第213話 命題の否定者 -The white wisdom-

・1・


「OK……まずは状況を整理しようか」


 会議室の最奥に静かに腰かける宗像冬馬むなかたとうま。彼は額に手を当てながら唸るようにそう言った。


「そうだね、今回は有意義な議題が盛り沢山だ。君は相変わらず面白い問題を抱えて戻ってくるね」

「アハハ……」


 神凪夜白かんなぎやしろにそう言われ、件の中心である吉野ユウトは気まずそうに微笑んでいる。

 今、会議室いるのは4人。冬馬とうま夜白やしろ、ユウト――


「まずはお前の新しい眷属についてだ。ユウト、率直に言うが本当にその子フランを信用できるのか?」


 そして冬馬とうまの言う新しい眷属――自らをフランドール・カンパネリアと名乗る少女だ。

 彼女の出自については既に皆に周知しているが、その是非については本人を交えたここにいるメンバーで話し合うこととなった。


「彼女が神凪明羅かんなぎあきらの複製体だということは間違いない。見た目はもちろん、先日の受肉した魔具アストラ——いわゆる叡神グノーシス。その素体に使われた同じく彼女の複製体とDNAが100%一致している。これは本来ならありえない数値。紛うことなき同一人物と言えるね」


 二人が懸念するのはもっともだ。

 実際、フランを知らない者からすれば、敵のスパイを受け入れるようなもの。むしろ警戒しない方がどうかしてる。それはユウトも十分に理解していた。その上で彼は新しい眷属を――フランを守らなければならない。


「確かにフランを作ったのは神凪明羅かんなぎあきらだ。けど彼女は彼女。神凪明羅かんなぎあきら本人じゃない。俺は同一人物って言葉で括りたくない」

「ふむ、体は同じでも心は別物。随分と感情的な意見だね」


 言っていることは正しいのかもしれない。けれどこと議論の場において感情論はご法度だ。どこまで行っても己の主観でしかないそれを決定打にしてしまっては大局を見誤る。


「もちろん感情だけじゃない。俺はこの子に助けられた。力を失ってた俺を殺そうと思えばいつでもできたはずだ。それをしなかったのはこの子の中に神凪明羅かんなぎあきらがいない証明にならないか?」

「……ユウト」


 黙って俯いていたフラン。そんな彼女に夜白やしろは視線を向けた。


「君の意見を聞かせてくれるかい?」

「……アハハ、やっぱり僕なんかを信用しろって言っても無理だよね……」


 少し自虐的笑みを浮かべるフラン。彼女もこの問題がどうやっても避けられないものだということは重々理解しているのだろう。

 しかし相手の返答は意外なものだった。


「実際そうでもないんだよね。僕たちだって君の全てを疑いたいわけじゃない。現に君はユウト君の眷属になった。ユウト君の魔法の性質上、その時点で一定の信頼は勝ち得ていると言ってもいい」

夜白やしろの言う通りだ。要は君が俺たちにとってのバックドアにならないかを懸念してるんだ。例えば君の意識を乗っ取って神凪明羅かんなぎあきらが何かを仕掛けてくるとかな」


 夜白やしろの言葉に冬馬とうまが続けた。


「あ、それはないかも! ……です……」

「続けてくれ」


 急に声のトーンが上がってしまい自重するフランに冬馬とうまは説明を続けさせる。


「だいぶ前にマスターは僕のことを100万人に一体の『絶望的なハズレ個体』って言ってたんだ。肉体や能力は同じでも、マスターの思考ネットワークにアクセスできないからって。僕にはよくわからないけど……」

「仮に神凪明羅かんなぎあきらにフランの意識を乗っ取るような干渉ができるならそれはそれで使い道があるはずだ……そうか、それすらできないからあいつはあんな場所にフランを捨てたのか」


 自分なのに、自分ではない自分。

 自分の完璧な複製を作るような人間の思考は理解できないが、少なくとも統率からはみ出しただけでなく、『ハズレ個体』と切り捨てたからには、明羅あきらにとってフランは既知の枠を出なかったのだろう。

 その上での『ハズレ』の烙印。

 あの時、箱庭で彼女がフランに興味を示さなかったのも今なら頷ける。


冬馬とうま


 ユウトは冬馬とうまに視線を送る。これでも足りないのかと、言葉はなくとも視線は雄弁に語っていた。


「……はぁ、分かった分かった。夜白やしろ、答え合わせだ」

「うん」

「ん? 答え合わせ?」


 ユウトとフランは揃って首を傾げた。



・2・


「結論から言うと、フラン君は信用しても問題ない。神凪明羅かんなぎあきらに乗っ取られる心配はそもそもないし、仮にあったとしてもユウト君の眷属になった時点である程度の耐性を獲得しているはずだよ」

冬馬とうま、どういうことだ?」


 フラン自身でさえ曖昧なことをどうして夜白やしろがはっきりと断言できるのか? それがユウトには理解できなかった。


「ま、今回はお前に運が味方したってことだ」

「運?」

「アメリカで君たちが追い詰めた神凪殺かんなぎあやめ。彼女が死んだことで、その席を僕がいただいたのさ」

神凪殺かんなぎあやめが、死んだ……?」


 あの時、あともう一歩のところで逃がしたあやめの死。

 その衝撃的な情報はジョエル・ウォーカーからもたらされたものだった。


「彼の情報は正しい。僕自身が証明できたからね」


 夜白やしろによると、自分自身は『神凪かんなぎ』の名を冠しているとはいえ、未だ半端な状態にあったらしい。その最たる理由。それは夜白やしろに他の神凪かんなぎたちのような明確な命題――外なる叡智を用いた革新が存在しないことにあった。


「前提として、僕が神凪かんなぎのネットワークにフルアクセスするにはどうしても命題が必要だ。だけど一度命題を定義してしまうと、僕はもうそれしか実行できなくなる。あらゆるしがらみを排して、他の神凪かんなぎと同様にただただ命題成就のための執行者に。それこそ君たちと袂を分かつことになるだろうね。神凪かんなぎとはそういうものらしい」


 冷静に夜白やしろはありえたかもしれない未来を語った。


「もちろん僕自身、それは望まない。冬馬とうまやアリサ君を裏切るなんてもっての他だからね。だから僕は違う手段を取ることにしたんだ」

「違う手段?」

「命題の逆。つまり他の命題を閲覧し、それを否定する」


 神凪殺かんなぎあやめの死は、その選択を可能にした。

 それは自らの命題を示すことなく、半端者のまま外なる叡智に触れる方法。


「否定するには材料が必要だ。それが本人が死ぬことでプロテクトが緩くなった叡智にアクセスする理由かぎになる」

「つまり、神凪殺かんなぎあやめの命題を乗っ取ったってことか?」

「そうそう。正確には彼女を否定するためにその座に僕が付いたってところかな。おかげで外神機フォールギアの設計および量産。その他外なる叡智を用いた魔導兵器の情報を入手できた。それに加え、彼女は他の神凪かんなぎをよほど調べていたようだね。全てではないけど、かなり彼らについて閲覧することができたよ」


 天上の叡智グリゴリの構成員。そして各々の命題。その過程を。

 無論、その中には神凪明羅かんなぎあきらの情報も含まれる。

 夜白やしろが彼女を語れるのはそういう理由だった。


「それなら……僕は、ユウトと一緒にいてもいいってことだよね? やった、やったよユウト!」


 両手の拳をギュッと握りしめ、フランはユウトに駆け寄った。グリグリと頭を擦りつけ、猫のように嬉しさを表現している。

 そんな彼女たちを眺めながら、夜白やしろは両手をパンと叩く。まだ彼女の話は終わっていないようだ。


「むしろ問題は冬馬とうま、君の方だ」

「俺?」

。彼について僕たちに話すべきことがあるんじゃないのかい?」

「ッ……!?」

「黒い、神凪かんなぎ……?」


 夜白やしろから唐突に糾弾された冬馬とうまは僅かに眉をひそめた。

 その機微を彼女が見逃すはずがない。

 だからこう続けた。


「ずっと眠り続けていた祝伊紗那ほうりいさな。彼女が目覚めたのも、そいつが何か関わっているんだろう?」

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