第6話

「というか、俺も食っていって良いのか?」

「ええ、構いませんよ」

 テーブルには今夜の夕食が並んでおり、来浪と宍戸以外の女性たちが各々席に着いていた。しかし、宍戸は来浪の視線を向けるばかりで、どこに座れば良いのかを決めあぐねているようであった。

 来浪はとりあえず、宍戸がマリアからの被害を受けないように。と、自身の向かいで、長方形のテーブルの奥になるため、最も遠くの席に座るように促した。ちなみに、来浪の両隣はマリアと音子である。

「それじゃあいただきましょう」

「ええ、そうですね」

 いただきます。と、声を合わせ、全員が食事に手を付ける。

 今日の夕食も上手く出来た。来浪はテーブルに並ぶ料理に一瞥を投げ、鼻を鳴らした。スープにはパプリカ、ピーマン、ズッキーニなどなど、旬の野菜を中心に作られたミネストローネ、量を調整できるようにバケットも用意、平皿にはレモンとバターで作ったソースがかけられたカレイのムニエル、適当な野菜を使ったサラダ、シラスと大葉、大根おろしなどを使ったスパゲティなどなどである。

 そうして夕食が始まる。のだが、来浪、マリア、それに音子と睦音、食事中はあまり口を開かない。宍戸が居心地の悪そうにスパゲティをフォークに巻いていた。

 ちなみになのだが、フォークを使っているのは来浪と宍戸だけであり、雰囲気ではフォークを使っていそうなマリアは器用にスパゲティを箸で掴み、口に運んでいた。マリア曰く、わざわざフォークで刺すより箸で掴んだ方が楽。とのことであり、ステーキなどナイフとフォークで食べるような物は来浪が食卓に運ぶ前、全て一口大に切っている。

 そして、ふと来浪は睦音に視線を向けた。

「ん~ぅん? クロくんどうかしたぁ? お腹空いたのぅ?」

「いえ、現在進行形で食事はとっていますよ」

 来浪は、保護者である睦音に今日起きた生徒失踪について連絡が来ていないかを聞こうと考えたが、わざわざ食事時に聞くこともないだろうと思いとどまる。

 しかし、その表情を汲んでなのか、バケットを租借し、アイスティーをストローで飲んだマリアが睦音に「睦音、貴女今日の事件について何か聞いていない?」と、尋ねたのである。

 来浪は半目でマリアを睨んでみたが、そんな視線もどこ吹く風、彼女と視線を合わせることはなかった。

「う~ん? あ、もしかして今日音子ちゃんが早く帰ってきたことについてかなぁ?」

「ええ、そうそれ――このままだとカラスが気になって眠れなくなり、明日私の朝食が出ないかもしれないわ」

「わぁ、それは一大事よぅ」

 一大事なのは、誰かがいなければ朝食も取れないほど堕落している事実ではないだろうか。来浪は喉から出かかった言葉を飲み込み、無言でスパゲティをフォークで巻く。

「う~ん、でもあたしのところにも何も連絡がないのよぅ。クロくんから連絡を貰った後、あたしもママ友にメッセージ送ったんだけれど、みんな知らないって言うのよぅ」

 マリアが小さく「そう……」と、答えたが、それよりも――来浪は首を傾げる。情報が保護者に一切いっていない……やはり、勘違いだったのだろうか? しかし、それならそれで、一報あっても良いような気もするが。と、来浪は思った。何故なら、10年前の事件であり、未だにそれを覚えている人間もいるかもしれず、間違いであるのなら間違いだと言ってしまう方が安心出来るからである。しかも、唯でさえ過剰にも見える初動の速さ――終着点を想定していないとは考えづらい。

「クロくんから聞いて、あたしも身構えちゃったのに」

「――? あれ、睦音さん、事件のこと」

「それはそうよぅ、だって音子ちゃんが産まれた年だもの、近所で起きたことだからあたしも気が気じゃなかったのよぅ」

 来浪は頭を抱えた。もっと配慮すべきであった、よく考えなくても10年前といえば音子が産まれた年であり、睦音たちがここに住んでいたことを思い出すべきであった。しかし、後の祭り……覚えていればもう少し言葉を選び、不安を煽るように睦音をこんなに早く帰宅させずに済んだかもしれないのである。

 そう、およそ睦音は10年前の事件を覚えていたのだろう。故に無理に無理を重ね、こんなに早く帰ってきてしまったのだ。と――来浪は睦音に早く帰ってきてもらい、音子に安心してほしかった。しかし、それは睦音たち夫婦に無理をしろ。と、言ったわけではなく、出来ることなら家族安心して揃っていてほしい。揃うまでの間、どれだけでも面倒を見る。程度のニュアンスであったが……来浪は顔を伏せた。

「あら睦音、真面目なカラスが自分を責めているわよ」

「わぁ、本当だぁ」

「わ、わ、クロちゃん食中毒ぅ?」

 食中毒になる様な食事を出していたら来浪は今度こそ立ち直れないだろう。

「う~んと……」

 睦音が困ったような表情を浮かべたのだが、何かを思いついたのか手を叩き、席を立った。そして、背後に回ってきたかと思うと頬を掴んできて、後ろから顔を覗き込んできたのである。

「元気元気――ね? あたし、無理して帰ってきたわけじゃないのよぅ? 音子ちゃんと、それにクロくんと陽女ちゃんとご飯を食べたかったのよぅ。1人知らない人がいるけれど」

 頬を捏ねられる――その頬は熟した林檎の如く赤い。頬を動かされる度、来浪はビクっと肩を跳ねさせ、体を縮めこませる。

「睦音、カラスはホワホワ柔らか系の女性に性的欲求を覚えるのだから、あまり体に触れては駄目よ」

 この時ほど、マリアが女性であることを恨んだことはない。彼女が宍戸のような男性であったのなら、その口に手を添えて塞ぐだろ。

 多少頭を落ち着かせた来浪は睦音に振り返る――。

「う~んぅ? あたし、まだプニプニじゃないよぅ? ほら――」

 Tシャツをめくり上げる動作を取った睦音に、来浪は噴き出しそうになるのを抑えた。そして、彼女の手を掴み、それを止めさせると席を立ち、ベランダで煙草を吸い始めるのである。

「来浪も大変なんだな……」

「まぁ、貴方よりは女性受けが良いでしょうね」

「……なぁお嬢さん、俺のこと嫌いなん?」

「いいえ」

 マリアの満面の笑顔である。

 来浪は煙草を短く何度も吸い、それで動揺を抑えようとするのだが、頬に触れた柔らかい手、一体どこから来るかわからない甘いような香り――来浪は頭を振る。そして、何かを代用に精神衛生を図ろうとし、マリアに視線を向けた。今までマリアと過ごした日々、思い出すだけで浮かぼうとする青筋を抑え、大きく深呼吸をする。

 そうして、思考が氾濫し、煙と共に外へ流れ出た後、来浪は大きく伸びをした。そしてふと、睦音が話していた言葉を思い出した。

「あれ、僕が夕食を作っている間、自己紹介とかして――」

「るわけないでしょう? 私はこの男が誰かも知らないわよ」

「え? 知られていないのにこんなに敵意ぶつけられてんのか?」

「知らないからぶつけられるものだってあるわよ」

 来浪は頭を抱えると席に戻り、宍戸をマリアと睦音に紹介する。だが、音子は彼のことを知っているようで、頻りに「センセ!」と、呼んでいた。

「音子ちゃんは知っているんだね」

「うん、だって何回か授業してくれたよぅ」

「ああうん……石黒 音子ちゃんだな、うん……よく知ってるよ」

 何かあったのだろうか? 宍戸が携帯電話を大事そうに抱えているのが見える。

「わぅ、センセ、あの節? は、どうもごめんなさいだよぅ」

「いや、うん……あれは俺が悪いからな、音子ちゃんが謝ることもないぞ」

「そうなのぅ?」

 何があったのかを来浪は音子に小声で尋ねると、宍戸のポケットから落ちてきた携帯電話が運悪く、彼女の移動と被ってしまい、粉々にしてしまった。とのことである。

 しかし、音子ほどの小柄な少女の体重で携帯電話が壊れるものか。と、来浪は思ったが、宍戸がそこに付け加えた。

 曰く、音子が蹴り上げた携帯電話が窓から外に飛び出し、丁度ゴミ収集に来ていた車が携帯電話を粉々にして去って行ったとのことである。

 音子に悪気もなく、ただただ不運だったそれを誰も責めることは出来ないだろう。

 宍戸の携帯電話に興味もなく、来浪は頭を切り替える。そして、宍戸に話を聞くと彼は小学校で道徳の授業を受け持つことがあるそうであり、その際に音子と知り合ったとのこと。

「というか、今話していたのってあれか? 今日、小学校が早く終わったことについてか?」

 そういえば。と、来浪は思い出す。この宍戸という男は学校関係者なのである。しかも、今聞いた話では小学校とも関係があり、もしかしたらことの顛末を知っているかもしれない。

「先生、今日のこと何か知っていますか?」

「あ~……いきなりだったからな、俺も詳しくは聞けてねぇ――ただ、小学校の教師の中には警察の手を借りるって言ってる人もいるらしいな」

「つまり、いなくなったんですか?」

「さぁな。俺が聞いた話じゃ、その2人の生徒は学校に登校していたそうだぜ。ただ、その生徒の片割れは前にも同じように登校し、いつの間にかいなくなっていったつうことは多々あったようで、その時は連絡があったようだが、結局2日ほど家に帰らなかったって聞いた」

 ならば、やはり事件性はないのだろう。

 さらに宍戸によく聞いてみたところ、そのサボり常習者である生徒の保護者、片親らしいのだが、あまり家に帰らない親らしく、近くに住む自身の両親に食事だけを作ってもらい、あとは放任しているらしい。

 その親の両親もまた、食事だけを作ってさっさと自分の生活に戻るため、あまり干渉をしないとのこと。

 もっとも、そういう育て方をする親がいることはよく理解している。その親の言い分も何となくだが理解しているつもりである……子どもの感情も。

 ただただ、人間らしい生活が出来ていれば子が育つ。それは間違っていない。食事があり、不自由のないほどの小遣い、それ以外は子がどこかしらで得る。親はそう思っている。

 そして、子はそれを理解している。不自由のない生活、帰れば冷めているが食事があり、何をしても干渉されない……同年代の子どもにとって羨ましがられる生活を送っているのだ、文句など出るはずが――否、言っていいはずがないのである。なんといっても、その子が生成する世界ではそれは『恵まれている』のだから。

 故にそれ以上、教育者見習いとしてその親子に言うべきことはない。それ以上の干渉は先生と生徒、保護者の関係を壊す物であり過剰、教育者は親でもなければ育成者でもない。物を教え、その教えで極々一般的な学校生活を育むための役割でしかない。

 つまり、少し突き放した言い方をするならば、学校を離れて起きた出来事に関しては干渉するべきではない。

 今回はことがことであるために、学校側としての対処を取ったが、それだけである。学校はここまでしました。しかし、これ以上の出来事が起きたとしてもそれは学校側の責任ではなく、警察や加害者、保護者の管轄です。我々は出来うる限りをしました。で、終わりである。

 しかも今回は学校内で起きたといえ、その生徒は普段から素行に問題があり、学校側が干渉できる範囲を超えていた。あとは家庭の問題――。

 普通はこうである。教育者は教育者でしかなく、本来ならば生徒の性格形成を積極的に担ってはいけない。その生徒が6割の責任を負っているのならば学校側は対処できる『はずがない』

 すでに他の面々も食事を終わらせており、来浪は食べ終えた食器を重ねると食器を洗うために台所に運んだ。しかし、睦音が食器を洗うと申し出てくれたためにその厚意を素直に受け取り、来浪は礼を言うとそのままベランダに出る。

 今日は煙草を吸い過ぎだな。と、明日は控えることを心に決め、来浪は煙草に火を点した。すると、マリアが隣にやってきて、腰に掛けられたケースから女持ちと刻み煙草を取り出し、葉を丸め、煙管に詰め込むと煙草の火種に火皿をくっ付けてきた。確か、巷ではシガレットキスなどと言われていたはずだが、そんなロマンチックでもドラマチックな関係でもないために、来浪はマリアとこれをするのなら、悪友の火種泥棒。と呼ぶことを決意した。

「珍しいですね」

「カラスの百面相を見ていたら口寂しくなったのよ」

「……?」

「頭の中がいっぱいだと溢れ出ないものかしら?」

「……ただ、教育者について考えていただけですよ」

「ああ、良いわね。私も魔女狩りのことを喜々として話す教育者になりたいわ」

「せめてその『魔女』になれるような教育をしてください」

「あらカラス、貴方は魔女が優れていたから迫害された説を推すのね。私は災厄を一身に受け、生贄文化よろしく説を推すわよ」

「反面教師ですか?」

「まさか――人間は他人の責任にして安寧を求める者よ。それで精神衛生が得られるのなら安いものじゃない。私が全て請け負うわよ」

「それを請け負ったのならその悪意をいつもみたいに物語にして、僕に聞かせてくださいね」

「ええ、もちろん」

 来浪は煙を吐き、ベランダから山頂特有の澄んだ夜空を見上げる。少し暑くなってきた日中だが、まだまだ夜は涼しい。一身に柔らかな風を受け、来浪は横目でマリアを覗く。

 見た目はやはり、美しい。そう思える。

「ん? 見惚れた?」

「ええ、魔女などの畏怖される存在というのはどうしてこう美しいんでしょうね?」

「人を惑わすためよ」

「僕はカラスですよ」

 マリアが微笑んだ。吐き出した紫煙が空へと延びていき、すぐに姿を消した。

 すると、宍戸が申し訳なさそうに窓を叩いているのが見えた。来浪は首を傾げ、窓を開けるのだが、わざわざこちらに知らせなくてもベランダに出て煙草を吸えば良いのに。と、煙草を取り出した宍戸に視線を向けた。

「なんつ~かこう、お前らは変わった関係なんだな」

「そうですか?」

「男同士でのシガレットキスはたまに見る――」

「悪友の火種泥棒です」

「……そうか。そんなら俺も」

 宍戸が向けてきた煙草に、来浪は動きを合わせて火種を与えた。そうして、宍戸が煙を吐き出すとマリアがジッと彼を見ていることに気が付く。

「本当、教師にしては生徒との距離が近いわね」

「まぁ、それが周囲の生徒に好かれている大部分ですから」

「いや、そこは教師として有能とか」

「どうなの?」

「僕はそれで慕っていますよ。ただ、ほとんどの生徒は心理つまらない。まぁ先生だし、適当に点数取っておけば単位くれるでしょう。程度の認識かと」

「……せめて俺のいないところでそれを言ってくれたら良かったな」

「贅沢ね。人間的には評価されているのだから我慢なさい」

 宍戸がうな垂れ、ベランダの手すりに顔を乗せ伏せはじめた。拗ねているようにも見える。

 来浪は宍戸が傷ついたことを自分のせいだと察することが出来たためにフォローを入れようとするのだが、上手く言葉が浮かばず、話題を変えようと何か今日起きた出来事で話せる内容はないかと思い出してみる。

「あ、そういえば――魔女さん、先生、キャトルミューティレーションされたそうですよ」

「え? それ引っ張り出すのか?」

「ああなるほど、貴方人間にしては変わった性格をしていると思ったけれど、流れている物が牛の物だったのね」

「――?」

 来浪は宍戸と顔を見合わせ、首を傾げた。マリアが一体何の話をしているのか理解できなかった。牛? 確かに未確認飛行物体と牛は予定調和とも言える自然界の結びつきがあるが。

「あ~……すまん、俺は教育心理しか勉強してこなかったからどういう意味か理解出来ないんだが」

「ん? キャトルミューティレーションでしょう? 牛が血を抜かれて変死したっていう」

「あれ? 宇宙人に攫われることじゃ?」

「アブダクション?」

 聞いたことがある言葉だと来浪は思案する。そういえば、誘拐についてはそっちだと何かで見た覚えがあり、間違えてしまったことに少し頬を赤める。

「そいうやぁ昔、テレビでそんなこと言ってたなぁ。でだ、どうしてそれが俺の流れてる……つまり、血が牛の物になるわけだ?」

「う~ん……カラスの勘違いだったわけね。でもそうね」

 来浪は赤くなった頬をマリアに突かれながら煙を吐くのだが、彼女が思案顔を浮かべ、ポケットから真っ赤な液体の入った栓のされた小さな試験管を取り出したのを黙って見ていた。

 来浪は嫌な予感を覚え、それが何かを聞くのだが、案の定血液だと答えが返ってきた。

「血はその人間が生きるために必要な物――つまり、生命の基盤の一つよ。そんな血液を全て抜かれた宍戸牛……可哀そうなことに宍戸牛の血液は人間の抜け殻に移されてしまったのよ」

「俺のことを高級和牛みたいに呼ぶの止めてくんねぇかなぁ」

「切り分けられたとして、C1程度の三流以下の安肉よ。良かったわね、高級和牛のようには呼んでいないわ」

 宍戸が泣きそうな顔で落ち込んでいるが、来浪はマリアの言葉に耳を傾けるのを止めない。そもそも、血を移されて人間が生き返るとは思えない。

「魔女さん、血を移されただけじゃそもそも生きていられないのでは?」

「私、宇宙人じゃないもの、技術がどうなっているかなんて知らないわ」

 なるほど。来浪は妙に納得した。SFを好んで見るわけではないが、確かに発達した文化や技術を持つなどと言われている宇宙人であるのなら血を全て抜き取ることも、その血を全て抜き取った人間に移すことで生き返らせる技術を持っているかもしれない。何せ、来浪は宇宙人がどういう文化を持っているのか知らないからである。

 来浪はジッと宍戸を見る。

「あん? 止めか?」

「売れ残りだったんですね」

「……来浪、きっと流れに身を任せて、およそその言葉のチョイスに悪気はないんだろうが、今それは心臓を穿つほどに効く」

 心臓を穿つほどの痛みを来浪は想像してみたが、該当する痛みを味わったことも想像出来るほど痛みの種類も知らないために、その思考はすぐにどこかに放り投げる。0を考えるほど暇ではないのである。

 来浪は宍戸のことを考えるのを止め、マリアが話していたことに脳をすべて使う。血を移したのは納得した。しかし、血を移したところで、宍戸牛から宍戸 昴になると言われたら納得出来ない。

 脳を移植した時、その移植された人間が前の持ち主の記憶を受け継ぐなどという話をテレビでやっていた。その話自体、来浪は経験と知識がないために与太話だと一蹴出来るが、血液よりは蚊ほどの信憑性があるように思える。

 そもそも血液は体の中で作り変えられるのである。例え宍戸牛の血液を宍戸 昴(抜け殻)に移したとして、宍戸牛の精神を持つ宍戸 昴は出来上がらないだろう。

 だが、マリアはそうだと言った。

 来浪は両手を上げた。降参である。マリアの言葉の意味を汲み取れなかった。

「魔女さん、魔女界隈で血はどんな意味があるんですか?」

「色々な意味があるわよ。まぁもっとも、それは魔女が、というよりは魔女に擦り付けられた災害……所謂、そうね、その他の悪魔とか?」

「いや、僕に聞かれても」

「例えば、大昔私の先祖がある村で不遜を働いたとするわ。でも、その年は何も起きなかった。けれど、幾年も経ち、私がその村で生活している時、村は凶作に悩まされるわ。その時に誰かが言うのよ、その娘の血は呪われている。大昔土地神様に不遜を働いた。と」

 マリアはそのまま話を続けるのだが、最後には、血が入れ替わってもそれを呪いだという人間もいたのよ。と。

「これは血族とか、血縁、今風に言うなら遺伝子かしら? それを血だと言うわ。確かにカラスが思っている通り、血を入れ替えてもその人物になるなんて呪いはないわ。けれど、それは着実に呪い……悪や正義、意地悪や優しさ、そんなものが溶け込んでいる物なのよ。それが誰かの罵詈雑言だとしても、それは血に刻まれていることなの。だから、牛が人間との距離感がわからなくて、誰にでも近しい距離で接してしまうこともあるかもしれないでしょう? 唯でさえ、牛は人間に体を差し出すことを宿命づけられた優しい生き物なんだから」

 優しいと言った時のマリアの目は慈愛のそれではなく、口角を上げた悪人面であった。およそ、優しいなんて思っていないのだろう。彼女はベジタリアンではなく、どちらかというと主食は紅茶とケーキ、そして肉である。

「そう、だからカラス、もし他人の血を浴びたり、体の中に注入されたら気を付けなさい。その人物に向かうはずだった悪意や善意、それら全てを恨んでいる有象無象が貴方を襲うかもしれないわよ」

「ええ、わかりま――僕が大学から帰ってきた時、魔女さん僕に何をしましたっけ?」

「私の全てをカラスに捧げたわ。ちゃんと処女だって言ったわよね?」

「その情報提示のタイミング、誤っていますよ。あと、捧げられたのは悪意全てですよね?」

 来浪は今日、血で育てられたというハーブを使ったハーブティーを忘れてはいなかった。そして、そもそも誰にでも血は流れているのだから、みなが平等に呪われてしまう。と、鼻を鳴らすのである。

「ああ、ちなみに――その呪いは血を意識した時にこそ、真価を発揮するのよ」

「……随分とご都合主義な」

「魔女だもの。人が思う不都合を顕現したような存在よ」

 マリアが不敵に笑うと、煙管を口に咥え、息を吐き、その後に火皿を下にして親指の付け根で煙管を叩き、灰を落とした。

 その動作が色っぽく見えるのも、きっと夜が見せた蜃気楼なのだろう。と、来浪は思うことにした。

 そして、そろそろ良い時間である。来浪はリビングに戻ると船を漕ぎ始めている音子を一撫でし、夕食の残りを皿に盛り、それを音子の父親に食べてもらうように睦音に手渡した後、2人を隣の家まで送る。

 戻って来た来浪は宍戸に礼を言い、彼も見送ろうとするのだが、学校に車を停めてあるから大丈夫だと言われ、来浪は頷いた。

 しかし、宍戸は部屋を出る間際――。

「ああ、そうだ。来浪、明日の午前中、時間あるか?」

「え? 講義はありますけれど、休み時間や昼休みなら」

「確か健康と体――三木原さんの授業だったか? それなら、それは別の時間にやってもらうように俺から言っておくよ。明日、ちょっと付き合ってくれ」

「ええ、はい。それで何の用――」

「そんじゃあな」

 そうして、宍戸は部屋から出て行ってしまったのである。来浪は一体何なのか。と、首を傾げるが、今出ない答えを考えても無駄だろうと首を振る。

 あとはマリアだけが部屋に残っているが、何故か部屋に戻る気配がない。

 来浪はお茶請けとしてストックしているクッキーを皿に盛り、紅茶を淹れ、マリアの目の前に出した。そして、彼女の向かいに座ると、特に何か会話をするわけもなく、ゆったりとただ時間だけが過ぎるのを感じた。

 すると、どのくらい時間が経ったのか覚えていないが、マリアが寝息を立てているのが聞こえ、来浪は小さくため息を吐くのであった。

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