2-図書館の男
2-1
大体そんな感じで、後半だいぶ雑なことを自覚しながらも要約を終えて、
「――私と女王陛下の一日は、今、基本こういう流れです」
と私は話を結んだ。
「なるほどねぇ」
と彼は言った。
私が何気なく視線を落とすと、細長い窓から入り込んだ日差しが、長机の天板を端から斜めに横切り光の帯を引いていた。
今日は日射が結構強めだ。室内でくつろいでいても、前方からあびると眩しくて、背中からあびるとぽかぽか眠たくなる。
どちらにせよ本なんて読めたもんじゃない。
だから私と彼は、直接光が当たる場所に置かれている椅子は避けて、その近く、本棚の陰になる位置で隣り合って座っている。
影は、本を読むのに邪魔にならない程度、うっすらと机の上にかかっているだけだ。日光に直接さらされるところとは違い、触ると少しひんやりしている。
結局今日は、私と彼も、机の上で開いたまま本を放置して、全然読まずにだらだら会話ばっかりしているが。
「女王陛下の生活って、そういう感じなんだねぇ。教えてくれて、どうもありがとう」
と言いながら、彼の指が自身の無駄に長いあごひげに伸びた。そして、手で櫛をかけ始める。
ああ。見覚えのある癖だ。
私の口から思わず、ため息が漏れる。彼が次に何を言うのか、予想できる。
――ただ、気になる点があるなぁ。
「ただ、気になる点があるなぁ。一つ質問してもいいかい?」
「いいですよ」
と私は答えた。
ほら、予想通りだった、と思いながら。
質問は一つか。
かえって長くなりそうだ、とも思った。
私たちの長話が、うるさいと、もしも他の誰かの迷惑になったら困る。周囲を軽く見渡してみた。
さきほどから状況は変わらずだった。やはり人っ子ひとりいなさそうだ。
城内の三階ぶん、昇降のため手すり階段を取り付ける代わりに、壁沿いを本棚と机と通路と落下防止用の柵に必要な床だけ残して、あとはくりぬいた吹き抜けの大部屋。その壁全部に張り付くようにして、ずらりと本棚が並んでいる。本はぎっしりと棚に詰め込まれており、ジャンルごとに分かれている。ジャンルごとの分別の例外が、一階のかなり限られたスペースに押し込まれた「吸血鬼用」の棚である。私たちが座っているのは四階、床をくりぬいて作った最上階に設置された長机の椅子だ。
立派で充実した本棚が並んでいるにもかかわらず、「図書館」の利用者は少ない。理由は単純で、城の住民の構成比を見ると、ノスフェラトゥに比べて人間が圧倒的に少ないのと、本棚付きの研究室を与えられていない類いの
本を読んでる暇があれば、働くか、遊ぶか、寝た方がいい。
そんな人間ばっかり。
とはいえ、だからこそ、私がこうして「見上げた若者だ」と彼――通称博士――にいつもいつも歓迎してもらえるわけで、別に私に不利益があるわけではない。
このたくさんの本たちが、読まれず、ただただ歳月を経て劣化してゆくことに、どんなに
「うーん、どうしようかなぁ」
と博士が目を閉じて唸っている。私への質問を考えているわけではないだろう。
そうではなくて、おそらく、自分の考えていることや何かの知識が、これからどうやったら私に一番わかりやすく伝えられるか、そういうことを考えているのだ。
付き合いはそれなりに長い。
あの日再会して、まるで覚えてもらえてなかったのは、ショックだったが。
「クラリモンド君はさぁ、さっきの話の途中で、ノスフェラトゥは、人間と比べて、身体能力に優れている、と言っていたよね」
「……ええ、言いました。多分」
予想以上に細部をつつく話だった。さっきは、何を言おうか、頭に思い浮かべてから、つっかえたり、無駄に内容を繰り返したりしつつ、聞かれたら恥ずかしいと思う部分は省略したり、一日の説明を、きっと喉と口の中のあいだくらいだと思うけれど、行き当たりばったりに軌道修正していたのもあって、自分で何を喋っていたのか早くももう怪しいのだが、言っていたと思う。言っていた気がする。
ノスフェラトゥは、人間と比べて、身体能力に優れている
「それねぇ。間違っている、とまでは言えないけれど、だいぶ不適切だねぇ」
「不適切なんですか」
「つまりねぇ――」
と彼は語り始める。
私は聞く。
まとめると、要は、こういうことか。
ノスフェラトゥにおけるトップクラスの身体能力の持ち主と、人間におけるトップクラスの身体能力の持ち主とを比較すれば、確かに、前者と後者には大きな壁がある。
だけれども、ノスフェラトゥという種族と、人間という種族を比較した場合、そこから全体の平均を求めるという話であれば、その差異はまた変わってくる。
教育機関での運動測定データなどしかないため、正直かなり判断材料不足ではあるが、むしろ人間の運動データの平均の方が、ノスフェラトゥの平均よりも高くなるだろう。
なぜならば、ノスフェラトゥには、貴族と平民がいて、人口に占める割合は平民が圧倒的多数であるにもかかわらず、けた外れの運動機能の持ち主は、貴族の中でも、王族かそれに類する貴族中の貴族にしか存在しないからである。
「王国は、けた外れの存在を喧伝する。ただでさえ人間と、ノスフェラトゥの庶民のかかわりなんてうっすいうっすいものだから、一部ではなくノスフェラトゥという種族が、我々人間とは比べものにならないほど優れているというイメージが醸成されがちなんだ。クラリモンド君の場合は、育った環境の影響も大きいだろうけど」
そう語る博士の話に頷きながら、私はふと考えていた。
身体能力が、ノスフェラトゥと人間を分ける違いではないのなら、種族の決定的な違いってなんだろう。そうしたら、
「ノスフェラトゥと人間の本質的と言われる違いは、身体能力ではなくてねぇ」
と博士がタイミングよく言うものだから驚いた。心を読まれたかと思った。気のせいか。それとも読心は、ミラーカだけの特技ではないのか?
とっさにやたら慌てた私を完全に無視して、
「それは、ノスフェラトゥの特別に発達した牙と、十分に、魔力を操作できるかどうかの差だよ」
と博士は言った。そして、
「よく言うじゃないか。――知的労働は、不純な精神的活動である。真の文化的創造とは、すなわち魔力の行使である、って」
と随分憎々しげに言葉を続けた。
吸血妃ミラーカの憂鬱 ニニム @aiaisfosarustar
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