第2話
来浪は車を車庫から出すとアパート前で待っているマリアと音子の傍に寄せる。そして、車を降りトランクから日傘を取り出すとそれを差し、マリアの手を取るとそのまま引いて後部座席に導いた。次に音子なのだが。
「わぁい、お出かけだよぅ」
と、特にレディーファーストを実行せずとも、音子は自ら車の助手席に飛び乗ったのであった。
「音子ちゃん、睦音さん――お母さんに連絡したら、晩ご飯も僕たちと一緒だと助かる。って、言われたんだけど大丈夫?」
「うん! お母さん、今日も遅いだろうなぁって思ってたから大丈夫だよぅ」
「そう」
あまり慣れてしまうのも。と、いくら小学4年生とはいえ、来浪は少し思うところがあった。音子の両親は土曜日と日曜日、必ず家族揃っており、音子自身も諦め。ではなく、しっかりと両親の忙しさを理解出来るほどには賢い子であるために、そこについて深くは言わないようにしている。ただ、住んでいる場所が山の上であるため、あまり遊びに行けないことも多々ある。来浪は音子の両親が時間の取れない時や日常で時間がある時、面倒を引き受けることを買って出たのである。
先ほど音子の母親、石黒 睦音(むつね)と電話した時も、「いつもごめんねぇ」と、いう音子とよく似た間延びした声で始まり、それに対して来浪が「いえいえ、心配はないと思いますから、仕事を音子ちゃんが起きている内に終わらせて帰ってきてあげてくださいね」と、会話出来る程度にはご近所付き合いもしっかりとやっているのである。
「カラス、考え事をしながらの運転は感心しないわよ」
「あ、ええ、ごめんなさい」
「音子、貴女は恵まれているわ。これからも私とカラス、睦音たちの言うことは聞くように」
「は~い」
子どもは大人とのやり取りの中で生活概念を形成するというが、マリアから得た物はあまりひけらかさない方が無難に生きられるのではないだろうか。来浪は音子とあの魔女をどう引き離すかを考えた。
「音子は私のこと好きよねぇ?」
「うん!」
先手を取られた。来浪はどうあっても自分の傍から音子を離す気のないマリアに文句を言いたくなった。
「マリアちゃんも、ね――あたしのこと好き?」
「ええ、もちろん。それに貴女は魔女の素質があるわ」
来浪は全力でそれを止めることを決意した。
そもそも魔女の素質とは何なのだろうか、他人の家に不法侵入し、血液を混ぜた水を与えて育てたハーブのお茶を飲ませる。それらを一切躊躇せず行える鋼の精神を持った人間のことか――途端に魔女という存在が脳筋に思えて仕方がなかった。
「カラス――」
「ああすみません、音子ちゃんにもたらされる悪影響を思うと頭が痛くて」
「あら、一体何者が音子に悪影響を与えているのかしら? でも安心なさい、私は魔女よ、大抵の相手には手も足も出させないわ」
まるで人類を救済するために作られたロボットが、救済のために人間を殲滅するような絶望感があるな。と、来浪は顔を引き攣らせた。
「クロちゃんも好きだよぅ」
「ありがとう」
丁度信号機が赤を示したために、来浪は片手をハンドルから離し、音子を撫でる。
そうして和んでいると、来浪はふと目的地を聞いていないことに気が付いた。もっとも、マリアの頼みであるために碌な場所ではないことは想定出来るのだが、遠くなら遠くだと言ってほしくはある、昼食のこともあるし、遅くなるようなら睦音に連絡を入れなくてはならず、さらに夕食の支度も――そこまで考えて来浪はマリアが視線を向けていることに気が付き、運転に集中する。
「ところで魔女さん、目的地はどこですか?」
今日は音子もいるのである、あまり遠いところまでは行けない。普段行くような毒キノコ博物館や毒草展、毒の生き物展覧会は遠慮したいのだが。と、来浪は今までマリアと見に行った数々の文字通り毒々しい場所を思い出していた。
「すぐそこよ、今日はせっかくだし服を買おうと思って」
「え? 脱皮するんですか」
マリアの真っ黒な服しか見たことがなかった来浪は、彼女の服が最早皮膚なのではないかと疑っていた。
すると、マリアが満面の笑顔を浮かべているのがバックミラーから見え、来浪は肩を震わせた。
「カラス、今日は貴方の分の夕食を作って――いえ、台所には入らないと約束したわね、それじゃあ貴方の料理にだけ私特製のスパイスを振りかけてあげるわ、覚悟なさい」
来浪は自分の発言を心底後悔した。
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