第3話 おとなりさん達と
堅いアスファルトの地面に降り立つ。夢の世界から現実へと戻ってきたような気分になる。地に足が着くというか……ちがうか。
とはいえ、前を行く二人のお姉さんは実際に存在するのだ。
なんだか不思議な感じ。
おふたりの大学の話を聞きながら、緩やかに曲がった道を歩く。この町にも幾つか大学はあるけれど、ふたりが通っている大学は長田の方にあるらしい。ここからだと電車で20分ぐらい。
緩やかな弧を描くアスファルトの道を途中で右に曲がると、山の間を貫くようにレンガ敷きの道が現れた。こんな道があったのか、知らなかった。
レンガの道はゆるーく盛り上がっていて、坂の頂上まで進むとその向こうには住宅地が広がっているのが見えた。
「こっちよ」
瀬戸さんの先導で道を反れる。階段があった。
「ここから登っていくの」
まだ新しそうなコンクリートの階段。手すりも用意されていて、さっきの山に比べて凄く登りやすそう。高塚山ハイキングコース案内板ってのが置いてある。展望台の写真のひとつに『今はもうない、残念』とバツがつけられていた。
「あれって桜じゃない?」
先に階段を登り始めた三池さんが坂の上を指さしていた。その指先を追うように顔をあげると、薄いピンク色がちらほらと見えた。
「おおー」
思わず口にしてた。三池さんと眼があった。アイコンタクト、そして頷く。横の瀬戸さんはさっさと行くよ、と手を振りながら苦笑した。
私達は勢いよく階段を登って行く。
かなり整備が行き届いたハイキングコースは柔らかな芝生とたくさんの木々に包まれていた。もふもふした感触と、時折現れる春の花を楽しみながら歩いていく。
山の南側は工事の真っ最中みたいで大きなエンジン音が聞こえてくる。
三池さんは最近、ローソンの新作スイーツにはまっているらしい。しかしネットで情報を集めても実際に売ってる商品が少なくてねーと嘆いていた。瀬戸さんはコンビニスイーツには興味がないみたいで、ずっと聞き手に回っている。
そうこうしているうちにハイキングコースが平らになった。木が段々と少なくなってきて、見晴らしがよくなってくる。頂上が近いんだと思う。
「広くなってるね」
三池さんの言葉に私と瀬戸さんは頷いた。
展望広場、と書いた案内板があった。北向きと南向き、それぞれの方向に写真付きの看板が設置されてる。ここから見える風景について説明してるみたいだ。
南側を見ると、やや左に山が並んでいる。その右側はなだらかな住宅地が広がっていて、そのまま坂になって海へと下っていく。そして橋が、海が、島が見える。いつものだけど、いつもとちょっとだけ違う風景だ。
「左側の山は高倉山ね。環さん知ってる? あそこの登山道は有名なのよ」
「そうなんですか?」
「馬の背っていう名所があってね。興味があったら行ってみるといいわよ」
うまのせ……。名前を繰り返している間に瀬戸さんが「あ」と言った。
「間違っても制服とパンプスなんかでは登らない方がいいけどね」
瀬戸さんが顔を背ける様にして言った。その意味を計りかねていると、三池さんが青い顔で呟くように言った。
「決して気を抜かないように。油断したら……死ぬよ」
これで話は終わりだ、とばかりに三池さんも離れていった。
な、なんなんだ馬の背!?
私が謎に包まれていると、何もなかったかのように二人は戻ってきた。左右に並んで眼下に広がる景色に視線を落とす。
「にしても立派な橋だねぇ」
三池さんが言う。視線を落としたわけじゃなくて、前を見ていた。
「だいぶ距離があると思うのだけど、ここから見ても大きいわね」
瀬戸さんがそれに答える。
「やっぱりこの風景が神戸だよね。町の方にいるとあんまり気づかないけど」
「そうかしら。私は明石の風景って気がするけれど」
「明石から見たら橋は左でしょ。右にあるのは神戸の風景だよ」
「小学生みたいな言葉選びね……。もう少し言葉を吟味して、言いたいことを整理してから言ってくれない?」
「伝わればいいのよ伝われば」
「伝わらないって言ってるのよ」
横から見える顔は二人とも笑顔だ。
でも、クッションの代わりに間に挟まれるとどーしていいかわからない。
高い所から町を見下ろすと、たくさんの家が見える。
何百、何千もの家。団地やマンションも見えているし、住んでいる人の数で考えたらそのまた何倍。そこら中の道に車は走っているし、工場やお店では大勢の人が働いているはずで、春休みだけど学校では部活をしている生徒もいるはずなのだ。
私が見ているこの世界だけで、私が人生で出会う人よりもずっと多くの人の人生が存在しているんだ。ずっとずっとドラマチックで、ずっとずっと濃くて楽しい人生がそこにあるにのかもしれないし、もしかしたらこの中の誰かの人生と私の人生が交わるかもしれない。
たくさんの人が生きている事は知っているんだ、もちろん。
神戸市は百万以上の人が住んでいる都市だし、日本には億以上の人が住んでいるんだし、世界には何十億もの人が住んでいるんだ。それぐらいは学校で習ってる。
でも、こうして実際に見て、感じることはまた別だ。
なんかこう、思うよね。人間ってすごいなーって。
ぼーっと眺めていた。
町を。橋を。道を。家を。海を。上から。
「そろそろ行かないと」
時間を確認した瀬戸さんの指示に従って、私達は先へと進んだ。
残りはずっとだらだらーっと長い下り道。いつも通る駅周辺のショッピングセンターを上から見下ろすのが新鮮で、私はずっとキョロキョロしてた。
三池さんと瀬戸さんは授業をどうするかの話をしている。大学のこともそろそろ考えないといけないなぁ。
ゆるい階段をのこのこと降りていくと公園につながった。
ここを抜けて、道を渡ると駅につながっているはずだ。
そこからはいつもの風景、変わらない日常ってやつに戻れる。
「さてと」
三池さんと瀬戸さんが立ち止まる。ここでお別れかな。
三池さんがぴっと人差し指を立てた。
「これから私達は喫茶店に行くんだけどよかったら環ちゃんも行かない? パフェとかは無理だけどジュースの一杯ぐらいなら奢ってあげるよ」
「山を歩いた後にのんびりとクールダウンするのは大切なのよ」
三池さんの笑顔と、瀬戸さんの照れたような顔。
私はふたりを見上げて、言葉もなく頷いた。
まだハイキングは続くらしい。それが嬉しくて、たぶん笑顔で頷いた。
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