第2話

「いやぁ~、私、ここらへんに店持って少し経つけれど、こんなところに喫茶店があるなんて知らなかったよ」

「僕もマリアさんに連れてきてもらうまでは知りませんでした」

「落ち着いた雰囲気で良いところだな」

 宍戸も蒔絵もこの喫茶店が気に入ったようである。そして、今さらなのだが来浪はこの店の名前を知らずにいた。どこかに名前が書かれているわけでもなく、マリアもこの店の名前を呼んでいなかったからだ。

 宍戸も蒔絵も、店の名前をメニュー表や店内から探そうと視線をあちこちに動かしていたが、諦めたのか2人の興味は何を食べるかに移っていた。

 2人がメニューを見ている間、来浪は店主に店名を聞くのだが、初老の男は小さく微笑み、この店の名前は、クラス・アイス。だと教えてくれた。どういう意味なのかは理解出来なかったが、店主が茶目っ気のある笑みで――成りきれず、余分なものを足したのがこの店の本質。と、語ってくれた。やはり、意味はわからなかった。

 宍戸も蒔絵も、頼みたい物が決まったようで、来浪は店主を呼んだ。

 来浪はコーヒーとデミソースカツレツのご飯セット、宍戸がピラフと煮込みハンバーグ、蒔絵がグラタンとパンのセット、そして食後にメロンを使ったショートケーキ――宍戸が奢ると言った途端、蒔絵が容赦なくこの店でも上位の値段のケーキを頼んだのである。

「初対面には普通、遠慮するもんじゃないか?」

「年上には遠慮しちゃ駄目って母さんから教わったから無理かなぁ。と、いうわけで、カラスくん、お姉さんに甘えても良いんだよ」

「遠慮しておきます。それと先生、別に僕は奢ってもらわなくても――」

「駄目、そっちのお嬢さんならともかく、来浪には今日ここまで連れてきてもらったし、この間も飯をご馳走になったからな。それとそろそろ威厳を回復させないとな」

 威厳が回復するかは別だが、来浪は宍戸をそこそこに尊敬しており、出会った頃からそのパラメータに大した変動はないのだが。と、来浪は口にはしないが、なんと無駄なことをしているのだろうと嘲る。

「あれ、今もしかしてパラメータ下がった?」

「動いてませんよ」

「そ、そうか」

 すると、蒔絵がジッと視線を向けており、来浪は、また変なことを言うのではないだろうか。と、身構えた。

「しっかし、まさか津田ちゃんに気に入られるとはねぇ」

「あれ、気に入られているんですか?」

「そりゃあねぇ――あ、そうだ、さっきモニカさんの話が出て思い出したんだけど、モニカさんって林檎ちゃんと知り合いなのかな?」

「さぁ? 僕もよくは知りません。マリアさんの行動はほとんどが突飛なものですから、図れないんですよね」

「……だよねぇ。モニカさん、縁を切った方が後々後悔しないで済むわよ。なんて言ってたんだけど、どうしようかなぁ」

「まぁ、マリアさんが言うことに間違いはほとんどありません――と、言いたいですが、さすがに人1人の生活がかかっていますからね」

「そうなんだよねぇ……ただ、林檎ちゃん、今日約束があったのに店に来なかったんだよねぇ」

「この間、マリアさんに相当怯えていましたからね」

 一体、雪平 林檎が何をしたというのか、マリアが帰ってきた際、それを聞くのも良いだろう。もっとも、話してはくれないだろうが。

 そうしていると、注文した料理を持って店長がやってきた。次々と並ぶ料理に宍戸も蒔絵も目を輝かせているのだが、この2人は料理に飢えているのだろうか。と、大袈裟すぎる反応に来浪は訝しむ。

「普段何食べているんですか?」

「俺はカップ麺」

「私はコンビニでお惣菜買ってビール飲んで寝る!」

 そんなものを毎日なのだろうか? いや、他人の食事事情に一々口を出すものでもなし、それにコンビニのお惣菜やカップ麺でも度の超えた量でなければ良いとも来浪は思っている。ただ、出来れば自炊した方が良いのではないか。と、機会があれば一緒に料理をしようと考えた。

「そういやぁよ、来浪、今日は隣人と大家さんと飯は食わねぇのか?」

「ええ、マリアさんはどこか行っちゃいましたし、さっき睦音さん――大家さんにはメールを入れておきました」

「ありゃ、毎日一緒に食ってんのかと思ってたよ」

「そこそこ多いですが……まぁ、魔女さんはほぼ毎日です。一緒に食べない今日は半年ぶりくらいですね」

 そういえば――昨日おにぎりをマリアに持たせたが、昼も夜もどこで何を食べているのだろうか。半年前、夕食に帰ってこなかった日があったが、帰ってきた時、彼女はお腹を空かせていた。何か食べてくれば良かったのに。との問いに、マリアは「カラスの作ったご飯が食べたいのよ」と、言っていた。来浪はマリアがいつ帰ってくるかを考えた。今日明日、と、言っていたことから今夜は声って来ないだろう。つまり、明日の昼頃に帰ってくるのではないか。と、いうことで、来浪は帰りにスーパーマーケットに寄り、マリアの好物を明日のために拵えようと決めた。

「ありゃ、カラスくんなんか嬉しそうだね」

「え? 別に嬉しくは……ただ、明日帰ってくるだろうマリアさんのご飯を何にするか考えていただけですよ」

「ほんっとう、モニカさんとカラスくんの関係は不思議だよねぇ」

「ただの隣人ですよ」

「あれをただの隣人で済ませるのはどうかと思うぞ。というか、俺が言うことでもないかもだが、あの隣人にやってるようにウチの学校のやつらにも接した方が良いぞ? 来浪、お前一部の女子生徒に、子どもとゴスロリとしか喋ってくれないと思われてんぞ」

「え? カラスくん、そんなに学校での態度悪いの?」

「悪くはない。ただ、周囲と馴染まないくせに周りから好かれてるから変な空気になってるってだけだ。この間、同学年の何人かがゴスロリだったんだが、お前気が付いてもいねぇだろ?」

「はい」

「はいじゃねぇよ……桐生も可哀そうになぁ、まさかあいつも着てくるとは思わなかったが」

 来浪は適当に相槌を打ち、並んでいる食事の残りに手を付けていく。普段、料理をするが、凝った物はなかなか作れず、来浪は時間があればこのような料理も勉強しようと考えた。

 そうしている内に、宍戸と蒔絵が社会人として――自営業と教員のメリットデメリット、ここが良い、そこが良い。等々を話しており、来浪はあまり興味がなかった。もちろん必要なことではあるが、それは来るべき日のために――では、暇である時間、何を考えるか。もちろん事件のことである。

 ある程度、情報は出た。しかし、どうしても自分を納得させられる思考が出来ないのである。怪しいと思う人物は頭の中に浮かべられる。ただ、だからどうした。なのである。そうであったとして、それが納得できるわけでもなし、知っているとして、何が出来るわけでもない。マリアが言ったように、犯人が死んでいる。その結論だけを持っているせいか、本当に考えられることがなくなってしまった。そもそも――そう思うことはある。それは、津田 沙羅のことである。彼女も善人で、嫌うべき人間ではない。隠し事をしているのは確かであり、それが何なのかまったく想像出来ないが、それでも、害のあることではないのがわかる。

 そして、もう1つ……これだけがどうしてもわからない。

 来浪は首を振った。やはり、ここまでにしておこう。これ以上は何のメリットもない。藪を突いて蛇を出す必要もない。

 そして、今推理したことは後日それとなく司馬に伝えればいいだろう。そうすればそれで終わりである。

 来浪は息を吐き、先週から頭を悩ませていた事件に一区切りついたことに安堵の息を漏らした。10年前の事件はもう、いいのである。今回の誘拐事件に関しては警察とマリアに任せることに決めた。

 そして、早めに夕食を終えた蒔絵が食後に持ってくるように頼んだメロンのショートケーキにフォークを入れたところで、来浪はふと携帯電話が鳴っていることに気が付く。

「あれ、睦音さん? なんだろう――」

 突然睦音から電話が掛かってきたことに疑問を覚える。今日は夕食を一緒に食べないと連絡してあるためにそういう用事ではないはずであり、思いつく限り、連絡を受けるようなこともしていない。睦音の思い付きかとも思ったが、彼女がそのような唐突な行動はしないはずである。では何か――。

 来浪は一抹の不安を覚え、電話に出た。

「……? 睦音さん?」

『――』

 電話越しの睦音の吐息――来浪は声をかけ続けた。そして、やっと口を開いた睦音が。

『音子が……音子が帰って来ないの――』

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