最近では浮かべることもしなかった、どこか崩れた笑顔、昔祖父に向けていたような笑顔を浮かべるのである。

 魔女にはどうあっても敵わない。改めて来浪はそう思った。

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マジョとクロウ 筆々 @koropenn

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