4/19:今年は申年!ウッキー!!
アーイ!!うらやましんちです。今年は申年じゃないけど、ガンダムをする人にこれを言うと高確率で「アーイ!!」と言ってくれます。嘘です。
今日は一年と三か月ぶりくらいにとあるお世話になっていた人に出会いました。
ここ二ヵ月のことや、一昨年ときに持病の喘息が再発して、ぶっちゃけ生死を彷徨っていたかもしれないことを告げました。
思えば色々あった。自分はお世話になった人に対して裏切ってばっかりだった。
自責の念を自分の中で抱えていたわけで、そんな中でも待ち合わせ場所に呼び出して頂いて、話ができたことは、本当に良かった。
「鬱」と言い訳はしたくはないけれど、多分喘息になってそのまま会社クビになったときのショックの際に手を差し伸べてくれたり、買い物してくれたり、心配してくれた人に、申し訳が無さすぎる。富士山で死にかけようとしたときもそう。
「ワイって生きていいんやろか……」とほな馬鹿みたいなことを考えて、一人で抱え込んで相談しないってのは、僕の悪い癖、癖だ。悪癖だ。
これは直したいんだけれど、病気みたいなもん。言うと相手の反応を見るのが怖い。怖すぎる。聞いたらどんな返事が来るのかが怖い。
「相談」って言葉は、相手と談話することで成立する「間」だと僕は思ってて、ボカァその間の取り方が悪いんじゃないかなぁって思った。
だから厄払いのときに友人たちと神社に行って、なにを言われたかは思い出せないけれれど、神社のお参りが終わった後に路地裏で何かを言われた瞬間に、目が真っ白になった。急にトイレに行きたくなりたくなって、気が付いたら地元のセブンイレブンのトイレにいた。意味が分からないけれど、俺も分かんねぇんだ。
後でラインで謝ったけれど、それっきり。また友人と飲みたい。うん。
だからその悪い癖と付き合いながら、生きてくしかないって思った。自分を飼いならせるのは誰でもない自分なんだから、「今年は申年! ウッキー!! アーイ」と馬鹿になって人生生きていくしかない。そう思いながら帰りに国立極地研究所に近いうちに行きたいなぁ・・・・・・と思ったのでした。
にしても、酒を交えずに人と三時間以上話したことって中々なかった。久しぶりだった。だからそれでも世界は美しいと思った。かも……。
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