第二章 夕暮れの毒
「うんとこしょ、どっこいしょ――や~っとかぶはぬけました……おしまい」
小学1年生の子どもたちと一緒に、うんとこしょ、どっこいしょ。と、物を引っ張る動作をしていた来浪は、掻いていない汗を拭うように額を拭った。
そして、普段はマリアと音子にしか見せないような笑みを来浪は振り撒き、本を閉じるのであった。
「カブ、抜けたね」
来浪は子どもたちに全員に聞こえるようによく通る声で話しかけた。
すると、子どもたちが嬉しそうにカブを抜こうとする動作をしながら抜けたことを喜んでいた。
来浪は今、宍戸に連れられ、大学付属の小学校に訪れていた。昨日宍戸が話していた用というのが、小学校での読み聞かせだったのである。
来浪は子どもたちに誰がカブを抜いたのか。や、その答えを聞いた上でみんなは野菜を引き抜いたことがあるのかを聞いて回る。子どもたちのほとんどは大きなカブの登場人物を覚えており、楽しそうにそれを話してくれ、さらには野菜を抜いたことがあるか。の問いにはみながある。と答えたのである。では、どんな野菜を抜いたのかを聞くと全員がじゃがいもだと話してくれた。
ちなみに、この小学校に来る生徒のほとんどは県内の、そしてバスで行ける範囲にある家から来ている子ばかりであるために、通っていた幼稚園、保育園を把握するのは難しくない――故に来浪は宍戸に今朝今日のことを聞いた段階で読む本と質問をある程度決め、その上でこの辺りの幼稚園、保育園で野菜収穫をしていたかを調べたのである。
来浪は騒がしくなってきた子どもたちから視線を向けさせるために手を叩き、大きな声で注目を集める。そして、家で本を読んでいるかを尋ねてみた。
子どもたちは読んだ。と、大きな声で答えてくれ、来浪は笑みを返すと、ではなんて題名の本を読んだのか。先生に教えて。と、質問する。
一斉に放たれる声に来浪は小さく笑った後、人差し指を唇に沿え、一人一人の目をジッと見つめた。そうすると子どもたちは首を傾げ、その指を見るのである。
来浪は1人の子どもに近づくと何を読んだのかを聞く。男の子が「あおむし!」と、大声で答えてくれたのだが、来浪はわざとらしく、腕を組み、体を揺らしながら「それはどんな話だったかな?」と尋ねた。
すると男の子が「ご飯を食べる!」と答えてくれ、来浪は続けた。
「最初に食べたのは何だったかなぁ?」
男の子は元気よく林檎と教えてくれた。
来浪は満足そうに頷くと次の質問をしようとするのだが、男の子が首を傾げている。
「どうしたの?」来浪は尋ねる。
男の子がその本の中に知らない果物があった。と、質問をしてくれた。
その果物はすもも。桃ならば知っているが『す』とは何かわからず、本の絵を見てもピンとこなかったとのことである。
来浪は再度わざとらしく腕を組み、体を揺らし、男の子に「なんだったかなぁ」と、声を発した。そして、教室内を見渡し、誰か知っている人はいないかを尋ねるのである。
すると、女の子が手を上げ来浪はその子に視線を向けた。
「すっぱい桃だからすもも!」
来浪は上品に声を漏らして笑い、その女の子の頭を撫でてあげた。他の子が「ウソだ」と、声を上げる中、それは間違いでもないことを来浪は子どもたちに教えてあげた。
ちなみに。と、来浪は前置きをし、すももはプルーンであることも教えた。
「――っと、チャイム鳴っちゃったね」
すももについて子どもたちが衝撃を受けていたが、チャイムが鳴ったことで来浪は話を終わらせた。あとは先生に話を聞くように。と、悪戯っぽく言い、来浪は頭を下げて子どもたちにお別れを言うのであった。
来浪は宍戸と読み聞かせをしたクラスの担任とともに職員室へ向かうのだが、その担任が褒めてくれ、宍戸もどこか鼻が高そうに頷いていた。
「いやぁ、聞いてはいたが、お前さん大学でもそんな感じで愛嬌よくすりゃあ良いのになぁ」
「――? どうしてですか」
「あ、いや……うん、忘れろ」
来浪は宍戸に首を傾げて見せるが、これ以上追及しても返ってくる答えは曖昧なものだろうと察し、職員室へ入るのであった。
そうして担任がお茶を淹れてくれ、それに対して礼を言う。
のだが、来浪は職員室を見渡し、ふと教員の一部が忙しなく動き回っていることに気が付いた。
「あの」
来浪は担任に尋ねたのだが、どうにもばつが悪い。そこで、昨日の話を思い出した来浪は思い切って聞いてみることにしたのである。
「昨日の生徒のことですか?」
担任が一度驚いたような表情を浮かべ、頭を掻き、質問に答えてくれた。
「その通り。自宅に連絡をしても誰も出なくて、家にも行ってみたけれど誰もいないんだよ。父親も電話に出ないし、学校側はもう気が気じゃないみたいでね。警察に通報するかしないかで揉めてるところ」
担任が呆れたようにため息を吐いているところを見るに、騒いでいるのは数人だけであり、残りは事件性がないとみているのだろう。
しかし、やはりというべきか、騒いでいるのは年配の教師であり、聞いてみると10年前もこの学校にいた教師とのことである。
「いやさ、10年前の事件、僕も知っているんだけど、だからってその時の犯人が戻ってきたってまくしたてるのもねぇ」
宍戸より若い年代に見える担任が言う通り、10年前の犯人とは限らないだろう。そもそも、何故騒いでいる教師は同一犯だと思ったのだろうか。来浪は担任に礼を告げると騒いでいる、どこか表情を青くしている教師の1人に声を掛けようとする。しかし。
「お~い来浪、俺たちは警察でもなければ探偵でも担任でもねぇぞ」
「……音子ちゃんが心配なんですよ。あの子、両親が帰ってくるのも遅くて、日中で動ける大人は僕以外では魔女さんだけですから」
肩を掴んで来た宍戸を流し目で見た来浪は理由を告げた。
宍戸はどこか納得したように肩から手を離してくれ、一緒にその教師の下に向かうのである。
「すみません――って」
「ん? どうかした? 今ちょっと」
「あ、いえ、すみません。あの、もしかして4年3組の担任の塚田先生ですか?」
「え? ええ、でもどうして?」
「あの、僕はそこの大学に通っている満祇 来浪と言います。先生のことは音子ちゃん――石黒さんから聞いていて」
「ん? あ、もしかしてクロちゃん?」
塚田が喉を鳴らして笑い、クロちゃんだと言った。音子が学校で話していたのだろう。
そうして一息漏らし、椅子に座った塚田が大きくうな垂れた後、笑みを向けてくれ、次に宍戸に視線を向けて「こんにちは、宍戸くん」と、声をかけると、どのような用件か。と、話を聞いてくれるようである。。
塚田が疲れたような笑みを浮かべている。歳は40を超えた辺りだろうか、皺が顔に目立っている。しかし、疲れているように見えてもそれを限りなく小さく出来る辺り、長年教師をやっている人間の貫録なのだろうか。と、来浪は彼女をそう評した。
「いえ、ごめんなさい。その、昨日のことなんですが」
「……ああ、やっぱり耳に入ってる?」
「はい。僕自身、そういう事件が怖いというのもあるんですが、僕よりもその……」
「音子ちゃんのことだよね」
塚田自身、音子に対して思うところがあるのか、すぐに表情を真剣なものにし、話に耳を傾けてくれた。
「はい……音子ちゃんのご両親は大体17時過ぎた頃に帰ってきます。その間、彼女と接することの出来る大人はここの教師か、僕か隣人のマリアさんだけです」
塚田が頷いており、その際「少ないなぁ」と、呟いていた。
「一応、音子ちゃんは携帯電話も持っているので何かあれば電話してくれるように言ってはいるのですが、あの子、結構の割合で携帯を携帯していないんですよ。学校に置きっぱなしか、家に忘れるか、僕の家に忘れるかで……遊びに行くのも僕が送っていったり、マリアさんが一緒にバスで送っていったりなんですが……その、やっぱり心配で」
塚田がジッと顔を見つめてくるが、その後、フッと息を吐いた。そして、柔らかい笑かい笑みを浮かべ、何度も頷く。
「うん、音子ちゃんに聞いた通りに良いお兄さんだね。近所に住んでいるお兄さんって素性しか知らなかったから心配していたんだけれど、大丈夫そうだね」
来浪は苦笑いを浮かべた。確かに知らない人からしたら、自分とマリアは音子にとっては近所に住んでいる人間でしかないのである。教師は心配するだろう。
「それで、満祇くんは何を聞きたいのかな?」
「あ、はい――あの、教師として警察を呼ぶことも、早めに帰宅させるという行動も間違っていないと思うんですが、どうして10年前の事件と今回のことを関連付けたのかが気になって」
「あ~、なるほど。満祇くんはちょっと過剰に思える?」
「……そうですね。過剰と言われればそうだと頷きます。けれど、子どものことを考え、学校のことを考えるのなら、過剰くらいが丁度いいとも思えます。結果、何も起こらないに越したことはないですから」
「うん、ありがとう。私もそう思う……けれど、今満祇くんが言ったように私は10年前の事件と今回のことは一緒じゃないかって思っている。だから、過剰と言われても行動せずにはいられないんだよ――あんな事件、もう起きてほしくないからね」
塚田が奥歯を噛んでいるように見えた。何か後悔があるのだろう。きっと、未だに誘拐されているのだろう。来浪は顔を伏せた。
すると、宍戸が割って入ってくる。
「あ~、俺も気になってるんで、教えてもらって良いですか?」
「満祇くんって宍戸くんの生徒さん? あんまり変なことを教えちゃ駄目よ?」
「……先輩、教え子に変なこと教えないでください」
宍戸と塚田は先輩と後輩の関係らしいが、来浪は興味がなく適当に相槌を打つだけで留めておいた。
「それで私がどうしてそう思ったかだけれど……一緒なの、あの時と」
「一緒?」
「ええ、10年前の事件と状況が一緒なの」
状況が一緒――それはどの状況だろうか? 今ある情報で一緒に出来る状況といえば、生徒が登校したというものだろうか。だが、それだけでは弱いようにも思える。
「まず生徒が登校しているのにいなくなったという点。10年前は最後まで学校にいたけれど」
「……あの、それだけだと――」
「ええ、これだけだと弱いって言いたいんでしょう? 私もそう思う。でも、それだけじゃないの……まず、10年前なんだけれど、生徒はよく学校をサボってどこかに行っていた。さらに片親で親が家にも帰ってこないっていう家庭だった」
来浪は今回と生徒の状況が似ていることに一種の気持ち悪さを覚え、表情を歪めた。
「10年前、最初は生徒が集まってどこかに行っているのだと思い軽く見ていたの。夏休みが終わったばかりだったし。それに誘拐された『4人』は仲が良く、いつも遊んでいたから」
4人とも親の愛情を上手く受けきれず、さらには両親が全員片親で仕事をしていたために家にいなかったことが原因だとは思っていないが、それでもそういう家庭を軽く見ていたことを後悔しているのだと塚田が話した。
「4人?」
しかし、その話の中で気になったのは人数であった。来浪は3人だと聞いていた。しかし、4人だと塚田が言ったのである。
「最初は3人だったの、1人は救出されて初めて明るみになって……3人っていうのは亡くなった人数のことでもあるのよ」
来浪は素直に謝罪した。生き残りがいたという事実は初めて聞いたが、それにしても不躾であった。およそ、塚田は思い出していたのだろう。亡くなった生徒も、生き残った生徒のことも。
「あ、でも、もし10年前の犯人が戻ってきているのなら、その方は――」
「うん、私も心配しているんだよ。でも色々あって、児童養護施設に入ってからは音沙汰もなくてね」
ため息を吐く塚田に来浪はかける言葉が見つからなかった。
先ほどの話から、10年前の事件と塚田は近い場所にいたのだろう。担任であったり、授業を受け持っていたり――様々な要因があるが、この教師は生徒のことを大事に想っていることがわかった来浪は、彼女が音子の担任で良かったと安堵した。
「まぁ、私もちょっと気にし過ぎかなとも思うんだけどね。一応、笹原さんにも聞いてみようかな」
「――?」
来浪は首を傾げ、笹原という名前を復唱した。
「ああ、笹原さんっていうのは10年前の事件を担当していた刑事さんなの。生き残った沙羅ちゃんを保護したのも彼で……」
すると、塚田が口を閉ざした。沙羅という名前を出してしまったからだろうか? きっと生き残った生徒であることは間違いないのだろうが。
「……笹原さんって、とっても正義感の強い刑事さんだったの。けれど、あの事件の後警察を辞めちゃって。きっと、捕まえられなかったことを悔いているんだよね。それで、事件の前から奥さんとも別れてて、1人で生活しているのに、この学校の通学路を毎日歩いてくれてるの」
塚田曰く、その笹原という元刑事は事件の後、警察を辞め、本人は散歩だと言っているが、子どもたちの生活を守るために毎日パトロールをしているのだと話してくれた。そして、その笹原が犯人を捕まえたいと思っているかもしれず、今回のことを話しても良いのかと悩んでいるとのことであった。
「笹原さん、今では50超えた方だから、あまり無理してほしくなくてね。子どもたちからも散歩おじさんなんて慕われていて、私的には笹原さんに何かあってほしくないの」
なるほど。来浪は納得する。先ほど塚田が口を閉ざしたのはその笹原を想ってのことだったのか。しかし、そういう人はどこからかすでに情報を聞いている物ではないだろうか。と、来浪は推測する。
来浪は塚田に礼を言い、そろそろ大学に戻ることを告げた。時計を見ると小学校の授業が始まる時間が近く、これ以上は塚田にも他の教師にも迷惑がかかると思ったためである。
その厚意を察してくれたのか、塚田が頭を撫でてくれ「ありがとう」と、礼を発するのだった。
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