第4話

「はぁ~……美味しかったよぅ」

 お腹をポンポンさすり、満足そうに音子がマリアと繋いでいる手を振った。

 小さな音子とそこそこ小柄なマリアを見て、どこか姉妹のようにも見える。と、来浪は2人の背中を眺めていた。

 うん、こうしていられるのが良い。来浪はこの状況が良いものだと考えた。

 今現在、子を持つ親の中にはやむを得ない事情で子を家に1人にする家庭が多くいる。当然ながらそれを良しと思っていない両親がほとんどであるが、やはり「仕方がない」と諦めてしまっている場合がほとんどである。

 それについては家庭の環境や金銭面、もしくはそんな教育を是とする。と、与太話を信じているという理由もあるのかもしれない。

 しかし、やはり子どもは親、もしくはしっかりと向き合う大人、大人未満と生活をするのが良いだろう。

 これは、友だちになれ。や、ずっと一緒に。ということではない。共に『生活』をするのが良いのである。

 いつか話していたのだが、子どもというのは大人との生活により生活概念を形成していく。もっともこれは乳幼児に当てはまる理論らしいのだが、それは『子ども』である内はいつまでもそれが付き纏う物だと来浪は考えている。

 他の言葉に置き換えるのなら、来浪はこれを『子どもの気づき』だと。

 生活の中で子どもたちは気づき、考えていく――のだが、これが同年代の子どもだと答えを得ることは難しい。しかし、大人と一緒にいるのならそれの答えを示すことができ、簡単ではないが、生活概念から科学的概念にシフトすることが出来るのである。

 と、長ったらしく理論とも言えない言葉を繋げているが、来浪は大人と子どもの関係で、学校教育で得られるだろうものも得られることが出来る。それを大人が率先しなければならないのだ。と、いうことである。

 故に今、音子とこうして会話し、彼女の世界の一端を担うことがとても良いものであると来浪は感じている。

「音子ちゃんは非行には走らなさそうだよね」

「――?」

 来浪の言葉に反応した音子が首を傾げていた。

「ひこう? 急所のことぅ?」

 これは音子の父親の趣味の影響だろう、そんな言葉は広辞苑には載っていない。ひこうと言って急所を思いつくのはモヒカンが倒される漫画でしかあり得ないのだから、彼女が読んだのではなく、誰かが好んで使っているのを真似しただけなのだろう。

 こういうように、その知識への指摘も出来ることからやはり子どもは大人と生活するのが良いだろう。来浪は音子に「せめて飛ぶことを連想してほしかった」と、前置きをし、非行の意味を教えた。

「そうね、音子が非行に走る姿は想像できないわね」

 そして、先ほどの子どもと大人の生活なのだが、もう1つ理由がある。

 今話していたような非行。これがやっかいなのである。

 何故なら、非行については関連性が見出されていない。良い子だったのに。こんなことするなんて思ってもいなかった。昨日話したけれど普通だった。のように、突発的なことが多い。もちろん理由はある。子どもがテストで悪い点を取ってしまい、家に帰りたくない。と、補導されることや誰かが万引きをした、それを格好良いとみんながはやし立てたために同じことをしてしまった。等々、本当に降って湧いたように行われるのである。まさに悪魔の囁き。

 どれだけ良い躾をしていても起こるものは起こってしまうパターンなどいくつもある。しかし、これをあらゆることに対応出来る生活環境ならどうだろうか。「怒られるからそうした」や「相談しても無駄」や「どうせ自分など」と最初から選択肢がない環境であるためにやっと見つけた糸口、それが非行に繋がる可能性もあるのではないか――何の根拠もないが、来浪はそうした環境を少しでも改善、もしくは子どもに理解させることで減るのではないか。と、考えているのである。

「非行って悪いことぅ?」

「そうそう」

「がお~っ」

 すると、音子が両手を狐の形にしながら飛びついてきた。そして、来浪の服をハムハム。と、唇で噛み、クリクリと大きい目で見上げた。

「こふぇふぁふぁふいふぉほぅ?」

 これは悪いことぅ? 来浪は首を横に振ると音子の頭を撫でてあげた。

「ありゃ? 悪いことしたのに撫でられたよぅ」

「それが悪いことじゃないからだよ。でもそうだなぁ、もし音子ちゃんが悪いことをしたら僕はきっと悲しくなる」

「クロちゃん泣いちゃう?」

「そうかも。もちろん、何で? って音子ちゃんを責めたいからじゃなくて、もっと頼れる大人になれてたらなぁっていう罪悪感からね」

 首を傾げている音子は理解していないようだが、何かを思いついたのか自分の手を叩いた。

「わかったよぅ、つまり寂しいんだね! 悪いことしようと思ったらクロちゃんとマリアちゃんを巻き込むよぅ」

 来浪は一切理解していない音子に苦笑いを浮かべたが、いつかわかってもらおう。と諦める。

「さ、目的地に着いたわよ」

 マリアの案内で辿り着いた、トゥインクルフェアリーと綴られた看板の店。店の外からはよく見えないのだが、男が1人で入るのは憚られるような店であることは察せられた。

 そもそも、来浪はあまり服に頓着がなく、だからと言ってジャージや上下が全く違う服を着るわけでもない、所謂キレイ系と呼ばれる、カジュアルワイシャツやジャケットなどの、別段組み合わせを考えなくとも適当に着られる服を好んでいる。

 つまり、この手……ヒラヒラしている服を扱っている店には近づいたこともなく、少し入るのを躊躇っていた。

 しかし、音子が首を傾げて手を引っ張るために、来浪は意を決し、店に入るのである。

 そして、店内を見渡すのだが……来浪は居心地の悪さを感じずにはいられなかった。ヒラヒラした服が所狭しと並んでおり、自分の言葉を使うのなら「魔女さんの皮膚がたくさん」であり、頭を痛めていた。

 目眩を起こしていると奥からマリアと同じような服装の人間が出てきたのである。そして、マリアに声をかけると服を指差しているのが来浪には見えた。

 来浪は音子を抱き上げ、そちらに歩んでいくのだが……。

「あ、魔女さん――」

「ひっ!」

 マリアに声をかけた店員――その女性が来浪を見て悲鳴を上げた。

 来浪は少し心に傷を負ったが、そもそもいきなり悲鳴を上げられる云われはない。と、その店員に視線を向けた。

 すると、奥からもう1人、女性が出てきて来浪に頭を下げる。

「ごめんなさい、この子、男性が苦手で」

 来浪は気にしていない旨を伝えるとマリアに音子を任せ、少し離れたところにある椅子に腰を下ろした。

 と、先ほど来浪に謝罪をした女性が申し訳なさそうな顔をし、手にカップを持って歩いてきた。

「ごめんなさいね、あの子――津田ちゃんにも悪気があったわけじゃないんよ」

「ええ大丈夫です、僕は気にしていないので」

 津田とはあの悲鳴を上げた女性のことだろう。来浪は女性から麦茶の入ったカップを受け取り、礼を言うと津田に視線を向けた。

「あの子ねぇ男の人が嫌だから、滅多に男が来ないこの店で働いてんのよ。でも、男が苦手って言っても君くらいの若い奴だけなんだけどね。うちのお父さん……おっさんは大丈夫なんだけれど」

「あ、すみません、聞きたそうに見えましたか?」

「うん、とっても。まぁ一応、被害者? だしね、説明することに関しては許可貰ってるから、これで嫌じゃなかったらまた来てよ、似合いそうだし」

 悲鳴を上げられたことよりも、似合いそうという目で見ていたこの女性こそ嫌うべきではないだろうか。来浪は女性を軽く睨み、麦茶を口に運んだ。

 しかし、やはり居心地が悪い。来浪は視線をどこに向けるかで困っているのだが、ふとマリアの姿が見え、ここにいる誰よりも安心できるためにそこに視線を向けながら、一緒にいる音子の様子を窺う。すると、津田が音子に服を見せながら話しかけており、申し訳ないと思いながらも耳を傾ける。

「うん、とっても似合う」

「そうかなぁ?」

「ええ……」

 津田が音子を見つめて動きを止めた。

 特に何かするわけでもないが、突然止まった津田を来浪は不思議に思い、少し警戒色を強くするのである。

「んぅ~? なぁに?」

「ねぇ……あのお兄ちゃん、優しい? お父さん、じゃないよね?」

「クロちゃん? うん、優しいよぅ。ご飯も美味しいし、お勉強見てくれるし、頭撫でてくれるし、寝てたらお腹ポンポンしてくれるし」

「……本当に? 善意かなんてわからないし、お兄さんなんていなく、ても――」

「んぅ~ん?」

 音子が困惑でもなく、ただ言った意味を理解していないのか無表情に近い顔で「どういうことぅ?」と、聞き返したが、来浪は津田の話に違和感とさらには何故初対面の人間にそこまで言われなくてはいけないのか。と、多少の怒りをひっさげ立ち上がる。

「だ、だって、男の人なんて――」

 瞳に涙を浮かばせ、涙声で津田が言ったのだが、突然マリアが音子に手を伸ばし、その頬を触った後に首を振った。

「それは貴女の世界での常識よ。私の世界の常識では、カラスは音子と私のためなら警察官だって追い払ってくれるわ」

 マリアには罪を償ってほしい。と、先に音子を庇ってくれたマリアに拍子抜けし、来浪は顔を引き攣らせた。

 とはいえ、マリアの言動に驚いただけで津田に対しての不信感が払拭されたわけではない。どういうつもりかはわからないが、あの津田という女性は音子を巻き込み、喧嘩を吹っかけてきたのである。大抵のことはやり過ごすが、ここまでわけのわからない悪意を向けられて大人しくしていられるほど心も成熟していない。

 しかし、そんな来浪の表情を見たからか、マリアが隣に来て腰を下ろした。

「カラス、あの子にもあの子の事情があるの、あんまり睨むんじゃないの」

「……すみません。けれど――」

「ええ、わかっているわ、他人の事情が貴方の勝手になることはない。でしょう? でもね、私はカラスが誰かに悪意を振り撒くのは見たくないの。彼女の都合は考えなくても良いわ、私の勝手だけを考えなさい」

 マリアの落ち着いた笑みに、来浪は「それはズルい」と、呟いた。唯でさえ狭い友好関係で、その中枢にいるといっても過言ではないマリアのお願いである。来浪はそれを無碍にすることなど出来ない。

 来浪は一度深呼吸をし、マリアに柔らかい笑みを向ける。すると、それに頷いた彼女が手を握ってくれたのであるが、来浪は恥ずかしさを隠しきれず、ぶっきら棒にそっぽを向き、手に持ったカップの麦茶を呷るのである。

「あっりゃぁ? というかさっきから思ってたんだけど、モニカさんって旦那さん――お子さんまでいたんだねぇ」

 来浪に麦茶を渡した女性が何をどう勘違いしたのか、来浪とマリアを夫婦、音子を娘だと言う。来浪は顔を引き攣らせたが、マリアが笑っており、この程度で彼女が笑顔になれるのなら多少の不快感も我慢できるだろう。と、思った。しかし、いつまでもそう思われるのも癪であるため、少しだけ辱めた反撃を。

「真っ黒な服を着て、他人の家には勝手に入って、家事は一切やらず、自分の部屋ではよくわからない本に囲まれてよくわからないことをして、変なハーブでお茶を作って――ええ、ええ、とっても良い妻になれますね」

「ありがとうカラス」

「ああうん、夫婦でも恋人同士ってわけでもないのね。うん、ごめんなさいね」

 直球の嫌味をぶつけたつもりなのだが一切効いていないことに来浪は頬を膨らませた。それもそのはずである、来浪はマリアの手を握ったまま――これではなにを言っても聞き入れてもらえないだろう。

 そうして、マリア、そして店員――話を聞いたらこのトゥインクルフェアリーの店長・蒔絵という名前の女性との3人で、雑談を始める。

 極々普通の会話……なのだが、そこは2対1、女と男の壁――やれ衣装の話、やれ下着の話、やれ恋愛の話。社交性をある程度持っているはずだが、深く他人と会話をすることが多くないため、この手の話には疎く、来浪はただ愛想笑いで相槌を打つ機械と化していた。

 そんな来浪の態度に気が付いたからか、マリアも蒔絵も、男性では入りにくい話をし始め、近くにいるのに遠くにいるかのような疎外感を覚えた来浪は、ここで相槌を打つよりも。と、思考の海。所謂、瞑想する。

 考えることは何でもない。ただ思いついたことについて思考を這わせていくだけ。先ほど、音子は煮込みハンバーグを食べたが、晩ご飯は肉が少ない方が良いか。マリアはケーキだけだったが、晩ご飯はそれなりの量を出しても大丈夫か。睦音は早めに帰ってくると言ったが、父親はきっと今日も遅いだろう、聞いた話では立場もそこそこ高く、周囲の人間から頼りにされているが故に早く帰ってこられないとのこと。音子はそれが自慢だ。と、話していたこと。今日、無断で教育心理を休んでしまったが、怒っているだろうか、明日謝罪に行った方が良いか。

 来浪は様々な思考を文字にし、あらゆることを想定し、幾つも『起きうるマイナスの事態を=(イコール)』で繋いだ。

 肉料理を晩ご飯に出し、音子が嫌がる想定。晩ご飯を多く作り、普段は残さないマリアが苦しそうに箸を置く。という想定。頼りにされているからと言ってこういう事態の時、早めに帰ってこないのは何故か。と、両親が喧嘩をする。という想定。そのせいで音子の自慢。が歪んでしまう。という想定。講師から嫌われてしまい、謝罪すら受け取ってもらえない想定――様々を考え、首を振る。

 最悪を想定したのなら、その対処の方法を思案する。杞憂だと言われればそれまでだが、杞憂であるに越したことはないのである。

 がっつりとした肉料理ではなく、スープなどにそれとなく使用する。日持ちする物を作り、今日は大皿ではなく小鉢でのおかずを用意する。睦音とは晩ご飯を一緒にすることを約束しており、出来るだけ睦音の話を聞き、食事中のフォローを忘れない。例えそれを反故されたとしても両親が揃うのを待ち、一緒に夕食を取り間に入る。謝っても聞き入られないのなら聞き入れてもらえるまで謝るだけである。それだけの行為だが、やるとなると難しい。しかし、円滑な関係を続けるためならばその苦労も厭わない。という気概で行けば『あの』教師は大丈夫だろう。

 思考の海に潜っていた来浪だが、ふと一度表情を歪ませた。そして、マリアと蒔絵に一言断り、店の外に出ると近くの店の入り口傍に置かれている灰皿まで足を進めた。

 煙草に火を点け、大きく煙を吸うと先ほどまで考えていたそれらを一度払拭し、頭の中を真っ白にした。

 誘拐事件――なんと嫌な響きであろう。今回は子どもであるが、大人やまだ大人になりきっていない高校生や大学生、人を攫い、閉じ込めるという行為は誰しもの心に傷を負わせる。

 これがもし、マリアと音子を含めた身近な人間、もしくは自分に起きてしまったのならどれだけ悲しいだろう。自分ではない誰かがいなくなった時、それはどれだけの傷を残すのだろう……来浪は首を振った。

 事件に巻き込まれた人間が大切であるほど、それはその者の心も連れ去られているのではないか。

 来浪は小さく煙を吸う。

 被害者の縁者やそれらを大切に想っている人間はその誘拐が起きたと同時に、心を閉ざす――所謂監禁してしまい、これからの思い出を連れ去られてしまう。

 周囲を信じることが出来なくなり、自分を追い込んで癒しようのない傷を作る。

 10年前の事件の被害者、その縁者たちはきっと今でも『誘拐』されたままなのだろう。被害者が生きていたら20歳ほどで、もしかしたら一緒にお酒を飲む楽しみがあったのかもしれない。それがその事件のせいで夢見ることしか出来なくなり、後悔や恨みで身動きが取れなくなった彼、彼女らは自分で作った壁に閉じこもってしまう。

 被害者だけが誘拐されたのではない。来浪はまったく縁もゆかりもない被害者たちを想うのであった。

 と、煙草を吸い終わると同時に店からマリアが顔を出した。

「カラス、そろそろ帰るわよ。それと、音子が貴方に見せたいって言っているわ」

「え? ああ、はい――」

「貴方は感情移入し過ぎ……いえ、違うわね、その出来事を私たちに当てはめることもないわ」

「……いきなり読心術を披露しないでもらえると助かります」

「簡単な方程式よ。前提にカラスは最悪を考える傾向がある。そして、今日過ごしての一番の最悪は誘拐事件、さらにさっき私が10年前の話をした。それを思考している内にそこに辿り着き、あっちこっち物事を考えた結果、被害者にその思考が向けられる。そこからさらに最悪を考えた結果、大切な私と音子をそこに当てはめた。間違っているのなら指摘をよろしく」

 ウインクを投げてきたマリアに来浪は首を振って指摘がないことを伝えるのだが、自分で大切な人間と宣言して恥ずかしくないのか。と、小さく噴き出してしまう。

「さ、行きましょう」

「はい」

 差し出されたマリアの手を来浪は握り、店へと戻る。

 そして、店の中に入って最初にかけられた言葉が蒔絵の「貴方たち、本当に恋人同士じゃないの?」である。その問いに来浪は笑顔で「違います」と、答えた。

「あ、クロちゃん――えへへ、どぉ~?」

 駆け寄ってきた音子を抱きとめ、来浪はその全体を見る。

 レースをあしらわれたデニムのジャケットのボタンを一番上だけ留め、その下には丈がジャケットより長い真っ白な、これもまたレースが目立たない程度にあしらわれたシャツ、暗めの紺色のホットパンツなどなど、カジュアルな感じに仕上がっていた。

 来浪はまず、誘拐される。と、危機感を覚えた後、音子に良く似合っており、可愛いよ。と、感想を忘れずに伝えた。そして、最後に思ったことなのだが、この店にわりと普通な服があることに驚いた。何故なら見渡す限りマリアの皮膚であり、音子もそういう物を着せられると思っていたのである。

「カラス、何か安心していない?」

「いえいえ」

 そうして、マリアが支払いを終えると来浪、マリア、音子は揃って店を出る。その際蒔絵が外まで着いて来てくれ、頭を下げた。

「あ、カラス君」

 来浪は振り返った。しかしそれはマリア以外にカラスと呼ばれるのに違和感があり、声を掛けられたから振り返ったわけではない。

「不愉快な思いさせちゃったかもだけれど許してね。津田ちゃんもああなりたくてああなっちゃったわけじゃないんよ」

 来浪は頷く。色々考えている内にそのことは忘れており、改めて考えると何も被害はなかったのである。来浪はそれを蒔絵に告げ、マリアや音子が来たいというならまた来る。という旨を伝えた。

「うん、今度はカラス君の服も用意して待ってるよ」

「それは勘弁してください」

「あはは――あ、そうだモニカさん、雪平(ゆきひら) 林檎(りんご)って知ってる?」

「いえ、初めて聞く名前ね」

 蒔絵がショーウインドーに飾られた服を指差した。

「この服の作り手でデザイナー、モニカさん、こういうの好きだと思って」

「あ、あたし知ってるよぅ」

 すると、音子が手を上げてその雪平 林檎を知っている。と、言ったのである。来浪は首を傾げた。何かの雑誌にその人物の名が書かれていたのだろうか? とも考えたが、知っている限り、音子がその手の雑誌には興味を持っていないはずである。では何故か――尋ねようとすると先にマリアが口を開く。

「音子が知っているのね、有名なのかしら?」

「ううん、自分で無名って言ってたよぅ。ただ、学校の衣装を作ってくれて、出来上がった服をみんなにくれるのぅ」

「………………」

「あ~、そういえば小学校に衣装を無償で提供してるって言ってたかも。子ども好きみたいよ」

 何とも奇特な人間がいるものだ。と、無償でそれらを行なっている人間を捻くれた角度で見た来浪は訝しんだ。

 蒔絵が「本当ならそういうの止めてほしいんだけどねぇ、うちで買ってくれよって」と、苦笑いを浮かべており、来浪は全くその通りだと思った。そもそも、その人間は服を売っているのである。無償でそれらを提供してしまえば価値が下がる。それはその人間にとってのマイナスなのではないか。と、あまり近づきたくはないと来浪は警戒した。

 そうして、妙な感じになりながら来浪たちはトゥインクルフェアリーを後にする。

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