第2話

朝5時、キッチンでコーヒーを入れタバコに火をつける。

まだ半分眠っている頭をゆっくり起こしながら、卵焼きを作る。

お弁当箱を出して、いつも通りご飯をよそい、おかずを詰めて、冷ましている間に朝食を準備して、子供と夫を起こしに寝室に向かう。

現場のない日の日常。

子供達が起きてくると一気に慌ただしくなる。


『来月の旅行の宿決めておいたから。休み大丈夫だよね?』

慌ただしい時間に確認をされ、反論をする間もない。

夫は少し前から温泉に行こうと、計画をしていた。

子供達を実家に預けて二人で行こうと。



夏のイベントシーズンが終わり、私の仕事は秋のブライダルシーズン真っ只中。

平日は打ち合わせ、通常業務、事務処理、また打ち合わせ。

土日はびっちり現場が入る。

もう、20年近く同じスパンで仕事をしている。

3年前からはブライダルに加えイベント、撮影など多岐に渡り、秋から年末までは身動きが取れない。

大手の会社であれば、受注、制作、現場と分けることが出来るけれど、独立したばかりの私にはそこまでの余裕も人材もなく、仕方のない事だと知っている。



そして、このスパンで仕事をするのも40歳までと決めていた。

うんと歳を重ねたら小さい一軒家で小さい庭を作って、庭のお花でブーケを作ることを仕事にするのが夢と。



もっとも小さい時からお花屋さんになりたかった訳ではない。

とにかく実家から出たい一心で18歳で東京の会社に就職した。

右も左もわからないので、教えられる事は一生懸命に真面目にこなすしかなかったんだと思う。

月、水、金は朝5時に市場に行って、品種も等級もわからない時から買い付けをし、そして教わった。

当時はこんなに若い女の子が市場に買い付けに行くのはとても珍しく、それは可愛いがられ沢山のことを教えてもらった。



そう、まだスカイツリーもなければ、六本木ヒルズも無い頃の東京で。



まだ少しだけバブルの名残りがあった時代。

デパートの開店前に、レストランにはランチ営業の前に、ホテルにはチェックアウト後、

お寿司屋さんや居酒屋さんはランチとディナーの間の時間、バーは営業前の夕方遅くに毎日毎日、生け込みに回った。

月に10回は企業の竣工パーティや創立記念式典の装飾に、週末はブライダル。

クリスマスやお正月は日付をまたいでディスプレイの入れ替え。

睡眠時間もお休みもとても少なかったけれど、1番楽しい時期だった。

初めての雑誌の仕事のときにはたった5カットのデザインの為に2週間も準備したり、ひとつのデザインをずーっと考え続けたり。



あれから私は場所や会社は変わったけれど、ずっと同じ事をしている。

見える景色が梅ヶ丘や井の頭公園から、大通り公園に、温泉が箱根から定山渓に。

けれど相変わらず夏の始まりにはクリスマスの予算を作り、お正月のサンプルとプレゼンをして、夏の終わりには発注をする。

土曜と日曜には朝からたくさんの新郎新婦に会う。

あの年も例年どおりに季節が変わり、発注をして、あとは秋のブライダルシーズンを乗りきるはずだった。



新規の打ち合わせ依頼があり、年末のパーティ案件だろうとクライアント先に向かったのが秋の始まり。

いつもの施工さんや照明さんと、お盆お休み何してた?なんて話しながら待ち合わせ。

打ち合わせ資料を開いた瞬間、全員の思考回路がショートしていくのが手に取るようにわかった。

そしてそこにいた全員が同時に私の顔を見た。

[10月31日施工 札幌駅前商業ビル全館クリスマスディスプレイ]

私の頭の中はショートを通り越していたように思う。

通常のディスプレイ規模をはるかに上回る。予算も、そしてこのクライアントが求めている仕上がりも。

さらに追い討ちをかける日程。

『あこちゃん、ごめんねー、G社でほぼ決まってたのが直前で予算もめたらしいんだよね。日程厳しいけどいけるよね?』

クライアントのプロデューサーはさらりと言ってのける。

施工さんや照明さんやいつものメンバーは気の毒そうな顔で私を見ている。

イベントやパーティ案件の場合は、生花やディスプレイの担当である私の仕事は1番最後の係で、どちらかというと施工日の1週間前からが本番で、それまでは段取りと準備をしておけば問題はない。

今回みんなが気の毒な顔になるのは仕方ないことで、今回は今日、今から施工当日まで全ての工程に私が関わる案件で、しかも発注が間に合うかどうかの日程だから。

そこから約2時間の打ち合わせ中に私の頭の中はフル稼動。

スケジュール帳を横に置き、施工日までのおおよそ1ヵ月半の中にすでに入っているイベント、パーティ施工、それらに費やす準備期間、必要な装飾備品の発注先、人員の確保、規模の大きすぎる内容で倉庫の確保も必要だ。

目まぐるしく様々な事を想定して。



来月の温泉は無理と伝えなくては。



もちろん、状況を説明し温泉は年明けにしましょうとお願いしてみた。

夫はひとこと、

『宿はもう予約したし、君はたった1泊2日の旅行の調整も出来ないの?』と。



あの2日間は人生の中で1番ひどい旅行だった。

施工まであと2週間半のところで2日の旅行の為に休みを取った。

その為に前日までほとんど眠らずに準備に費やして。

プロデューサーは私の休暇の2日前からカンボジアにいた。

『あと細かい事はあこちゃんに任せた!』と言い残して。

自宅を出てから宿に着くまで約2時間半、備品の欠品連絡や、本来ならプロデューサーが担当の各店舗のディスプレイスタイリングの確認や、とにかく電話が鳴り響く。

宿に着いた私達はシャンパンを開けたのだけれど、ほとんど寝ていない私はその後の記憶がない程に眠ってしまう。



朝早くに目が覚めた私は、きっとその時もう難しい事を理解していた。



夫が用意してくれた旅行は、普段家の事と娘達二人の事をしている私に対しての感謝のものだった。

年に2回は家族旅行で色々な温泉に行ったし、結婚する前も二人で行ったりした。

おかげで、18で北海道を出た私にしては、道内のほとんどの温泉宿を知っている。

それでもこの時に連れて行ってもらった宿は格別に良かった。

結婚する前の新見温泉と同じくらい心に残っている。

けれどそれはもうこの先は難しいと気付いてしまったのだと思う。



朝早く起きてしまった私はお部屋の露天風呂に入りながら、夫が起きるのを待っていた。

『おはよう。一緒に入る?』

返事がNOだと解って聞いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

これは私の物語 ricoma @ricoma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る