第3話

 来浪の足は一軒の平屋に向けられていた。その家はあらかじめ司馬に場所を聞いており、ここまでの道のり、足は重かったが、毅然とした覚悟を持って歩んで来た。

 そうして辿り着いた笹原 幸喜の自宅――その縁側で真っ黒なフリルを着た魔女が手を振っていた。

「随分と遅かったわね。鳥類には羽があるはずなのだけれど、もがれてしまったのかしら?」

「……いいえ、少し目を奪われることがありまして――光物(たからもの)に弱いのはカラスの本能ですので」

 この事件の真相を繋ぐ糸、それを探していたのだとマリアに言うのだが、そもそも何故ここに彼女がいるのか。その理由についてつい考えてしまう。

「あら、ここに私がいるのにカラスは別の物に目を奪われてしまうのね、もう少し私を目に、心に刻んでおくべきだったかしら?」

「いいえ、その宝物は魔女さんに繋がるための糸でもあったので」

「私と繋がりたい?」

「今さら何を――」

 来浪は微笑むマリアに勝ち誇った笑みを返した。そして、来浪は家の奥から湯呑が乗ったお盆を持って歩んで来た笹原に目を向けた。

「相変わらず、お二人の会話は素晴らしいものですね」

「ありがとうございます」

 来浪は笹原をジッと見ていたのだが、ふとマリアの傍に置かれている大型のスーツケースを見た。あれは何なのか、一昨日彼女が出て行った時、あんな荷物はなかったはずだ。

「それで、2人ともこの老いぼれに一体なんの用ですか?」

 来浪は一度目を閉じた。そうであってほしくない。間違いであってほしい。推測でしかなく、警察のように証拠と呼べるものを集めたわけではない。机上の空論だと言われれば、否定も出来ない。だが、どれだけ否定を繰り返してもそれだけを肯定してしまえば全てが当てはまる。

 来浪は再度息を吸った。

「笹原さん、僕は貴方に対して誠実でいようと思いました。嘘も効かないだろうし、全部見透かされると思ったからです。だから、回り道をしないで聞きます――音子ちゃんはここにいますか?」

「……」

 笹原の視線が鋭くなったのを来浪は見逃さなかった。しかし、話を止めるわけにはいかない。彼に悪意がないのは理解している。そして、その理由も今までを考えれば納得も出来る。だが、それで悲しんでいる人間がいる。睦音に花音……例え守るためだとしても、悲しんでいる。しかも、それが大事な人間であるのなら、来浪はそれを正さなくてはならないと思っている。

「10年前、貴方は津田さんを保護しました。ですがその時、貴方は1つ間違いを犯したと思っています」

「間違い。とは?」

「沙羅さんのお兄さん――津田 恭平さんを殺しましたね?」

 捜査などという大層な根拠など一切ない。しかし、どれだけ考え、どれだけの起こりうる事象を想像しても、この結論が一番納得出来る。

 来浪は笹原に向けて話し出す。そもそも、何故音子が今回の誘拐事件の犯人に連れ去られていないとの考えに至ったのか。それは美虎と同じ考えで、状況が違うからである。今までの被害者のように音子は不幸でもなければ、現状を諦めてもいない。10年前と今回の誘拐事件、どう考えても身近にいた者の犯行で、生徒のことをよく知っており、発覚が遅れるようにいなくなっても気が付かれない子を選んでいたと推察出来る。そんな犯人が音子の状況を知らないはずがないだろう。音子はお喋りで担任にまでその話をしているのである。

 故に音子が今までの事件の関係者に誘拐されるのは違和感が残るのである。

 それを踏まえた上で、では何故津田 沙羅が誘拐されたのか。である。彼女には兄である恭平がおり、面倒を見ていることは誰の目から見ても明らかで、被害者たちの状況に合っていない。つまり、誘拐される条件を満たしていない。そんな沙羅が誘拐されたとして、考えられることは3つ――犯人の気が変わったか、嘘を吐いている人物がいるか、身内の犯行かである。

 犯人の気が変わった。現実的にありえそうなことではあるが、今回の場合、そのスタンスを変えるメリットはないように思える。現に1人っ子の子どもの誘拐に成功し、尚且つ今の今まで見つかることもなかった。わざわざ手法を変える必要もないだろう。次に誰かが嘘を吐いているだが、これは何かしらの前提条件がなければあり得ないだろう。脅されている、犯人が知り合い――挙げれば挙げるほど出てくる。次に身内に犯人がいる。これはそもそもの話、誘拐されているとは言えない。が、その脅威が大きすぎて何もすることが出来ず、言いなりになるしかない状況を誘拐されたというのかもしれない。

 気が変わった以外の2つは10年前の事件に適用されるだろう。結果的にその2つが結論として導き出されてしまったが……。

 沙羅が兄から虐待を受けていたかもしれない。そんな状況があったとしたら、彼女は兄には逆らえないだろう。もし、犯人に身内がいた場合、それは恭平以外にはありえない。故に10年前の事件の犯人は津田 恭平だと仮定する。

 そうなると最初に述べた疑問、何故沙羅は誘拐されたのか。に、戻る。

 津田 恭平が犯人だった場合、そこで事件が終わっていなければならない。しかし、彼は殺され、その後に沙羅が誘拐された。第三者が現れたとは考え難く、沙羅が誘拐された。と、いう事実があってはいけないのである。

 では、一体誰が誘拐されたとの事実を述べたのか――。

「それは、笹原さんですよね?」

「ええ、その通りです。ですが、それが何故、私がその恭平さんを殺したに繋がるのですか?」

「津田 沙羅さんの存在です。彼女は若い男性にトラウマを抱いています。そして何より、兄という存在に恐れを抱いているのは明白です。と、なると犯人である恭平を庇う理由なんてないはずです。けれど、彼女は10年前の事件を覚えていない。と、言うのです。それは何故か――他に庇いたい人間がいたからです」

「本当に覚えていないのではないですか?」

「男性全般ではなく、若い男性と条件付けて嫌っている彼女がですか? それにそれだけじゃありません。先ほど彼女と話をした時、津田さんは一度も忘れたなんて言っていないんですよ」

 先ほどの沙羅との会話。そこでの彼女の言動、反応である種の確信を抱いた。

「そして、津田さんが庇うとしたら誰を庇うのか。それを考えた時、僕には笹原さんしか思い付きませんでした。けれど、どうして誘拐したと言ったのか、それが曖昧です。ですので、ここからは根拠もなければ繋がる式もありません」

 誘拐された。これは必要ないものではないか? 恭平が犯人の場合、幼かった沙羅には何の落ち度もなく、誘拐の被害者という肩書ではないが、誘拐と言わずとも被害者であるのは当然だったのだ。しかし、笹原も、沙羅もそうしなかった。

 仮に沙羅が笹原を守るためにそう口裏を合わせたとする。しかし、それならば別の犯人をでっち上げれば良い。わざわざ犯人が生きているという必要はない。

 だからこそ、誘拐された。と、なる意味が理解出来なかった。だが、もし笹原が沙羅を――誘拐されるかもしれない子どもたちを、誘拐犯から守りたいがために保護していたとしたら。つまり、順番が恭平を殺して沙羅を保護した。ではなく、沙羅を保護した後、事情を聞いた笹原が恭平を殺した。そうであるのなら、最初に沙羅のボロボロな姿を見て勘違いをした笹原が警察に連絡をして、その後に殺したのではないか。

 そして、子どもたちを守るためであるというのなら、ここに音子がいる。音子を守るために保護したのではないか。

「と、僕は推理しました」

「……いやはや、すばらしいですね。ただ――」

 笹原が片手を上げた。いつもの視線を集める合図である。

「その問いに関して、私は知らない。としか答えられないのですよ。マリアさん、貴女の助手がああ言っていますが、貴女はどうですか?」

「ええ、そうね、あの子は色々と考え過ぎて複雑にしてしまうことがあるけれど、まさにそれね――何より、まだ非情になりきれない。優しいカラスなのよ」

 マリアが上品に、笹原が大人びた落ち着いた笑みを浮かべていた。笹原はともかくとして、マリアまで笑う必要はないだろう。と、むっと顔を来浪は浮かべた。

「捜査なんてしたことがないんだもの、持っている情報だけで組み立ててしまうのは仕方がないわ。カラス」

「……なんですか?」

「可愛く膨れないの。まぁ良いわ――津田 恭平が死んだ時刻はまさに黄昏時。カラス、私は言ったわよね? 逢魔が時に飲み込まれた。と」

 来浪は首を傾げる。

「逢魔が時には魔が宿る。黄昏時には誰も彼もが見えなくなる。人が鬼にも悪魔にも見えるし、なれる時間」

 すると、マリアが立ち上がり、スーツケースの外側のネットからクッキーの入った袋を取り出した。そして、そのクッキーを手に持つと――突然笹原の口の中に放り込んだのである。

「んぐ――な、なんですか?」

「貴方の血で育てたハーブで作ったクッキーよ、味わいなさい」

 何故そんなものを――と、考えたが、あの魔女のすることに一々驚いていたらきりがない。元々、無茶や無礼を着て生きているような人なのだ、来浪は諦めに近い感情で、マリアの顔をジッと見て、話しの続きを促す。

「今カラスが言った誘拐犯から守るために保護していた。それに関しての答えはイエスよ。あちこちに聞き回ってみたけれど、事件が起きてからの数日、日にちはバラバラだけれど、何人かの子どもを家に招待しているわね?」

「……ええ、深夜に家に帰らず街中をウロウロしていたので、事情を聞いて何人かを家に泊めました」

「でも、ある日を境にピタりとその活動をしなくなった。理由を聞いても良いかしら?」

「沙羅さんを家に保護したために、警察の出入りや捜査で忙しくなったからです」

「魔女さん?」

 マリアの口調はどこか笹原を試すようなものに感じた。しかし、マリアは相変わらずのすまし顔で、視線を一度来浪に向けてただけでそれ以上は答えず、スーツケースを漁り始めた。

「沙羅を保護した。ええ、きっとそうなのでしょうね、貴方はそれしか『覚えていない』それ以降は足を棒にして捜査をしていた。これで良いのよね?」

「え、ええ、マリアさん、何故そんなことを?」

「カラス、私たちは警察ではないわ。彼らのように権力を盾に情報を得ることも出来ないし、最新の科学捜査や何やらにも頼れない」

「それはわかっていますが……」

「でも、私は魔女なのよ。ねぇ、笹原のお爺さん、私を、目を見なさい、悪人に向けるような真摯の目を、誰も彼も救いたいと願っていた無垢な目を――」

 マリアがスーツケースから120センチ程ある大きさの人形を3体取り出した。そして、笹原を待っている間に彼女が用意したのか、スコップをこちらに手渡し、人形を傍に放り投げたのである。

 その人形はとても精密で、本物の人間に近づけてあるのか、視線を感じると錯覚する。

「カラス、穴を掘ってその子たちを埋めなさい」

「え? え――」

「良いから早くなさい!」

 マリアらしからぬ鋭い声。来浪は肩をピクりと跳ねさせ、彼女の言われた通りに穴を掘るのだが、横目で彼女を覗くと笹原をジッと見つめていた。

「黄昏時には魔が差す――誰も彼もが見えない曖昧な茜色。自分だって見失うことがある。でも、逆に言えば自分だって曖昧な、自分ですら見えないものにだってなれるの」

 マリアの言葉が理解出来ない。しかし、それよりも、笹原の様子がおかしい。

「あ……あ――」

「カラス、穴を掘ったらその人形を埋めなさい」

 視線を笹原から逸らすことなく、その2つの瞳で、彼を――普段全てを見透かしているかのような目を向けていた。

「私の目から逸らさないでいなさい。ええ、そう、貴方は正義の味方だもの、そうでなければいけない。今までの生き方、今まで生きた軌跡――それら全てが貴方を正義でなければならないと追い詰めた。だから、貴方はそれを『違えた』時、心を壊さないように防衛した」

「――――」

 歯を鳴らし、額から汗を流し始めた笹原が、ゆっくりとしかし、一切目をマリアの瞳から逸らすことなく近づき始めた。

 そして、穴を掘り終え、人形を持ち上げようとしたところで――。

「や、止めろ!」

 笹原が叫び、マリアに向かって手を伸ばした。

「魔女さん!」

 マリアの首に手を伸ばそうとした笹原だが、動きを止め、荒い呼吸を繰り返した。だが、次の瞬間、突然自分の首に手を伸ばし、その首を両手で絞め始めたのである。

 来浪は困惑し、マリアを見るのだが、薄い笑みを携えて笹原を見ているだけで何もしない。

「そう、そうやって津田 恭平を殺したのね」

「あっ、が――ア……」

 笹原が苦しげな声を上げ、その場に跪き、ついには地面に横たわった。一体、何が起きたというのか。マリアに言われ人形を埋めようとした。そこまでは理解出来る。意味はわからないが。しかし、その行動に反応したのは笹原であった。

 マリアの言葉がまるで呪文のように頭に残る。黄昏、逢魔が時、初めて笹原と会った時にも言っていた。曖昧故に何にでもなれる。どういうことなのだろうか。

「わからないって顔をしているわね」

 マリアの言葉にハッとなった来浪はもだえ苦しんでいる笹原に近寄り、肩を抱え起こし、彼の手を握る。しかし、凄い力で自分の首を絞めており、どれだけ力を加えても一切その腕を首から引き離すことが出来ない。

「魔女さん、これは」

「カラスの推理、そこそこには当たっているわよ。ただ、その男を優しい目で見過ぎよ。あの日、そのお爺さんは確かに魔に堕ちた」

「どういう――」

「わからない? あの日、彼は見つけてしまったのよ。玩具に彼女の友だちの亡骸をその手で埋めさせようとした悪鬼を」

「それって」

「ええ、津田 恭平。許せなかったでしょうね、自分が守るべき者をことごとく壊したばかりか、それ以上の傷を負わせようとした。ええ、正義の味方なんだもの、悪を懲らしめるのも一種の本質よ。ただ、本人はその瞬間、もう戻って来られないほどに堕ちたのだけれど」

「……僕にはそこがわかりません」

「そうね……きっと、貴方が言った推理でも合っていたかもしれない。けれど、笹原のお爺さんは『知らなかった』のよ」

「知らなかった? 自分がやったことでしょう?」

「だから言ったじゃない。彼はどこまでも善人よ。そんな善人が殺人を犯したの、普段はそういう悪人を捕まえていたのに、彼はそれをしてしまった。ショックだったでしょうね。ええ、それはもう、心が壊れるほどに――でも、人間の心なんて滅多なことでは壊れないわ。様々に対応し、順応する。その中の1つに忘れる。という手段があるわ。つまりね、10年前の事件、記憶を失ったのは津田 沙羅ではなく、そこにいる笹原 幸喜だったのよ」

 来浪は笹原を誠実だと思っていた。だからこそ、例え殺人を犯しても黙っていられる理由がどうしてもわからなかった。だが、そうではない。本当に忘れていたのだとマリアが言った。つまり、どれだけの言葉、真実があっても笹原には気が付かれもしなかったのだろう。

 では、今マリアがやったことは何だったのか。今の話を聞いて合点がいった。

 10年前の事件の再現――3体の人形を被害者の子どもに当てはめ、それを沙羅に埋めさせようと指示を出していた恭平。

 そうして、記憶を掘り起こしたのだろう。しかし――。

「だからって、どうして笹原さんが自分の首を絞めているんですか?」

「あら、それも説明したわよね? 魔女が拵えた血はその人間の恨みなどを顕著なものにするわ。お爺さんにもその話をしたもの、記憶が戻って認識し、理解したからこそ、その時の行動を自分に向けてしまっているのよ」

 来浪は目を見開いて自身の首を絞める笹原を憐れんだ。

 悪意を向けられた。確かにそうかもしれない。スピリチュアルな話ならば恨みを抱いている恭平が笹原の首を絞めている。などということになるのかもしれない。しかし、それではいけないのではないだろうか。彼は殺人を――罪を犯した。それは社会が許してはいけないことである。しかし、沙羅が言っていたように、守られた人間も存在する。ならば、悪意だけを向けられるのはあまりにも理不尽ではないか。

 来浪は抱き起した笹原の目を見つめ、小さく息を吐いた。そして、彼の手を引っ張っていた手の力を抜き、言葉を紡ぐ。

「笹原さん、僕の言葉に耳を傾けてください。僕は笹原さんの全てを知りません。貴方が苦しんだかも、そうでないかもわからない。貴方が自分の首を絞めるに至った経緯、そこに深い悲しみがあると思います。だけど、本当にそれだけですか? 僕は魔女さんの言っていることが話や言葉では理解出来ました。けれど、どうしても貴方の血にあるのが悪意だけとは思えないんです。そもそも、僕がここに来たのは笹原さんを責めるためじゃありません。ただ、音子ちゃんを迎えに来ただけです。守ってもらった。守られた人――それを貴方が忘れちゃいけないと思います」

「――あ……ああ」

「どうか、どうか――笹原さんが誰かに与えてきたものだけは否定しないでください」

 この笹原の状況の原理を理解出来てはいないが、今の笹原は自分で自分の首を絞める。今までの善意も、正義の心も全て否定しているように思えた。それだけはあってはいけない。罪の意識に苛まれ、善意を行動に移せなくなったとしても、今までを忘れては欲しくない。笹原が思い出せた光景は、恭平の首を絞めた光景だけではないはずである。そうであってほしい。来浪は笹原の背中を撫でながらそう願った。

「……ああ」

 すると、ゆっくりと笹原の首から手が離れていき、次第に荒かった呼吸も一定のリズムを刻み始めた。

「――ああ、そうか、私は」

「笹原さん……」

 疲れた笑みだが、笹原がそれを向けた。

「満祇さん、それにマリアさんも、面倒を掛けましたね」

「私は気にしていないわよ。一仕事終えて家に帰ったらカラスはいないし、ご飯もないし、睦音に話を聞いたら音子がいなくなったって言うじゃない。だから、クッキーを焼いて、人形をスーツケースに詰めてここに来ただけだもの、カラスがここに来ると思ってね。私、仕事明けはカラスの料理しか食べたくないの」

 動機も褒められたものではないが、音子がいないと聞いてからの行動があまりにも奇妙過ぎる。来浪は半目でマリアを睨む。そして、笹原に向き直る。

「いえ、僕も笹原さんに対しても恨みつらみはありません。ただ――」

「ええ、音子さんですよね。それについては満祇さんに謝罪が……貴方に音子さんの所在を聞かれた時、つい黙ってしまいました。ええ、彼女、少し落ち込んでいますので」

「落ち込んでいる?」

「叱らないであげてください。とても責任感の強い子で、宝物だと決めたら大事にする子です」

 すると、塀の向こうから泥塗れの音子が手に携帯電話を握りしめて歩いてきたのである。怪我があるようにも見えず、むしろ元気に思えた。このような状況でも、普段のやんわりとした空気を纏っている。

「わ、わ、クロちゃんにマリアちゃんだよぅ」

「……えっと、これは一体?」

 笹原に事情を聞いたところ、音子が昨晩、彼の自宅の傍で蹲っていたそうである。訳を聞いたところ、絶対に失くしちゃ駄目と念を押された携帯電話が、不注意でどこかに飛んで行ってしまった。だから、見つかるまでは帰れないと意気込んでいたそうなのである。だが、夜も遅く、車も持っていないために家に帰すことも出来なければ、連絡先も覚えていないとのことだったために誰にも連絡をすることが出来なかった。故に見つかってから自宅へ送ろうと思っていたところだったとのことである。

「クロちゃん、携帯見つかったよぅ」

 来浪は苦笑いを浮かべ、飛びついてきた音子を抱きとめた。

「なんというか、音子ちゃんは大物と言うか……自宅の連絡先、ちゃんと覚えておこうね」

「うん。だよぅ」

 そうして、来浪は音子の頭を撫でたり、頬をこねたりしていると、笹原が息を吐き、縁側に腰を掛けたのが見えた。

「……満祇さん、マリアさんが言ったように、貴方は私のことをよく見過ぎです」

「――? どういう?」

「私はあの日、彼をこの手に掛けた後、あろうことか沙羅さんを放って家に帰ってしまったのですよ」

「そうよね、どうしても時間が合わないもの。恭平が発見され、何故か沙羅は普通に登校していたわ。だけれど、そのすぐ後に貴方が沙羅を保護した」

「……お恥ずかしい話、私はあの日、自分でした罪に耐え切れなくなり、何もしなかったのですよ。ですが、翌日何もかも忘れた私がどこかで覚えていたのでしょう、沙羅さんを見つけ、つい保護してしまった。あの子も驚いたでしょう。先日あんなことをやったおじさんが平気な顔をして、彼女を守ろうとしたんですから」

 来浪は音子から離れ、今にも消えてしまいそうな笹原の手を握った。そして、先ほどの沙羅の言葉を伝えようと思ったのである。

「笹原さん、さっき、津田さんと話しました。その時、彼女が言っていましたよ。守られた。救われたんだ。って――だから、そんな顔、しないでください。貴方は罪を犯しました。けれど、ちゃんと救ってきたものもあるんですから」

「………………」

 そうすると、マリアがスーツケースに人形を仕舞い、帰る準備をしているのがわかった。

「さ、音子も見つかったことだし、帰りましょう。私、お腹が空いてもう駄目だわ」

「そうですね――音子ちゃん、ちゃんと睦音さんと花音さん――お母さんとお父さんに謝るんだよ」

「うん!」

 来浪はマリアからスーツケースを受け取り、音子の手を引き、笹原の家から去る。のだが、笹原が驚いたような口調で声を発した。

「あの、私は――」

 来浪はマリアに目をやった。

「私たちは警察ではないわ。この後の貴方の人生、選択に責任は持てないもの。それに、すでに目的は果たせたわ、ここにいる意味も、貴方を責めたてる必要もない。貴方、私が何なのか知っているでしょう?」

「魔女だよぅ!」

 来浪は、およそこの状況を理解もしていないで声を上げた音子を抱き上げる。そして、笹原に会釈をすると、すでに歩き出していたマリアの背中を追いかけるのである。

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