そこは春の町
コオロギ
そこは春の町
日の光を感じてゆっくりと目を開くと、丸い砂場と滑り台が視界に入り、それでわたしはわたしが公園のベンチに座っていることを知る。滑り台の周りでは、親子連れがおいかけっこをして遊んでいる。いつからこんなところで眠りこけていたのだろう。まるで記憶がない。
わたしは両腕を空に突き上げて伸びをする。濃密な春のにおいをはらんだ風がざあっと通り抜けていく。
《春が来たよ》
《春が来たね》
間近に誰かの声が聞こえ、わたしは左右を見回すが近くに人はいない。目の前の親子とは明らかに別の声だ。
《パレードが来るよ》
パレード?
《パレードが来るよ》
《春になったんだもん》
《楽しみだね》
《楽しみだね》
《楽しみだね》
パレードとはいったい何のことだろう、子供のようなはしゃいだ声に、わたしはつられてほほ笑んでしまう。
何かわからないが、お祭りでもあるのだろう。パレード、とは少し違う気がするが、山車でも出るのだろうか。
公園の外の広い道を、たくさんの人が歩いている。みんな一様に笑顔で、パレードの場所へ向かっているようである。
《パレードが来るよ》
《パレードが来るよ》
楽しげな行列を眺めていたら、わたしも楽しくなってくる。
とても気分がいい。
ああ、もしかしたら、あの人もパレードを見に来るのじゃないかしら。
しばらく会っていないし、会えたらうれしい。
わたしはそう期待して、ふらふらと立ち上がる。膝の上から一冊の本が滑り落ち、慌てて拾う。冬の間に体が鈍ってしまったようで、足が少しだけ重い。
禁止区域との境界に僕は立っている。感染を防ぐためにと着せられた防護服とマスクはごつくてとても動きづらい上に息苦しい。
防護服姿に身を包んだ人たちが火炎放射機を抱えてずらりと並ぶ様はまるでスタートラインに並ぶ選手のようで、全員がスタートの合図を今か今かと待っている。
春になり、ゾンビたちが活動を活発化させるので、それを撃退するために僕らはここにいる。
ゾンビたちを誘き寄せるための花火が後方で上がる。一気に何十発と打ち上げられ、暗かった視界が一瞬ぱっと明るくなる。目と鼻の先に、すでにゾンビたちの姿がある。
僕はその一瞬を見逃さないよう必死に目を動かしてそのゾンビの大群の一人一人を確認する。ここで見つけられなければ、あの人と会える可能性は格段に下がってしまう。それがどれだけ可能性が低いことだとしても、僕はやらなければいけない。なんとしても今、見つけなければならないのだ。
足を引きずりながらこちらに近づいてくるゾンビが目に留まる。ぼろぼろになった本を両腕で抱えるその姿に、僕は一瞬何も聞こえなくなる。
彼女だ。
僕は火炎放射機を投げ捨て、マスクを外し走り出す。隣の防護服が何か怒鳴ったが構わず走り続ける。
花火の煙の臭いなどかき消えてしまうほどのひどい腐臭が鼻をつんざく。僕はそれを十分に肺に取り入れる。すると、頭の中に直接、彼らの声が滑り込んでくる。
《花火だ!》
《花火だ!》
《きれいだね》
《きれいだね》
《きれいだね》
ああ、なんだ。
彼らは彼らなりに、楽しくやっているじゃないか。
僕は目の前に立っている彼女を見つめる。
どろどろに溶けた皮膚の中に、二つの目が
埋まっている。その目が僕を見つめ返す。
《久しぶり》
《うん》
ただれた皮膚の上に、彼女の穏やかな笑顔がはっきりと浮かんで見える。
僕は彼女を抱き締める。花火の最後の一発が打ち上げられ、辺りが闇に沈んだのを合図に、防護服の集団が炎を上げながらこちらへ向かって突っ込んでくる。
《パレードだ!》
《パレードだ!》
《パレードだ!》
ゾンビたちの楽しげな声を聞きながら、彼女に首筋を食われながら、僕は死に彼らと同じゾンビへと変化していく。
そこは春の町 コオロギ @softinsect
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