09 潜入、女子棟! 目指せ10階!

 さて、こうなっては致し方がない。

 とにかく、まずは部屋を目指すより他はない。


 ……これによって、『『守護天魔ヴァルキュリア』に拒否られた下痢野郎』から、『女装が趣味の下痢野郎』にならないことを、祈るばかりである。



 貰ったばかりの鍵を、オートロックの制御盤に差し込むと、静かな音を立てて、ドアが開く。


 直ぐに道は3つに分かれていた。

 左が男子棟。右が女子棟。そして中央が、ラウンジ等のある特別棟へと続く廊下だ。


 松風より貰った鍵は、全部で3つあった。

 1つはエントランスにある、オートロックのスライドドアを開錠するもの。

 そして、もう1つは各部屋のもの。


 さて、残る1つだが、当たり前だが、男子より女子の方がセキュリティが固いのは当然のことである。



 幻妖なる存在に脅かされていようとも、下着泥棒やら痴漢など、そう言った女性を狙う犯罪は枚挙にいとまがない。


 勿論、そんなことを校内で起こさせるわけにもいかない。

 そのため、女子棟には、その入り口に更にスライドドアのロックが為されている。


「……ここまでやるなら、何でオレを女子棟に入れるのをよしとしてるんだよ…ったく」


 悪態を吐きつつも、オートロックを解除して、禁断の花園へと足を踏み入れた玲。



 あれ……気のせいか、凄くいい匂いがするような気がする。廊下なのに。

 男というのは、とことん女の子に幻想を抱く生き物である。


 特に、男子禁制の聖地ともなれぱ、その幻想はより強固なものとなる。


 そんな勝手な妄想が、こんなありもしないいい匂いを感じさせているのだろう。



 ──と。


(いきなり来たぁぁあぁああ!!)


 前方から、歩いてくる女子生徒。入ってしばらく歩いた先にはエレベーターホールがあるのだが、そこに辿り着く以前にして、既に最大の危機を迎えていた。


『こら玲! しゃんとしろ! 寧ろおどおどしている方が目立つだろう!』


(う…そ、そっか……。よし、平常心だ。……女だ、女になりきるんだ……!)


 リィエルの助言に落ち着きを取り戻した玲は、背筋を伸ばしてやや小股気味に歩く。

 単純に、スカートの下に履いているボクサーパンツが露見することを恐れた結果なのだが、それが中々どうして、緊張気味で恥ずかしがる新入生っぽさを演出していた。


 まさに天性の女装スキルであった。



 こちらに向かって歩いてきているのは2人。

 リボンの色は、紺色。2年生だ。


 恐らくこんな時間だ、特別棟の大浴場に行くところ、といったあたりだろう。

 手提げ袋には、トリートメントやらが入っていそうな出っ張りが見えた。


「あの…こんばんは…」


「ああ、新入生ね。こんばんは。これからよろしくね」


 すれ違い様に、軽く会釈をしながら挨拶。

 特に怪しまれた様子は無かった。


(……案外いける…のか?)


 何とかエレベーターホールまで到着し、ホッと胸を撫で下ろす玲。

 ところが、この怪しまれなかったことが、後に更なる災いとなって帰ってくるとは、この時の玲は予想すらしていなかった。



 玲とすれ違った女生徒達は──。


「ねぇ、今の子……」


「そうね……」



「「凄く可愛かった!!」」


「あーもう、あの初々しさが堪らないわね! お姉様って呼ばせて、『タイが曲がっていてよ…』ってやってあーげーたーいー!」


「アンタ百合系大好物だもんねー。つーかうちの学校、女子はネクタイじゃなくてリボンじゃん。まあ、同じ寮に住んでるんだし、すぐに誰だかわかるわよ」


「そうね!」


 フンスー、と鼻息荒く決意を固める女学生。それを宥めつつも、内心「わかるわー」と思っているもう1人の女学生。


 火種は常々、どんなところからでも上がるものである。







 ********************


「よ、よし…。何とか無事に10階まで辿り着いたぞー…」


『1050号室というと……一番奥の部屋だな。まあここまで来れば、おどおどする必要もないだろう』


「うし。なら問題は……相部屋が誰なのか…だな…」


 そう。残る最大の問題点はそこである。

 如何に女装して女子棟に入ったとしても、流石に部屋の中でまで女子を装うことが出来る自信は、玲にも無かった。


 そりゃあそうだ。古今東西、如何な漫画でもアニメでもラノベでもギャルゲーでもエロゲーでも、女装男装が最後までバレない等という試しは無い。


 しかも、3年間も生活を共にするのだ。


 寧ろ、下手に隠す方が、後の禍根を生むだろう。

 ならば、さっさと状況を説明して、問題の芽は潰す──。

 それに限る。



 というか、もう既に向こうは玲が相部屋だということを知っているかもしれない。


 ともなれば、最早隠し建てする意味はない。


(……『下痢野郎』のことも伝わってるなら、最初から好感度は最底辺。……ある意味…これ以上失うものはない…か)


 きっと相部屋の女の子は、玲だとわかった時点で、嫌悪感を剥き出しにすることだろう。


 ある意味そんな下地があると考えれば、この女装の説明も手っ取り早いのではなかろうか。



 尤も、説明自体が早くとも、その後にどんな展開が待ち受けているのかと思うと、ゾッとするものがあるのだが。



 気づけば、玲は10階の最奥──1050号室のドアの前に立っていた。


 複数回深呼吸をして気持ちを落ち着けて──いざ!


 部屋の鍵を差し、捻る。

 コトンとロックが外れる感触が、手に返ってきた。


 そして、玲はドアを開けた。



「お、お邪魔しまーす…」


『いやいや、お前の部屋でもあるだろうが』


「けどさー…ほら、何というか…」


 初めて女の子の家に遊びに行くような、そんな高揚感。

 入ってすぐ、丁寧に整えて脱がれたローファーが目に入った。


 几帳面な子のようだ。



 それに倣うように、玲も靴を綺麗に脱ぎ、恐る恐る廊下を歩いていく。

 部屋の造りは、まず廊下入ってすぐのところ右側に一部屋。その反対側に、洗面所に繋がるドアがある。


 間取り図通りなら、この洗面所からトイレと風呂に繋がっている。


 そして、さらに廊下を歩いていくと、真正面と、その少し手前左にドアがある。


 正面のドアがリビングで、左のドアが個室だ。



 ……恐らくだが、相部屋の相手はリビングにいる筈だ。

 どっちがどっちの部屋を使うか等の話し合いをする上でも、まずリビングにいるだろう。


 ああ、いや、もし相手が玲のことを既に知っていて、『『守護天魔ヴァルキュリア』にも拒否られた下痢野郎』なる侮蔑も知っているのであれば、話し合うまでもなく勝手に部屋を決めているかもしれないが。


 何にせよ、ひとまず玲を確認するまでは、リビングにいる可能性が高い筈だ。



 ごくりと喉を鳴らし、

「ええい、ままよ!」

 玲はリビングのドアを開いた。そして──



「オレなんかが相部屋でホントごめんなさい!!」



 ドアを開け、部屋の中に飛び込むと同時に、空中で土下座の体を作り、着地と共に謝罪の言葉を口にする。


 それは先程、あのハゲ鷹がやってみせた、ジャンピング土下座であった。


 これ以上失うものが無いからこそ出来る、ある意味の境地故の行動。

 そう、何かとやかく言われる前に、とにかく土下座しておけば、少なくとも言い訳くらいは訊いて貰えるだろうという、逆転の発想である。



「あ、やっぱり赤月くんって、あの赤月くんだったのね」


「…ほぇ?」


 だが、身構えていた玲に返ってきたのは、嫌悪感などまるで感じさせない、柔らかなものだった。


 顔を上げてみれば、ダイニングテーブルに用意された2脚の椅子の一つに腰掛け、こちらに向かって微笑んでいる少女がいた。


「えーっと、君は確か……桜宮さん?」


 見覚えがあった。

 そうだ、自分の前に、『守護天魔ヴァルキュリア』召喚を行った少女だ。


 長い黒髪に、宝石のような紫色の瞳。柔和で優しそうな表情。


 召喚騒動を引き起こした玲とは別に、彼女も有名人である。


 あれ以来、玲は陰口こそ叩かれども、誰かと話せる訳でもなく、結局初日は友達を作れずに終わった訳なのだが、それでも周りの話はチラチラと盗み聞きしていた。


 そも、第二級天使を召喚した時点で、噂になるだけの理由はある。

 それにプラスして、そのルックスの良さから、とにかく男子からの人気が高かった。


 つまり──


(待て待て待てーい!! 嘘でしょ! 嘘でしょぉおお!! じゃあ何、オレ……この新入生の中でも可愛いと専ら評判のこの子に、『下痢野郎』とか蔑まれながら3年間過ごすの!? 何その拷問!?)


 そういう性癖の人にはご褒美だろうが、残念ながら、玲はそっちの属性は持ち合わせていない。



 さて、どうやって切り出したらいいのか。

 ただでさえ『下痢野郎』なるもののせいで第一印象は最悪だろうに、この格好。この体勢。

 そして、こんな格好をしてまで女子棟にやって来ていること。


 どこをとっても変態か異常者以外の何者でもないこの状況。

 いったいそれを、こんな可愛らしい子にどう切り出していけばよいのか。


 わかってくれるのか。



 部屋に入る前までの決意が瓦解する音が聞こえた。



 だが──。


「あ、私の名前、知っててくれたんだ。初めまして、桜宮さくらみや 璃由りゆです。今日からよろしくね、赤月くん」


 特に何ら気にした様子も見せず、彼女はそう言って、玲に微笑みかけていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る