第223話 誘導 -No choice but to-

・1・


「テメェ!」

「待て、カイン!!」


 咄嗟に大剣を展開しようとしたカインの腕をユウトが止めた。


「何しやが――」

「今は、ダメだ」


 彼のその言葉でカインは周囲を取り巻く気配に気付く。


「ッ……何だ?」


 表面だけ切り取れば限りなく普通。違和感なんてない。

 しかしそれが逆にどこか気持ち悪い。

 その理由は自分たちに向けられる無数の視線だった。ただ単に注目を集めたからという奇異の視線ではない。従業員も、観光客も、全員が等しく同じ目でユウト達を凝視していた。


「さすがはユウト君! 気付くのが早ぇな!」


 人間の姿をしたドルジはパンパンと煽るように手を叩いてユウトを褒め称えた。


「それに比べて右腕の小僧は俺様に集中しすぎ。らしくないねぇ。ま、さすがに俺様相手にそんな余裕はねぇか、ククク」

「これは……伊弉冉いざなみの力か?」


 ユウトは静かにドルジに問いかけた。


「ご名答。俺様の黄泉津大神よもつおおかみだ」


 ドルジは鍔のない短刀――いわゆるドスをテーブルの上に突き刺してみせた。

 擬似魔具アストラとでも呼べばいいか。その形状は以前とは異なっている。


「ご存じそこの小僧から奪った伊弉冉いざなみの権能。そいつを俺様用に改めたもんだ」

「ッ……」


 御巫みかなぎの里で刹那せつな石動曹叡いするぎそうえいと対峙した際、奪われた伊弉諾いざなぎに対して彼女は自身の無名の一刀にその権能を一時的に写し取るという妙技を見せたことがある。

 ドルジのそれも理屈は同じ。だが技巧が遥か上を行く。彼の場合は『写し取る』ではなく『奪い取る』。正真正銘の神格剥奪だ。


「こいつは……洗脳の類か?」

「クク、残念。まだまだお勉強が足りてねぇと見た」


 カインの推測をドルジはここぞとばかりに嘲笑う。


「ま、そんなことはどうだっていい。それよりせっかくの機会だ。仲良くお喋りしようぜ、ご両人」


 ドルジが指で合図すると、近くにいた店員が会釈をしながらジュースを運んできた。あくまでも自然な所作。おかしな機微は一つもない。少なくともカインが言うような洗脳はされていないようだ。


「ほら、座れよ」

「誰がテメェなんかと――」

「おっと! いいのかい?」

「「……!?」」


 しかし次の瞬間、空気が一転した。

 周りの人間がナイフやフォーク、あるいはその場にあった椅子など、とにかく少しでも武器になりそうなものを片っ端から手に取り始めたのだ。それも笑顔で。


「俺様と話し合う気がないなら、ここにいる善良な一般市民どもと殺し合ってもらう。別にそれでも構わないぜ? お前らがどこまで非情になれるのか……そいつを眺めるのも見ものってもんだ」


 選択肢一つ一つを丁寧に潰していく悪意の糸。まるで周到に張り巡らされた蜘蛛の巣のよう。

 獲物は既にテリトリーの中に。



・2・


 結局、選択の余地がなくなったユウトとカインは不本意ながらもドルジの正面に腰かけた。さすがに一般人相手に武器を取るわけにはいかない。仮に戦う事を選んだとしても、ここは五星教会ペンタグル・チャーチのお膝元だ。最悪の場合、彼らまで敵に回す可能性があった。ドルジが人間の格好をしているのもそのあたりが狙いなのだろう。


「まぁそう緊張するなって。別に毒なんて入れちゃいねぇよ」

「……」


 おそらくその言葉に嘘はないのだろうが、それでも差し出された飲み物を素直に飲む気にはなれなかった。


「それで、話っていうのは?」

「ん? あぁ……まぁあれだ。ここらでいっちょ仲直りでもするってのはどうよ?」

「ふざけてんのか?」


 カインはキッとドルジを睨む。


「おぉ怖い怖い。怒るなよ。言ってみただけだって。そもそも期待してねぇ。つってもマジな話、伊弉冉いざなみ牢獄ゆめから自由になった今の俺様にはお前らと敵対する理由はないんだよなぁ」

「だったら何で行く先々で俺たちの邪魔をしやがる。聞いた話じゃバベルハイズでも裏でコソコソ動き回ってたらしいじゃねぇか?」


 バベルハイズでタウルと行動を共にしていた時、彼の口から『ドルジ』という名が零れ落ちたのをカインは耳にしている。結局何をしていたのかは分からずじまいだが。


「あ? そんなの嫌がらせ以外に何があるってんだよ?」

「テメェ……ッ!」

「っつーのもあるが、一番の目的はテメェが持ってた伊弉冉いざなみを取り返すことだな。元々そいつは俺様のもんだ」


 最初の持ち主であるドルジはそう言ってテーブルに突き刺した短刀をコンコンと指で突いた。


「んで、これだ。見ての通りまるごととはいかなかったが、まぁ今のカタチも存外悪くねぇ」


 まるで元の伊弉冉いざなみそのものにはもう興味がないような言いぐさだった。実際、権能の大半を奪い取られてしまった今、彼の目的は概ね達成したと言える。


「……夜式カグラ」


 ふと、ユウトが魔人の真名を口にした。


「……その名前で呼ぶなって言わなかったか? ガキ」


 これまでのチャラついた声から一転して、刃物のような声音がユウトの喉を掠める。


「お前は元々最初の魔道士ワーロック――アベル・クルトハルの眷属だった」


 およそ1000年前を生きたとされる原初の魔道士ワーロック

 その眷属の中でただ一人、彼は今もなお魔人となって生きながらえている。


「なのにお前は仲間を裏切った。それだけじゃない。ぬえを使って御巫みかなぎの人たちをも陥れた。そんなヤツを信用なんてできない」


 あくまでも伝承。誇張され、上書きされ尽くした昔話。真実か否かは今となっては判断のしようがない。

 だがそんなものはもう問題ですらない。


「何より……お前が伊紗那いさなにしたことを俺は忘れてない」


 これが決定打だ。


「ヒヒッ」


 そしてもう一つ、ユウトには確信を確信たらしめるものがある。

 それはもう一人のアベルの眷属――カーミラの最後の言葉だ。

 カグラを止めて、と。彼女はそう言い残して消えていった。鮮烈なまでの彼女の意志は、ユウトの中で今でも生き続けている。


「なるほど……あの時の事もちゃんと俺だって認識できてやがるのか。チッ、さしずめあのクソ吸血姫の入れ知恵ってところか? あー、クソッ!」


 と、ドルジは二人の前で悔しがってみせた。わざとらしく。


「お前の目的はいったい何だ?」


 アベルや他の眷属を裏切り、御巫みかなぎも捨て、魔人に堕ちてもなおその野望は消えていない。

 ある意味、最も警戒すべき敵だろう。


「教える義理はないね! 知りたきゃ俺様をその気にさせるんだな。そうだな……ここは一つ、勝負と行こうじゃねぇか。吉野ユウト」

「勝負?」


 ドルジはテーブルの上にある物を置いた。

 それは逆五芒星のシンボル。細いチェーンが付いているところを見るに首からさげる類のもののようだ。


「これは?」

「心配しなくてもそれ自体に細工はしてねぇよ。こいつは招待状だ」

「招待状?」


 カインはシンボルを手に取り、念のため調べている。


「そいつを持って今夜0時に第五区画の埠頭に行ってみな。そうすりゃあとは流れで分かる」


 第五区画。

 たしかここ星形の海上都市は中心から五分割され、各々に第一、第二、と時計回りに名前が付けられていたはず。各区画には役割がある。ちなみに今ユウト達がいるのはジーザス管轄の第四区画。言わずもがな観光業をメインとした、いわゆる表の顔が集約した場所だ。

 第五区画はその隣の区画。資料で見ただけだが、主に外からの物資を受け入れる海の玄関口として機能しているらしい。おそらくそこにいるほとんどは教会関係者だろう。


「勝負の内容は?」


 カインはシンボルを置いてドルジを睨む。


「焦んなって。話はその場所に来てからだ。心配しなくてもテメェらは嫌でも俺様と勝負したくなる。いや、するしかない。ククク、楽しみにしてるぜぇ」


 ドルジがテーブルから短刀を抜いたその瞬間、彼の姿は虚空へと溶けて消える。同時に周囲の『異常』さも消えた。まるで何もなかったかのように、周りを取り囲んでいた一般人たちは『普段通り』に戻っていたのだ。


「すまんカイン、乗せられたかも……」


 緊張の糸が解けたユウトは疲れた様子で天井を見上げる。


「あぁ、見事な一本釣りだ。十中八九最後に言ってた勝負とやらがヤツの本命……あの言い草だと間違いなくアンタが勝負せざるを得ない理由を用意してるぜあれは」


 全てが挑発。仲直りなんてもちろんおべんちゃら。掻き回すための方便にすぎない。しかしその結果として、現に今ユウトからドルジを無視するという選択肢は完全になくなった。


「……」


 ユウトはドルジが残した逆五芒星のシンボルを手に取る。

 逆さの星。明らかに五星教会ペンタグル・チャーチを意図している感じがする。何よりこれを持っているということは、ユウト達が知らないイストステラの顔があるという証明に他ならない。

 彼はおもむろに裏側を見ると、そこには小さな文字でこう刻まれていた。


「Grand……Guignol……?」


 ――見世物小屋グランギニョル、と。

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