第211話 黄金と黒幕と -Behind the end-

・1・


 手応えはあった。確かな手応えが。

 だが、


「ッ、逃がしたか……」


 カインの右腕の中にあるのは、神凪殺かんなぎあやめが取り込んでいたベルヴェルークのロストメモリーだけだった。


「クソッ!!」

「いや、上出来だ。これでヤツの手の内は尽きた。あとは私が引き受ける」

「おい、随分と勝手じゃねぇか?」


 カインは立ち去ろうとする腹違いの兄――神凪滅火かんなぎほろびの左腕を掴んだ。

 すると――


「「ッ!?」」


 一瞬、二人の脳裏にが映った。


「……何だ、今の……」


 吐き気がする。酷い眩暈も。

 憎悪、そんな言葉では到底表現できない、形容し難い感情に犯された気分だった。


「我々の父親……この腕の本来の持ち主だ」

「……何?」


 無意識に、カインの右腕がもう一度滅火ほろびの左腕に伸びる。


「やめておけ。私の神定これ神喰それの対極にあたるものだ。干渉しても良いことはない」

「……」


 自分の行動に気付いた彼はそっと右腕をひっこめる。

 対極と言いながら、確かに引き寄せられていた。

 だが今はそれ以上に滅火ほろびの言葉が引っかかっていた。


「今、本来の持ち主っつったか?」

「言葉の通りだ。創造を司る私の左腕と、破壊を司る君の右腕。これらは本来ある男に宿った一つの外理カーマだ。だが、その力は一人の人間に宿るにはあまりに強大過ぎた。今まさに君が体験したように」


 物心ついた時からこの右腕は共にあった。

 それが顔も知らない父親から植え付けられたものだと?

 だとしたら――


「……ッ」


 だとしたら、それはカインの人生これまでが大きく覆る事実だった。


「話はここまでだ。私はヤツを追う」

「ふざけんな! こんな中途半端なところで――」


 カインは滅火ほろびを引き留めようとしたが、彼の神定デウス・ルーラーがそれを阻む。その力で距離と方位を誤認させる新たなルールが生み出され、瞬く間にカインは滅火ほろびを見失ってしまった。


「父親……今更そんなもんに……」


 その時、彼の背後で空間に亀裂が走った。


「ッ……!?」


 カインは瞬時に武器を構えるが、どうやらそれは杞憂のようだ。


神凪殺かんなぎあやめ!!」


 異空間から巨大な龍と共に現れたのはユウトと、彼と共に先へ行った仲間たちだったからだ。


「カイン!? そっちに――」

「もう終わった」

「へ……」


 思わず素っ頓狂な声を漏らすユウト。

 カインはそんな彼を見て小さく溜息を吐きながら魔装を解く。


「イイところをかっさらって悪ぃな、寝坊助」

「……」


 唖然とするユウトに向け、カインはいつも通りの軽口を叩いた。



・2・


「……クソ、が……クソがッ! クソがぁッ!!」


 市内全土、地下に張り巡らされた神和重工かむわじゅうこうの要人用秘密通路。そのうちの一つに逃げ込んだ神凪殺かんなぎあやめは、冷たい石の壁に自身の拳を叩きつけながら呻いていた。


滅火ほろびィ……アイツの邪魔さえなければ……ッ」


 実際、彼の介入は予想外だった。

 前々から絶望たつも明羅あきらに妙に干渉していることは気付いていたが、それもあくまで許された範疇。

 だが今回は違う。干渉ではない。彼はあやめの命題の邪魔をした。


「ハハ、苦しそうだね。あやめ


 そんな中、暗闇から牧師のような姿をした一人の青年が姿を現す。


「テメェ……」

「あ、あやめ……お姉ちゃん……」


 その彼の後ろでは神凪絶望かんなぎたつもも顔を覗かせている。


「これはどういうことよ我欲がよく! 裏切り者の抹殺はテメェの仕事だろうが!!」


 神凪我欲かんなぎがよく――またの名を黄金の叡智。

 青年はにこやかな笑みを崩さなかった。

 そもそも、神凪かんなぎは各々の命題の邪魔をしてはならない。

 それが無類の自由と叡智を約束される彼らに課された唯一にして絶対のルール。我欲がよくはその管理を任されている。


「うんうん」


 今回のあやめに対する滅火ほろびの行動はそれを逸脱していた。明確な裏切り行為だ。

 少なくとも、我欲がよくが姿を現す場所はここではない。


「ごめんねぇ。君の言う通り、本来なら神凪かんなぎ同士の争いはご法度なんだけどさ」


 しかしあくまで何事もなかったように、落ち着いた声で我欲がよくは人差し指を口元に当てた。


滅火ほろび君はちゃんと調停者である僕にを支払ったからね」

「そ、その、み、見返りとして……今回の一件は目を瞑る……みたい、です……」


 やはりか、とあやめは唇を切れるほど強く噛む。


「……テメェ、ふざけてんのか?」


 本当にふざけた話だ。

 経緯はどうあれ、目の前の男の匙加減一つで自分の計画が瓦解したとくれば、ムカつかないわけがない。


「ふざける? とんでもない! これでも僕は君の行動にも随分と目を瞑ってきたんだよ? 何と言っても家族だからね!」


 まるで演説でもするかのように、我欲がよくは両手を広げ、大袈裟に声を張る。


「本来、君の命題は君自身で達成されなくてはならない。争いの連鎖……思考と憎悪、欲望の果てに人の進化を促す。素晴らしいよ! ならばこそ君はその先導者たるべきだ。なのに君は周囲を、他の神凪かんなぎさえも駒のように使って弄ぶばかり。大いなる叡智を授けられながら、君自身には何もない。今のようにね」

「何……ッ」

「だから僕は滅火ほろび君の願いを聞いたのさ。たかが彼の寿命の半分程度でね」


 我欲がよくはあくまで声音は変えず、しかし暗い瞳であやめを見下ろしている。


「彼は君にとっての試金石にちょうど良かったからね。君が彼に負けるようであれば、君の命題にもはや価値はない――


 その瞬間、あやめの全身に鳥肌が立った。

 粛清の対象――それが自分だと気付いたから。


「ッ……」


 殺られる前に殺るしかない。

 そう思った矢先、あやめの動きが止まる。


「ご……ぶっ……」


 突然、彼女の胸に拳大の風穴が抉られたからだ。


「な、んで……ここに――」

「ひ、ひぃ……ッ!」


 絶望たつもが悲鳴を上げる中、当の本人は事態を理解する間もなく、今度は音もなく頭が虚空へ消し飛ぶ。消しゴムで消すより遥かに簡単、まるでノートに書いた絵をそのまま破いて捨ててしまうかのように。


「悲しいね、家族とはいえ、いなくなるのは……君たちもそう思うだろう?」


 首に下げた十字架を手に祈るように目を瞑りながら、彼は背後の人影に問いかけた。


「君の手間を省いたつもりだったんだがね」

「……」


 そこにいたのは、現エクスピアCOO――ジョエル・ウォーカー。

 そして寡黙な秘書、ロドリゴ・サンチェスだった。

 ロドリゴの手には狼の頭部のような装飾が施された銀の銃が握られていた。それがあやめにトドメを刺した魔遺物レムナント


「……フェンリル」


 息を呑む絶望たつも。世界中で魔具アストラを売り捌く彼女ですら、今の今までその所在が分からなかった代物だったからだ。


「ハハ、盟友ギルバートの仇討ちの間違いでは?」

「否定はしない。まさか彼が君たちに取り込まれていたとは……」

「僕に嘘は通じないよ。君は、その事実を知っていた。だよね?」


 一瞬、驚いたような表情を見せるジョエル。しかしすぐにそれをポーカーフェイスで隠す。


「さすがは黄金の……いや、今の君は五星教会ペンタグル・チャーチ第3滅星トリトス・アステール――ゼラート・アルデバランと呼ぶべきかな?」

「どうしよう絶望たつも君! 僕の正体バレちゃったよ!?」

「え、えぇ……そ、そんなこと言われても!?」


 そもそも牧師の格好をしてる時点で隠す気がないのでは? ともっともな考えを抱く絶望たつも。しかし極度のコミュ障である彼女にそれを言う勇気はなかった。


「なに、争う気はないさ。ただ黄金の叡智殿と少し話をしたくてね」

「……話、ね」

「その話、私も混ぜてもらおう」


 突然、二人の会話に割って入ったのは神凪滅火かんなぎほろびだった。

 彼は静かにあやめだったものを一瞥しながら、我欲がよくではなくジョエルを見据えた。


「ジョエル・ウォーカー……」

「フッ、久しぶりの再会を祝う……という空気ではないか。我が息子よ」

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