第207話 夢幻の可能性 -Anticipator-

・1・


『ハハハハハハハハッ!!』


 凶悪な笑い声が木霊する。


「こんにゃろ!」


 飛角ひかくはガルムを取り出し、あやめに漆黒の夜空を思わせる冥爪を振り下ろした。光さえ抉るその爪に切り裂けないものはない。しかし――


『それがどうした!!』

「う……ッ!?」


 ただ一喝。それだけで凄まじい覇気が押し寄せ、飛角ひかくの接近を阻む。それどころか彼女の体はいとも簡単に吹き飛ばされてしまった。



 ――ピシッ!



 同時に、御影みかげの魔法で展開されていた血の牢獄結界が不気味な音を立て始める。


「……これ、マズくない?」


 空間の軋み。上から迫るような不気味な音。

 それを察知した飛角ひかくはユウトに視線を送った。


「ユウト! たぶんこれ僕たちがいた箱庭と同じだよ。きっとさっきのでこの空間が維持できなくなったんだ!」

「ッ……」


 元々この結界は御影みかげの魔法を暴発させることで生まれた、そもそもの存在自体に無理がある代物。彼女をコントロール下に置いていたあやめなら、その危ういバランスを簡単に崩すことができる。

 フランの予想が正しいなら、この先に待っているのは亜空間の消滅だ。


『クク、奥の手っつーのはこういう時のためのもんだ!』


 あやめは自らに取り込んだベルヴェルークを手元に召喚し、虚空を突き刺す。そしてまるで鍵を回す絶槍を捻ると、そこにただ一つの『出口』が出現した。


「俺たちを閉じ込める気か!?」

『優先順位の問題ね。このまま直接ぶち殺すのもいいが、そろそろなの。それにテメェらみたいなのは一人ずつ、お仲間の首を拝ませた方がイイ顔を見せてくれそうよね』


 嗜虐的な笑みを浮かべるあやめ。彼女の狙いは外へと向いていた。


「お前……ッ」


 もはや『箱』という体を失い、内と外の概念さえあやふや。こんな状態で下手に結界を刺激すれば何が起こるか分からない。完全に崩壊しきって現実空間に戻るその時まで、ここは真の意味で牢獄と化してしまったのだ。


『せいぜいそこで指をくわえて待ってなさい。全能の果実――神凪殺かんなぎあやめの命題が成就するその瞬間を。アハハハハ!!』


 嗤笑するあやめは、そのまま出口の闇へと消えていく。



・2・


「追わなくていいのか?」


 鎧を解いた真紅しんくがユウトに尋ねた。

 彼の言う通り、今すぐにでもここを破壊して追うべきだが……


「ダメだ。この空間と御影みかげの魔力はまだ繋がってる。下手に壊せば術者本人にも影響があるかもしれない」


 おそらくそれも見越した上での足止め。

 最も重要なタイミングで、最も危険視すべき戦力を確実に止めるための策。

 鳶谷御影とびやみかげというたった一つの要素を余すことなく利用し、神凪殺かんなぎあやめは吉野ユウトを抑え込むあらゆる策略を何重にも仕込んでいたのだ。


「~~ッ」


 そんな中、ユウトと真紅しんくの間に人影が割って入った。

 フランだ。ユウトを守るように両手を広げている。


「あ? 何だよ?」

「またユウトを傷つけるつもりなら……僕が許さないよ」


 普段の陽気な彼女からは考えられないキッとした眼光で彼を睨みつける。

 明羅あきら実験場はこにわでの一件。

 筆舌に尽くし難い経験がフランを突き動かしていた。


「相手にしなくても大丈夫よ。少なくとも今は、ね」


 煌華コウカが気を張るフランの肩に手を置いた。


「あなたも約束、覚えてるわよね?」

「……チッ」


 彼女に何かを手渡され、真紅しんくは黙って背を向ける。そして気を失って倒れているトレイとケイトの元へと歩いて行った。


「勘違いすんな。別にお前たちを助けようなんて思っちゃいない。俺は、俺がぶっ潰したいヤツをぶっ潰す。それだけだ」

真紅しんく……」


 煌華コウカとの間に何があったのかは分からない。ただ少なくとも今はその矛先がユウトたちには向いていない。それは確かなようだ。

 あくまで彼の目的は最初から倒れている例の二人だったらしい。


「フフ、とりあえず御影みかげは取り戻したわけだ。お疲れさん」


 突然背後からグイッと飛角ひかくがユウトに寄り掛かった。


「お、おい……今は」

「あー気にしないで。そいつだけ密着するのがなんかズルいとか、そんなこと微塵も思ってないから」


 ずっとユウトに抱きかかえられたままの御影みかげを見て、彼女はフッと小さく笑みを見せる。


「それよりどうする? 下手に壊せないとはいえ、手をこまねいてばかりもいられないよ?」

「あぁ、それについては一つだけ解決方法があるかもしれない」

「あら、そんなものがあるの?」


 煌華コウカは興味ありげにユウトの顔を覗き込んだ。


「……ん? それって」

「たぶん、飛角ひかくが考えてる通りだよ」


 制御を失った結界。それを維持できないほど弱った術者。

 この場を切り抜けるには、その二つを同時に解決する必要がある。

 そしてそれが叶う選択肢が一つだけ、ユウトにはあった。


御影みかげとアリスの眷属契約……



・3・


「チッ……どうも天使ってヤツは好きになれねぇな」


 カインは目の前に佇むアリスを見て、そう呟いた。

 物語の中ならともかく、彼の人生においてその名を冠するものにいい思い出が全くない。


「まぁいい。気に入らねぇ天使様をぶっ潰せるまたとないチャンスだ」

「っておい、うちのメアリーに酷いことすんなし」


 不穏な彼の言葉に、隣でシーマが思わずツッコミを入れる。


「大丈夫だ。方法は考えてある。要はメアリーを傷つけずに、アリスだけをぶっ潰せばいいんだろ?」

「あるの? そんな方法……」


 メアリーとアリスは人格を分けた同一人物。

 生かすにせよ殺すにせよ、どちらか一人だけをなんてことは不可能だ。


「おい、そろそろ行けるな?」

(フフ、主様もお人が悪い)


 誰に言うでもないその言葉に、脳裏で伊弉冉いざなみの意思が応えた。


わらわというものがありながら、下賤な魍魎グレンデルなどに浮気して……およよ……)

「ハッ、よく言うぜ。テメェ、そのグレンデルをずっと掌握しようと必死だっただろ」

(……何のことでしょう?)


 あくまで伊弉冉いざなみは知らぬ存ぜぬだが、真魔装中のカインは明らかにその機微を感じ取っていた。

 彼女がグレンデルを侵食する。すなわち、真魔装がより最適化されていくその感覚を。


「御託はいい。さっさとやるぞ」

(はぁ……御心のままに)


 そう言うやいなや、魔装に変化が起こった。

 黒と白。二つに分かたれた夢幻の力が一つになった真魔装。その猛々しい力が瞬く間に静まり返る。波一つない水面のように。

 それを表すように、混神Chaos Breakerの魔鎧にも変化があった。

 よりしなやかに。より洗練されて。

 シンプルながらもまるで一つの芸術作品のような完成された美を以て。


「なるほど……悪くねぇ」


 カインは得物を地面に突き刺し、肩慣らしとばかりに両の拳を握る。そして地面を蹴り、一気にアリスに迫った。


「―――――ッ」


 外敵を察知したアリスはすぐさま反応し、光の翼を刃に変えて応戦を開始する。

 迫り来る光の撃雨。

 超高速、超威力、さらには変幻自在。

 絶望が降り注ぐ。


「―――!?」


 しかしカインはその動きを初めから全て知っているかのように紙一重で避け、一切無駄のない動きで彼女の腹部に拳を叩き込む。


「ハッ!」


 そうして怯んだ隙に両腕を蹴り上げ、そのまま続く二撃目で彼女の体を吹っ飛ばした。


「――ッ――排j――予idる――」

「何言ってるか分かんねぇよ。文句があるんならいい加減目を覚ますこった!」


 カインは地面に刺していた銃剣を引き抜くと、シリンダーを展開し、ロストメモリーを装填する。


Grendelグレンデル, Sandalphonサンダルフォン ... Dual Loading』


 トリガーが引かれ、地水火風4種の属性を宿す幻影大剣が彼の背後に扇状に展開された。


「そいつはもう見た」


 何かが起こるよりも前に、カインはそう呟く。


「――ッ!?」


 黄金樹の根が地面を裂き巨槍となる――その直前で炎の幻影大剣が地割れに突き刺さり、焼き払われた。それだけではない。後に続くアリスのあらゆる攻撃が直前で刈り取られていく。


「――不――知if――――」


 全て初見の攻撃パターンのはず。なのにカインはその全てを完璧に把握していた。


 ――予知夢アンチシペイター


 それが夢を司る伊弉冉いざなみが魅せる新たな力。

 同一世界上に起こり得る全ての事象を夢として展開・体験し、最適解を選択できる。さらに――


『Awakening mode』

「――――――――――」


 展開した夢の一つを現実に切り替えシフトできる。

 ちょうど今、『正面のカインがアリスの攻撃を防いだ現実』と『カインがアリスの背後を取った現実』。

 同時には起こりえない現実――数多の可能性を。


『Maximum charge!! Chaos Break!!』


 夢幻ゆめまぼろしのように瞬時に繋ぐ権能。


「ハァッ!!」


 まるで瞬間移動のようにアリスの背後へ移動したカインの神喰みぎうでが獰猛な光を帯びていた。直後、異形の右腕は彼女の胸を背中から抉る。

 そして彼はそこから何かを強引にもぎ取った。


「よっと。ホラ、大事に持ってろ」

「おっとっと……何これ?」


 シーマの手の中にはロストメモリーによく似た形状のメモリーが収まっていた。先程カインがアリスからもぎ取った光の塊。それが変化したものだ。


「そいつはメアリーの魂だ」

「ッ!? それって、伊弉冉いざなみの……」


 かつて海上都市イースト・フロートで生きた多くの人々が囚われた悪夢の牢獄。これはその応用だ。

 人の魂をデータのように扱えるこの力なら、それを取り出し、一時的に別の何かに収めることは難しくない。


「これで心置きなくアイツをぶっ潰せる」


 カインは銃剣を構え、正真正銘、ただ一人のアリスとなった天使を見据えた。

 だが――


「…………何だ?」


 突然、アリスの胸が裂けた。


「「ッ!?」」


 否――裂けたのではない。『出口』が繋がったのだ。


『クク、クククク……見~つけた』


 そこから這い出てきたものは――

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