第五章 光物を探して
ショック療法とでもいうのだろうか? 今までは閉じていたはずの思考回路――最悪が起きて、初めて目覚めたかのように、どこか頭がすっきりしている。いや、冴えているというのだろうか。
普段では考えられないこと。考えてはいけないこと。その結論に至ってはいけないこと。今まで、最悪を考え、その最悪から対策を想定して――しかし、そのどれもが杞憂に終わり……否、対策を練っていたためにそこに辿り着くことはなかった。
だが、今回は違う。対策を立てたつもりである。携帯電話は肌身離さず持っておくように。知らない人について行かない。怖かったら何が何でも逃げる。そういう風にちゃんと声を掛けてきた。しかし、足りなかった。最悪な事態が起きてしまった。今までで感じたことのない喪失感と無力感――だからこそ、頭が良く回る。普段から対策を立ててきたからだろうか、次に行くまでが今までで一番早いように思える。
だからこそ、どれだけ『あり得ない』思考だろうとそのまま着き進める。
すでに失った。だからこそ、次の段階へ移行しなければならない。対策が上手くいかなかったのなら次の対策へ――今最も想定出来る最悪とは。次に打つべき対策とは。その道筋の過程は。
10年前の事件、今回の事件――そして、音子が攫われた事件。全てが繋がっているようでバラバラ。たまたま飛んできた糸くずを解して出来た一本の糸が、偶然に隣の糸と同じ色だっただけの共通点。
今までの情報を纏める。夢心地の中、唯一出来ること――思考の海に潜り、今までを統括する。足りないピースは何なのか、必要な材料はどこか、足りない思考は何か。
人を殺した時、初めて殺人鬼の心がわかるかのような錯覚。それを想像する。その人の目線に立って考えてみましょう。足りなかったのはこれである。あり得ない。あり得ない。と、言ってそこに至る最悪を思考から外していた。
何故、そこを考えなかったのか、必要ではなかったから当然である。魔女と呼ばれる女性にも言われていたではないか。否定から始めては結論に辿り着かない。と。思考の全て、そもそもが否定から始まっていたのだ。最悪を考えるのも『そうではないという結論から』の否定。対策も『これが起きるという日常』の否定。何もかもを否定してきたのである。
すでに起きてしまったことは存在する事象として。否定できない現実。故にここからの否定はただの現実逃避になってしまう。
だからこそ――満祇 来浪は肯定していく。最悪を肯定し、その肯定された想定から思考を繰り広げるしか対策を打てないのである。
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