第202話 進化する翼 -Flugel-

・1・


 数分前――


「えっ!? 魔装……私が、ですか……?」

「えぇ。アリス……ううん、私たちのメアリーを救い出すために、レイナの力が必要なの」

「私の……魔装……」


 この状況を打開するためにシーマが提示した策。それは意外にもレイナの魔装だった。

 確かにスレイプニールとはもうかなり長い時間を共にしてきた。

 初めは適合数値に達することさえ叶わず、憧れた背中の途方もなさに何度も何度も辛酸をなめさせられたものだ。それでも諦めず、厳しい訓練と死戦をくぐり抜け、今のレイナはこの魔具アストラを自身の手足と変わらない感覚で操ることができるまでに成長を遂げた。全ては彼女の努力の賜物だ。


 しかしそれでも……超えられない壁はある。


 人と魔具アストラが交わる極地――努力だけでは決して超えられない境界線ラインが。


「大丈夫、今のレイナならスレイプニールの魔装を発現できる。少なくともはかりはそう推測してるみたいよ」

「ッ……」


 それはきっと希望的観測ではない。他でもない九条秤くじょうはかりの言葉だからだ。彼女はそんな気休めを絶対に言わない。だから彼女の推測はレイナの神機ライズギアを調整し、その戦闘データを観測し続けた末に導き出した確かな可能性なのだろう。


「でも……」


 未だレイナはその可能性に足を踏み入れる自分をどうしてもイメージできないでいた。伊弉冉いざなみを手にしたカインが破竹の勢いで魔装を習得したように自分も……とはやはりいかない。

 求められても、それに全く応えられない自分がレイナはもどかしかった。


「フフ、そんなレイナにプレゼント♪」

「プレゼント?」


 シーマが懐から取り出したのは、青い液体が詰まったペンライト状の注射器だった。


「これはイグナイト・コンデンサー。昔、海上都市で出回った『増幅器ブースター』っていう拡張パーツの設計思想を神和重工かむわじゅうこう魔具アストラ用に転用したものよ」


 魔法を発現するルーンの腕輪の強化を可能とした増幅器ブースター

 同じようにイグナイト・コンデンサーは大量の魔力を蓄え、魔具アストラに供給・最適化するための制御薬だった。


「これを使えば、魔装ができるんですか?」

「ううん、そんな簡単な代物じゃない。けど、きっかけにはなるはずだよ」

「きっかけ……」


 その資格がレイナにあるのなら、このは彼女が次のステージへ踏み込むための鍵になる。


「ここまで来る道すがら、みんなに少しずつ魔力を充填してもらったわ」


 感じる。

 郊外で待機しているライラやシーレ。そしてはかり、アリサ、真紀那まきなたちの魔力。

 それだけではない。魔人一派と交戦していた刹那せつな燕儀えんぎ。さらには夜禍ヤカを始めとした魔神たちまでも。

 この戦場でかき集められるだけの魔力がそこには集約されていた。


「悪いけど実用テストもされてない試作品だから、安全の保障はできない。成分を見るに死ぬことはないと思うけど、スレイプニールの適合数値には大きな変化が起こるはず。そこはレイナ次第」


 新たな力を得るか、それとも全て失うか。

 目の前に差し出された薬はその分岐点だった。


「……」

魔具アストラがない私じゃ暴走するメアリーを止められない。虫のいい話だけど……レイナを頼らせて。お願い……」


 レイナはシーマを見つめた。

 命さえ惜しくはないという覚悟が真っすぐな瞳からありありと伝わってくる。

 本当はこの薬も自分で使って、自らの手でメアリーを助けたいはずだ。彼女にとっては家族も同然の存在だから。

 しかしそんな覚悟とは裏腹に、今のシーマには選択肢すらありはしない。


「……やります」


 レイナはシーマからイグナイト・コンデンサーを受け取り、そう呟いた。


「私がメアリーちゃんを……みんなを助けます!!」


 仲間から受け繋いだ希望を握りしめて。



・2・


(チャンスは一度……ッ)


 レイナはスターティングポーズを取り、ただその時を待った。

 遥か先には、神話で謳われる天使へと限りなく近づいていくアリスの姿。黄金樹と繋がっている彼女はもはや人としての原型を失いつつあった。

 感情を排し、ただ兵器としてあることを定義されたアリスにとってはそれが本来あるべき姿なのだろう。だが――


「行きます!!」


 そうはさせない。

 そう胸の内で叫んだレイナはスレイプニールの鉄翼を限界まで展開し、一陣の風となる。


「――ッ!!」


 音を置き去りにするほどのスピードは空気を穿ち、後を追う余波は破壊となって大地を抉った。


「はああああああああああああああああああああ!!」


 小細工はなし。

 次の瞬間、最短にして最速のキックがアリスのみぞおちに直撃する。


「――――――――――――!!」


 生物には到底理解不能な絶叫が大気を、そしてレイナの全身を震わせる。

 だが本番はここから。

 コンマ数秒の時の中で、レイナはシーマの言葉を思い出した。


===


『より確実に魔装を成功させるために、メアリーの支配の魔法を利用させてもらいましょ』

『利用、ですか?』

『うん、メアリーは自分の魔力に触れたものを何でも支配下におけるの。それが例え他人の魔術や魔具アストラであってもね』

『でも、それだと私のスレイプニールが奪われちゃうだけじゃ……』

『そう。あの子の魔力に触れれば、支配権がレイナからあの子へ移る瞬間が生まれる。厳密に言うと、そのスレイプニールがレイナのものでもあり、メアリーのものでもあるタイミングよ』

『ん~?』

『コホンッ……まぁ細かいことはいいわ。結論を言うとね、支配権が6:4になったタイミングでイグナイト・コンデンサーを過剰投与オーバードーズして、わざとスレイプニールを暴走させちゃうのよ。そうすると――』


===


(ッ……来た!!)


 アリスの支配の魔力に触れた途端、レイナは自分自身が蝕まれる感覚に襲われた。


「ッ……」


 覚悟はしていたが、それは想像を遥かに超えるものだった。

 まるで体に電流が流れるような痺れる痛み。その跡に容赦なく自分ではない意志が刻み込まれるような強烈な感覚。

 全身を支配されるまでに約1秒。全てを賭けた勝負の瞬間だ。

 レイナはイグナイト・コンデンサーから注射針を出し、迷わず自分の胸に突き刺した。


「が……ッ!!」

「――ッ―――!?」


 青い薬液を一気に全て流し込むと、胸にごっそり穴が開いたような耐え難い激痛が走る。許容量を遥かに超えた魔力が一気に注入されたため、体が全力で拒絶しているのだ。同時に彼女のスレイプニールも呼応を開始し、異常な熱気を帯び始めた。


「ま、だ……ッ!」


 過剰を通り越した魔力がスレイプニールの形をまるで沸騰したお湯のようにボコボコと歪に変形させていく。もはやその翼は天使にも、悪魔にも見えるほど原型を失いつつあった。

 それでも――


「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

「――――――――――――――――――!!」


 レイナとアリスの叫びが完全にシンクロしたその時、世界を白に染め上げるほどの強烈な光が爆発した。


「ッ……、レイナ!?」


 瞼を焼くほどの眩い光が止み、二人の激突の跡に佇んでいるのはアリスただ一人。そこにレイナの姿はなかった。

 それはつまり、


「……ダメ、だっ――」





「大丈夫です!」





 しかし直後、漆黒の空を裂く八つの光が飛来した。


「――――!?」


 閃光は瞬く間にアリスの天翼をズタズタに引き裂き、間髪入れずに離れた場所にいるカイン達の元へ瞬時に駆けつけると、彼らを拘束するジョーカーの複腕をいとも容易く千切っていく。


「何……ッ!?」


 今、戦場を駆け抜ける風は音速を超え、光速の世界へと足を踏み入れた。


「レイナ!」


 光はやがて収束し、そこに少女の姿を映し出す。

 体にフィットしたインナースーツ。その上に魔力で構築された天鎧がレイナを包み込んでいる。背面には元々踵に付いていた八つの鉄翼が浮遊し、彼女の意思一つで自由かつ精密な操作が可能だ。

 スピードと精密さ、そして果て無き爆発力。

 全てにおいて今までを振り切っている。


「できた……」


 全身から煌めく焔光を迸らせるその神々しい姿はまさしく戦乙女。

 レイナは見事にスレイプニールの魔装を成し遂げたのだ。


「これが……私の、魔装……」


 確かに暴走寸前だったスレイプニール。無論、レイナ一人では耐えられなかった。

 しかしあの瞬間、スレイプニールの支配権は同時にアリスも握っていた。

 自分の支配下にある力が暴れ狂っている。そんな状況を前に思考を放棄した彼女が取る行動は一つしかない。

 それはより強い魔力で抑え込み、安定化させること。

 つまり、レイナはアリスの『支配』という絶対魔法を逆手に取ったのだ。


「やっと……私も肩を並べて戦える」


 思わず、レイナの口からそんな言葉が零れ落ちる。

 ずっと、言いたくても言えなかったその言葉を。


「行くよ、八光翼フリューゲル!!」


 彼女の強い意思に呼応し、八つの光刃翼が周囲を華麗に舞い始めた。


「もう足手まといなんて言わせないよ、カイン君!!」


 再び閃光となり、戦場を駆け抜ける戦乙女。

 誰よりもしなやかに、誰よりも自由な翼を得たレイナの最高速トップスピードに、もはや何人なんぴとも追いつくことはできない。

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