第206話 届く手 -Place to return-

・1・


『テメェ、何でここに――』

「ッ……話は後だ!」


 今、この瞬間。

 この好機を逃してはいけないと、ユウトの直感が叫びを上げていた。


『おいッ!?』


 駆けるユウトを追うように、真紅しんくの体からひとりでに焔の波が飛び出す。それはやがて煌びやかな大鷲の形を得て、灼焔の翼を広げた。


「助けが必要かしら?」

煌華コウカ!?」


 一度は真紅しんくに殺され、肉体が滅んだはずの彼女が突然現れれば驚きもする。だが、何にせよ考えるのは後だ。


「頼む! 手を貸してくれ!」

「フフ、了解♪ ちょっと熱いわよ?」


 直後、ユウトの視界を不死鳥の炎翼が覆い尽くした。

 触れればたちどころに腐り落ちる腐食の炎。だが不思議と不安はない。むしろ安心感すら感じている。

 だから彼は構わず走り続けた。彼女と共に。


『Cross Kouka!!』


 理想写しイデア・トレース神衣かむい――その力で魔神を纏う。

 本来、ロストメモリーはユウトが生み出すメモリーとは似て非なるものだ。以前使用した際には、ユウトの魔法と反発したこともあった。

 しかし、今この瞬間は違う。

 煌華コウカの中にある鳳凰ほうおうの所有権を得た今の彼ならば……纏える。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 炎の殻を突き破り、文字通り彼女と一体となったユウトは真緋の灼牙アル・アサド・ルフスの刃を男神ギルバートの巨体に突き刺した。


『ぐあ……ッ! 何故、魔法が届く!?』


 叡智の結晶たる男神の鎧がみるみるうちに崩壊していく。

 神炎と腐炎が混ざり合い生まれた無限――再生と破壊の相乗効果。その力は魔力を分解する魔血の盾すらも燃やし尽くすほどだった。


「返してもらうぞ!!」

『まだだ!!』


 ギルバートは防御を捨て、右腕の再生に全魔力を注ぎ込む。瞬く間に再生した男神の巨腕は不完全で歪な形ではあるものの、敵を叩き潰せるなら問題はない。


『吉野ユウトォォォォォォ!!』

『おいコラ、こっちを無視してんじゃねぇよ』

『!?』


 いつの間にかギルバートの肩に取り付いていた真紅しんくの紅い眼光が彼を見下ろしていた。


『ヴァアアアアアアッ!!』


 真紅しんくは獣のように吼えると、再生したばかりの腕を掴んで力任せに引き千切る。


『何だ、これは……何かに、侵食され――』

「ッ!!」


 ユウトは大剣をさらに奥へと押し込み、刃はついに核へと至った。


御影みかげ!!」


 そして彼は囚われた彼女へ、力一杯手を伸ばす。



・2・


「――か――ッ――げ――!!」


 響く。うるさいくらいに。

 でも、何故だか安心する……そんな声。


「――かげ――御影みかげ!!」

「……ッ、ん……」


 どこまでも沈んでいく。深い深い眠りの中。

 その流れに逆らうように、強引に腕を掴まれたその瞬間――

 鳶谷御影とびやみかげの重たい瞼は開かれた。


「ユ……ウト……さん」

「ッ!? 御影みかげ! はぁ……よかった……」


 彼女の体を抱きかかえていたユウトの腕に力が篭る。その機微を触れた途端、御影みかげの中で押し殺していた感情が涙となって溢れ出した。


御影みかげ……?」

「……遅すぎです」


 血に染まった手で、彼女は優しくユウトの頬に触れる。


「……だけど、信じていました……あなたはきっと、来てくれるって……」

「……あぁ、当たり前だろ」


 ユウトはその手を優しく握り返した。

 その時ほんの一瞬だけ、安心感とは別の感情が御影みかげの心をチクリと突き刺した。


「……」


 握ってくれたこの手は、彼のために『普通』であり続けようとした手だ。


(死と隣り合わせの戦いばかりで、すっかり『普通』を忘れてしまったこの人が帰れる場所……)


 ずっとそれが自分の役目だと信じてきた。

 他の誰でもない――誰にも渡したくない自分だけの居場所。

 ただの自己満足と言えばそれまでだが、それでも彼女にとっては何よりも大事なことだったのだ。

 なのにそれが血で汚れてしまった。完膚なきまでに。


「……私」


 この手は誰かを救うための手。

 なのに多くの人を狂わせた、苦しめた。そして今もなお。


「……私は――」

「後で聞くよ」

「……え」


 離さないとでも言うように、ユウトの握る手に力が篭る。さっきよりももっと温かい手で。


「全部終わらせて帰ったら、また説教してくれ。思ってること全部……今度はちゃんと聞くから」

「……ッ」


 その言葉を聞き、彼女は全身が燃えるように熱くなるのを感じた。


(あぁ……なんて馬鹿なんでしょう)


 馬鹿だ。馬鹿すぎる。我ながら呆れてしまうほどに。

 全部どうでもよくなってしまった。

 彼の口からそんな言葉を聞いた程度で。

 たったそれだけのことで――



「ねぇ、この子がを断った理由かしら?」



 と、思っていたが……やはりそれは甘い考えだったようだ。


「お、おい……」


 背後からダラリとユウトにしなだれかかり、彼の肩から顔を覗かせる煌華コウカ

 彼女は物珍しそうに御影みかげの顔を覗き込み、とんでもないことを言い出した。


「先約がいるなら言ってくれればいいのに」

「い、いやいや……子作りとかそういう話じゃなくて……というかあの時は――」

「……ユウトさん」

「ッ……!?」


 昂った熱も一転、ひどく冷めた瞳でユウトを見つめる御影みかげ


「……フフ」

「アハハ」


 だけど次の瞬間、二人の内から込み上げてきたものは垣根なしの笑い声だった。

 純粋で、自然体で、心安らぐ。

 そんな――


「後でお話があります」

「……はい」


 『普通』は無理でも、そこには確かな『日常』が戻っていたから。



・3・


『何だよ……それは?』


 真紅しんくは倒れているギルバートを見下ろしながらそんな言葉を零した。


「……」


 混沌神機カオスギアで纏っていた男神はユウトと真紅しんくによって破壊され、今のギルバートは生身だ。


 否、


『テメェ……?』


 人の身で傷つけば血が流れる。当たり前だ。

 けれどそんな当たり前がギルバートには当てはまらなかった。


「……あぁ、そうか」


 その代わり、彼の傷口から垣間見えたものは無数のケーブルと回路、そして血飛沫の如く飛び散る火花だった。


「私はすでに……君の一部だったのか」


 完全自立型機械人形パレイドリア・オートマタ

 それがかつて世界を革新した男――ギルバート・リーゲルフェルトの正体。


『あーあ、バレちまったか』


 ゆっくりと近づいてきた神凪殺かんなぎあやめは、彼を抱き起こす。


「お前、自分の仲間を――」

『おいおい勘違いすんなよ? 望んだのはアイツ自身だ』


 あやめはユウトの糾弾を鬱陶しそうに振り払った。


『私は手を貸しただけ。感謝こそすれ、恨まれるいわれはないわね。そうでしょ、あなた?』


 ギルバートが機械人形オートマタだったとして、なら本物は?

 最悪の場合、もういない。おそらく死んだ本物を彼が引き継いでいる可能性が高い。完全自立型機械人形パレイドリア・オートマタには元となる人間の思考や技能を完全再現できる機能が備わっている。

 加えてもう一つ。


『皮肉なものよね。統一された全にこだわるアイツが、テメェの理想を叶えるために自分という個をデータにして残すことを選んでんだからなぁ。ま、そんなところが最ッ高に狂ってて私好みだから手を貸したわけだけど』


 機械ゆえに寿命も存在しない。すなわち事実上の不死だ。

 それは人として生きることを捨てる代わりに、意志だけを永劫にする悪魔の契約。


「私にはどっちも趣味が悪いとしか思えないけど」

「コピーは自分じゃない……自分は一人だけなんだよ。それを捨てちゃうなんて……」


 そう言いながら、飛角ひかくとフランが駆け寄ってきた。

 彼女たちもかなりボロボロだが、何とか猛攻を切り抜けたようだ。今や凍血の猟兵団エインヘリヤル・サングィスは壊滅状態だ。


『それに関しては私も同意見ね。自分が満たされなければ意味がないもの。誰かに託す? ハンッ、理解できないわね』


 あやめは動かなくなったギルバートを放し、立ち上がった。


『だからこそテメェだ!』


 そして突然彼女は真紅しんくを恐ろしい形相で睨みつけた。


明羅あきらの駄犬風情がよくも……私の探究があんなガキより劣ってるって言いてぇのか!?』


 髪を搔きむしる彼女の手がどんどん激しさを増す。

 神和重工かむわじゅうこう製の最高硬度の装甲。加えて魔道士ワーロックの魔力すら分解する血の盾。極めつけはアップデートした混沌神機カオスギア

 どういう理屈か、それら全てをタナトスの鎧に一蹴された。

 それはつまり、明羅あきらの叡智があやめの叡智の上を行ったに他ならない。

 その揺らぎようのない事実が彼女にとっては何よりも屈辱だった。


『ふざけやがって……ッ! もうルールなんて知ったことか!! 邪魔するヤツは皆殺しだ!! そうよ、最初からシンプルにいけばよかったのよ。アハハ、アハハハハ!!』


 狂ったように嗤うあやめは、混沌神機カオスギアのトリガーを引く。


『Destroy!! All eliminate』


 すると、彼女に接続された黄金樹の輝きが、さらなる獰猛な光を迸らせた。


「うっ……ああああああああああ!!」


 同時に御影みかげが突然苦しみ始める。原因はおそらく、彼女の胸元に刻まれた眷属の刻印。それが同種の光を放っていた。


御影みかげ!? お前何を……ッ!!」

魔道士ワーロックが眷属を作るとき、力の歩合を決められるのは知ってるか?』


 当然、それはユウトも知っている。

 通常は主である当人が多く設定されるものだ。アリサや刹那せつなは特に意識することもなくそうなった。しかし一方で、リュゼの時には五分の契約なんてケースもあった。


「まさか……」

『そのまさかだ! 私はアリスとで契約してる!! その気になればこういう事だってできんだよ!!』


 主さえ支配する眷属。

 彼女の狂気に染まるかのように黄金樹の輝きは限界を超え、ついには燃え始めた。

 そして――

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