第3話

 車で山を下り、さらに30分ほど走らせた辺りから来浪の住むここは文明に色を加えたような明るさを得る。

 所謂、街と呼ばれる場所に辿り着くのだが、来浪はほとんどこの街には訪れない。何故か――と、理由が付けられるほどはっきりとしているわけではないのだが、理由を聞かれたのなら来浪は間違いなく「鬱陶しい」と、答える。

 溢れかえる人、人、人――都会ではない、どちらかといえば田舎に分類されるここでさえこれなのだ、もし東京などの都会に足を踏み入れたら。来浪はこの街に訪れる度にそれを想像しては体を震わせる。

 とはいえ、今日の目的地はここなのである。講義をサボった挙句恐喝され、それで連れて来られた場所なのだ……嫌々ではあるが、来浪は今日という日を諦めていた。

 そうしてうな垂れていると、マリアと音子がどんどん先に進んでいくのが見えた。さすがにこの街を1人で歩く勇気も気力も持ち合わせていない来浪はただただ2人でも姦しい女の子の背中を追うのである。

 すると、マリアがある通りを指差していた。

 その通りは一言でいえば暗い。車や人の笑い声、まだ明るい時間であるにも関わらず発せられている看板の光が一切届いていない。ビルとビルの間、日の光もそこまで伸びるのが億劫だとでもいうように手前でコンクリートを照らしているだけである。

 来浪はその道へ入ろうとするマリアを訝しがる。

 怪しい場所ではないだろうか。音子を連れて行っても大丈夫なのか。そもそもどこに連れて行こうとしているのか――来浪は何度もマリアの背中に内心問いかけるのであるが、返ってくるのは清々しいまでの真っ白な微笑みだけであった。

 しかし、選択肢はない。来浪の心情を知ってか知らずか、マリアが音子の手を引き歩んでいくのである。これはもう、なるようにしかならないだろう。

 来浪は周囲に気を配りながらその路地に入る。

「わぁ……」

 来浪はつい声を漏らしてしまった。あまりにも拍子抜け――とは言い難いが思っていたほど禍々しくはない。

 辿り着いたその場所には、外観から店だと察せる建物があった。

 真っ黒な外壁に、大きな窓から覗くのはカウンターといくつかのテーブル、中でグラスを磨いている初老の男性が正しく喫茶店という出立ちで佇んでいた。

 ちなみにその正しく、というのはイートンコートに蝶ネクタイ、喫茶店やウエイターの歴史を紐解けば必ず見かけるだろう恰好をしていたのである。

 来浪は素直に感激していた。こんな雰囲気がはなまる満点な喫茶店は訪れたことがなかった、何よりもマリアがまともな店を知っていることに目頭が熱くなるほどの感動を覚えていた。

 ここが別段怪しい店ではないと認識してからの行動は早かった。

 車に乗った時と同じく、日傘をマリアから受け取った来浪は喫茶店の扉を開け、マリアと音子が中に入るのを待った。そして最後に喫茶店の中に入り、はしゃぎたくてうずうずしている音子を宥めつつ、店の雰囲気を探り始める。

 率直な感想は、悪くない。である。

 外壁は黒いのだが、高いところにある大きな天窓が真っ暗であった路地に似つかわしくないほどの陽光を空から吸い込んでおり、そのおかげか内装は外装からは考えられないほど明るく、木で作られた机や椅子を含めた小物たちが生き生きとしているようにも感じられた。

 来浪は建築やそういうワードなどには詳しくないのだが、外装はどこか近代的――モダン。と、いうのだろうか、それであり、内装はその逆、なんとなくクラシックさがあるようにも思えた。

 全体的に落ち着いた雰囲気である。こんな店で読書をしながら丸一日過ごすのも悪くない。と、思えるほどには。

「魔女さん、こんな素敵な店を知っているのなら教えてくれても良いのに」

「だって私、カラスの家が一番素敵だと思っているし、落ち着くもの」

 来浪は笑みを返した。もちろん良い意味ではない。僕は落ち着きません。と、察してくれれば。と、期待を込めている。

「今日は買い物をしようと思っていたし、昼食は外の方が良いでしょう? だから案内したの」

 マリアはそう言ってメニューを開いた。だが、他人に見せるという配慮などしない。自分だけが手に持って、自分だけで見ているのである。来浪は初老の男性に隣の席のメニューを見て良いかの確認だけし、許可をもらってから音子を膝に乗せ、一緒にメニューを見るのである。

 メニュー表にはいかにも喫茶店らしいものだらけであり、来浪はサンドウィッチとコーヒー、マリアは紅茶と本日のおすすめであるフルーツをシロップでコーティングし、それを使ったタルト、音子は煮込みハンバーグを注文した。

 暫くすると、コーヒーと紅茶、そして音子のジュースが出てきた。その時に初老の店主が「こちらのコーヒーは自分用に。と、水で抽出したコーヒーなのですが、よかったら」と、普段は一般的な淹れ方をし、氷で冷ましたものだということを教えてくれた。

 来浪は運が良かったな。と、思ったのだがマリアが、あの店主、この時間だと大体自分用にコーヒーを淹れている。と、教えてくれたために、少しだけ感動が薄れた。

 そうして、飲み物で舌を潤しているとマリアが音子を見つめていた。

「魔女さん?」

「ん? いえ、そういえば今日は何故、こんなに学校が早く終わったのか聞いていなかったものだから」

「ああ……」

 そういえば話していなかった。と、来浪は軽くだが音子に聞いた話を掻い摘んで話した。すると、マリアが思案顔を浮かべた。

「なるほどね」

「何がですか?」

 マリアが納得しているようだが、来浪は釈然としていなかった。

 確かに、誰かがいなくなったというのなら心配である。そもそも音子の通う小学校は場所が場所であるために学校からバスが出ており、指定の場所に迎えに行くというシステムなのだが、およそそこに現れなかったのだろう。つまり、家を出てからバスが来る場所の間までに、どこかへ消えてしまった。そういうことなのである。

 これは誰がどう聞いても、サボタージュではないだろうか。1人、2人のために学校を早く終わらせる理由が来浪には理解できなかったのである。

「10年前――」

 すると、来浪の顔を覗いていたマリアが口を開いた。

「カラス、覚えがない? 10年前の誘拐殺人」

「10年前、ですか……」

 そういえば。と、来浪は10年前――つまり、今の音子と同じ小学4年生の時を思い出していた。

 確かにマリアの言うような事件があり、教師から「知らない人について行かない」などを口酸っぱく言われていた時期があったことを思いだした。

 しかし、それが今回の出来事と何の関係が。来浪は食事中に携帯を見ることに対する許しをマリアにもらうと、10年前の誘拐殺人についてネットで検索する。

「あれ?」

 そして来浪は気が付くのである。その事件が起きた地区と主に誘拐された児童の通う学校を。

「これって――」

「ええそうよ、音子の通っている学校。その事件があってから、学校はその手に対する動きに敏感になっているのよ」

「う~ん……」

 しかし、来浪はまだ納得していない。だが、その事件の記事を読み進めていき、やっと合点がいった。

『犯人未だ逃走中』

 10年という心の傷を癒すには短い期間、未だに心に傷を負っている者もいるのだろう。もしかしたら、教師の中にも――故に早く帰らせ、とにかく安全を第一に考えたのだろう。

 もっとも、早く帰らせる。という行動が誘拐事件の対策として適切かどうかは定かではない。明るい内に帰し、一斉に家に帰すことで人の目につくようにしている点では確かに対策になっているだろう。だが、ここにいる音子のような子どもたちはどうなるのだろうか。もしかしたら、両親へ連絡し、学校で預かる旨を伝えているのかもしれないが、中にはそれを教師に伝えていない生徒もいるかもしれない。『かもしれない』を考えたらきりがないが、学校信仰――今、学校に求められているのはその、かもしれない。にも対応した超能力レベルの無茶振りなのである。この対応が適切であったとはまだ、断言できない。

 来浪は音子に「今日はお母さんとお父さんが帰ってくるまで家で遊んでいようね」と、告げると席を立ち、外に出て睦音に電話を掛けた。

 その内容は、今日生徒の何人かがいなくなったこと。睦音が帰ってくるまで来浪の部屋に置いておくこと。もし早く帰れそうなら夕食はこちらでとるように。と、いう話。

 睦音がそれを快諾してくれた。そして、終わっていなくても仕事を早めに切り上げる約束もしたのである。

 来浪は電話を終わらせ席に戻ると、音子が店主のいるカウンターへ移動していた。来浪は一度音子に元の席に座るようやんわり言うのだが、初老の店主が「いえいえ、見てもらえるのなら、それはそれでしっかりしなくてはならないですから」と、年季を感じられる柔らかい笑みを浮かべた。来浪は店主の言葉に感謝の言葉を返すと、だけど大人しく、ね。と、音子に言った。

 音子の返事を聞き、来浪はマリアの元に戻るのだが、まだ気になっていることがある。

 来浪自身、その事件についてよく覚えていない。小学生だったという理由もあるが、どこか遠くの出来事であったために興味がなかった。というのが正しい。

「……魔女さん、その事件のこと教えてくれませんか?」

「あら、興味湧いた?」

「いえ――ええ、そうですね、もしそいつが戻ってきたのなら知っておいて損はないかと」

「……戻って来た。ね」

 マリアが何か含みのある物言いをした。

 いや、だがそうだろう。来浪は同じ地区でまた同じような、否、まだ起きてもいない事件を10年前の事件と関連付けたのだ、マリアが繰り返したように戻って来た。は適切ではないだろう。

「まぁ良いわ、教えてあげる」

 そう言ってマリアは紅茶を飲むと一呼吸置き話し始めた。

「あれはまだまだ夏の残暑が厳しい頃の出来事だったわ。クソ鬱陶しい死にかけのセミの声とアイスをどれだけ口に含んでも抑えることの出来ない温度の上昇、ノースリーブのシャツが肌にくっ付いて不快を通り越して不愉快だったことを覚えているわ」

 0を通り越したら1になるのよ。と、マリアは微笑んだ。

「そんな時期に、あのニュースが入り込んだ――児童3人が行方不明、警察は事件現場から範囲を広げ捜索中、児童の両親も駅前でチラシを配り、無事で発見されることを願った。そうなのだけれど――」

 マリアが紅茶を口に運んだ。

 彼女が言わなくともその結末は知っている。そもそもさっき誘拐殺人と言ったのだ、その後何が起きたのかは察しが付くが、どれだけの悲しみがあったかは想像すらできない。

 そして、そんな極悪非道を行なった人物が未だ捕まっていないのである。来浪は顔を歪めた。人並みだが、その人物に嫌悪感を抱き、早く捕らえられることを願う。

「まぁ、今回はそいつとは限りませんけれど、学校側が早めに対策したのも頷けました」

「そう、良かったわね……カラス、この事件に興味があるのかしら?」

「え? そうですね、これでも一応、教育関係の大学に来ていますから」

「そう……」

 マリアが思案顔を浮かべたのだが、来浪は一体何を考えているのかわからず、そして聞いたところで教えてもくれないだろうと首を振ってその話を終わらせた。そして、先ほどの会話で気になったことがあり、質問をしてみようと思うのである。

「ところで魔女さん、ノースリーブ着るんですか?」

「ええ、見たい?」

 マリアに色っぽい視線で問いかけられたが、来浪はその色目は自分には効かない。と、絶対的な意思を持って突っ返すことに決めた。

「いえ、さすがに皮膚の下や骨を見る気には――」

「まだ引っ張るのね、それ」

 来浪は相変わらずの魅力的な笑顔にたじろぐのだが、それと同時に音子が、サンドウィッチとタルト、煮込みハンバーグを持った店主を連れてきたために、どこか白々しく来浪は2人に礼を言うのであった。

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