第217話 束の間の休息 -In a certain town-

・1・


「……一応聞いてやるが、それで変装のつもりかよ?」


 とある国。とある小さな町。

 どこにでもあるような喫茶店の中。

 そこで腕を組んで不機嫌そうに座る真紅しんくは、テーブルの向かい側の女性にそう尋ねた。


「うん、まだ見つかるわけにはいかないから」


 彼女――祝伊紗那ほうりいさなは、周囲を警戒しながらウェイターが運んできた紅茶のカップに指をかけた。

 何というか、むしろその所作自体が逆に怪しい。


「俺には帽子被って眼鏡をかけただけにしか見えねぇんだが?」

「……ダメ、かな?」

「チッ、知るかよ」

「む……」


 少し不服そうな伊紗那いさなは変装用の帽子と丸眼鏡を取ると、それをテーブルの上にそっと置いた。

 ダメも何も、はっきり言って彼女はいろんな意味で目立ちすぎる。

 誰もがすれ違いざまに思わず振り返ってしまうような端正な顔立ち。加えてこの辺りでは珍しい日本人らしい黒くてつややかな髪。どういうわけか所々白く変色している部分が垣間見えるが、それすらも人の目を引く要因になっている。

 そして極めつけはその赤い瞳。

 真紅しんくが敗北した吉野ユウトのそれと全く同じ目だ。


「そういえばまだ自己紹介してなかったよね。私は祝伊紗那ほうりいさな。えっと……一応、魔道士ワーロック……です」


 見れば分かる。

 神凪明羅かんなぎあきらに改造された体でなければ気付くこともなかっただろうが、真紅しんくの五感は彼女が呼吸のように自然と纏う魔力――それが常人とは遥かに次元が異なるものだということを嫌というほど感じ取っていた。彼自身はこの感覚に覚えがあるからまだしも、魔力を感知できるそこらの三流魔術師が彼女を見ればさぞ恐怖におののくことだろう。


「……真紅しんく


 向こうが名乗った手前、こちらも名乗るしかない。真紅しんくは渋々といった感じに口を開いた。


「ん? あ、ごめんね」


 ふと、真紅しんくの様子に気付いた伊紗那いさなは小さく深呼吸しながら目を閉じる。するとあれほどまでに警笛を鳴らしてひりついていた真紅しんくの五感が急にスッと和らいだ。

 今、目の前にいるのはただの人間。そう錯覚するくらいには。

 纏っていた高密度のオーラ。それがたちどころに崩れ、彼女の中へと消えていったからだ。


「あなたを威圧したかったわけじゃないの。久々だから加減が分からなくて」

「フン、あんたがどこの誰かなんてそんなモンはどうでもいい。俺が聞きたいのは一つだけだ」

「何?」

「テメェ、何が目的だ? ?」


 真紅しんくは隣で眠っている二人――トレイとケイトを横目に問う。

 名前も、素性も、正直どうでもいい。問題なのは今、この状況だった。

 アメリカで不本意だが吉野ユウトと共闘してギルバートを倒し、その後妙な結界が崩れてからの記憶が真紅しんくにはない。

 と思えば次に目が覚めた時には全く違う場所に飛ばされていた。

 それをやったのは他でもない彼女だ。


「目的? う~ん。そっちの女の子、あと男の子の方も。かなり強い魔力に体を蝕まれてて放っておけなかったから、かな。あなたは二人を守るように気を失ってたよ」

「俺が……?」


 にわかに信じられなかった。

 確かにトレイ達とは利害の一致で行動を共にしていた。だがそれ以上でもそれ以下でもない。あくまでお互いを利用していただけの関係。

 真紅しんくにしてみれば、わざわざ身を挺してまで守ってやる理由がない。


「こいつらは……大丈夫なのかよ?」


 そのはずなのに、気付けば真紅しんくはそんなことを聞いていた。


「体を壊していた魔力の大元は私が取り除いたよ。あとは安静にしてれば大丈夫。2~3日もすれば目を覚ますんじゃないかな。さすがにすぐに全快とはいかないだろうけど」


 確かに体の半分以上を毒のように侵食していた二人の痛々しい亀裂は綺麗さっぱり無くなっている。心なしか表情も和らいでいるように見えた。


「礼なんて期待すんなよ。そもそも俺には関係ねぇ話だからな」

「うん、私が勝手にやったことだよ」

「……チッ」


 全て分かっているかのような笑みが少々癪に障るが、それよりもどこか安心している自分がいることに真紅しんくはそこはかとないむず痒さを感じていた。


「フフ、しばらくはこの町に滞在するからゆっくり休んで」

「おい、どこ行く気だ?」

「店長さんのところ。町の人に聞いたんだけどここ、二階が宿舎なんだって。泊まれないか交渉してみる」


 立ち上がった伊紗那いさなはそう言い残し、テーブルを離れていった。

 怒る気も、ましてや追う気も起きなかった。どこか力が抜けてしまった真紅しんくは椅子に背中を預け、古びた天井を仰ぎ見る。

 束の間の平穏。

 蟲毒でも、箱庭でも、外に出ても、得られなかったもの。

 ただ目の前の敵をぶっ潰す。それだけだった凄惨な日々がまるで嘘のようだ。


「ったく……安心してんじゃねぇよ」


 身を焦がすような憤怒。

 真紅しんくは体の中を血液のように巡るそれを今一度奮い起こす。


「勘違いすんな。俺の目的は神凪明羅あのクソ女を殺して自由になる事だろうが……」


 眠っているトレイ達の隣で、彼はそれを思い出すかのように拳を強く握りしめていた。

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