第190話 偽りの証明 -Under your skin-

・1・


「……フフ」


 それに捕まったが最後。魂を喰われて全く別の生命いのちに作り変えられてしまう。そんな恐ろしい能力を持つティアマトの触手が地下空洞を埋め尽くした。


「これで……ッ!?」


 しかしエトワールは違和感に気付き、驚きで目を見開いた。


「どう、して……?」

「ママ?」



 ――レイナが、どこにもいない。



 彼女を捕らえた手ごたえが全くなかった。ただでさえ狭い地下線路。触手は完全にそれを埋め尽くしている。逃げ道などなかったはず。

 なのに、


「ッ!? 来ル!!」


 次の瞬間、何もない背後の空間から突然レイナの姿が現れた。

 空間跳躍――八天靴アハト・キャバリエーレ

 スレイプニールが宿す高速飛行とは別次元の能力。レイナの場合はあくまでマーカー便りの限定的な技だが、ネズミ一匹逃がさない触手の濁流を彼女は文字通りワープで掻い潜ることに成功していた。


「こいつ……ッ!」


 完全にルナたちの背後を取ったレイナは、スレイプニールの脚翼を扇のように展開する。それは風を操るスレイプニール本来の権能。


「はぁッ!!」


 攻めの風刃。護りの真空壁。

 何もそれだけではない。大気中の微細な空気の流れそれ自体にもレイナは干渉することできる。つまり今この瞬間、彼女の蹴りは渦を巻き、竜巻へと変貌するのだ。


「ぐぎ、ギッ!!」


 横薙ぎに繰り出された暴風の鉄槌。しかしエトワールの前に出たナナがそれを真正面から受け止める。


「え!?」


 野生の勘なのか、彼女だけはレイナが姿を見せるよりも早く反応していたのだ。


「ナイスよ、ナナ!」


 黒翼を広げたルナが飛び上がり、投げキッスのような所作で魔力の塊を撃ち出すと、レイナの竜巻を相殺する。


「く……ッ」

「フフ……今のがとっておきかしら? 残念だったわね、お姉ちゃん♪」

「あひゃひゃヒャッ! ルナビビってたゾ!」

「ビビッてねぇよ、バカナナ!」

「アウチッ!」


 隣でゲラゲラ笑うナナの頭をパシンッと叩くルナ。

 彼女の言う通り、八天靴アハト・キャバリエーレはレイナの隠し玉だ。その分魔力消費も生半可ではない。今のレイナでは短距離移動であと2回使えるかどうかといったところだろう。


「はぁ……はぁ……こんなことしたって……私はあなたの家族にはなれないよ!」

「……どうして? どうしてそんなこと言うの!?」

「エトワールさん?」


 レイナのその言葉に、常に感情の起伏が乏しかったエトワールが今にも泣き出しそうな顔を見せる。


「だって……その方がきっと幸せになれる。教授が笑ってくれる……だから私……あの人の家族を、作らなきゃ……じゃないと私……私が……ッ!!」


 そして壊れたように支離滅裂な言葉を零し始めた。


「ッ……ママ! 落ち着いて!」

「マミィ……」


 背から伸びるティアマトも宿主の激情に影響されたか、苦しみもがくようにのたうち回っている。だがそれもわずかな時間だ。

 急に落ち着きを取り戻したエトワールの虚ろな瞳の焦点がレイナに合わさった。


「……そう、レイナはこの幸せを知らないだけなの……そうよ、きっとそう」

「ッ……!」


 再びレイナは背中をなぞる冷たい感覚に震えた。


「今度こそ……逃がさない」

「エトワールさん、聞いて!!」

「私の子になれば……レイナもきっと分かってくれる!」


 エトワールの腕がレイナへと伸びたその瞬間――


「ホッホッホ、随分と懐かしい気配を感じて来てみれば。どうやら先客がいたようだ」

「「「ッ!?」」」


 一切の気配を排し、魔人シャルバがエトワールたちの背後に佇んでいた。


「何だテメェ! いつからそこに!」

「いただきマース!」


 すかさずルナとナナが初老の魔人に襲い掛かる。しかしシャルバの姿は煙のように忽然と消え、


「はッ!? おいおい……ッ!」

「あーレェーーー」


 さらに二人は見えない力であらぬ方向へと吹き飛ばされ、凄まじい速度でコンクリートの壁に激突した。


「ってぇ……何、された?」

「ワカラン!」

「ふむ、さすがにティアマトの子供たちということか。活きが良くて大いに結構」

「魔人……ッ」


 目の前に現れたシャルバに対し、レイナは即座に警戒の色を示す。


「おや、君は確か吉野ユウトの……」

「どうして、ここに?」

「ホッホッホ、いやなに、かつて私が屠った強者つわものの気配を感じてね。よもや彼女の魔具アストラがあんなものに宿っていたとは」


 どうやらシャルバはティアマトの魔力に引きつけられたらしい。口ぶりからして、エトワールの何代か前の所有者のことを知っているみたいだ。


「誰……ですか?」

「おや、君の伴侶から聞いていないのかね? 見ての通り、私はここにいる君たち全員の敵だよ」

「ッ!!」


 次の瞬間、壁や天井、地面が爆ぜ、ティアマトの触手が全方位からシャルバたちに襲い掛かった。今度こそレイナを確実に捕らえるためにあらかじめ忍ばせていたのだろう。


「そんなものかね?」

「ッ……!?」


 シャルバは軽く須佐之男スサノオを薙ぐ。虚空に刻まれた一閃はそこで潰えることはなく、その場で百、千、万と重なりあって一気に解き放たれた。

 刹那、襲い来る無数の触手は塵も残さず斬断される。


「ウソ……ッ!?」

「産み直し、だったかね? 此度の資格者は随分と変わった使い方をするようだ」

「どういう意味……?」

「それは本来、無限に混沌を産み落とす母なる海。私の知るかつての資格者はその力を君よりはるかに雑に使っていたよ。故に彼女は無類の強者だった。街や森、果ては死者さえも呑み込み、たった一人で一億の獣を放って当時の並み居る列強諸国を焦土に変えていたものだ」


 言い換えれば、その気になればエトワールにも同様のことができるということだ。もしそんなことをされたら戦況が傾くどころの話ではない。敵も味方も関係なく、下手をすればアメリカという国そのものが地図から消えてしまう。


「私には……関係ない」

「残念だよ。個人的にはまたあの混沌を楽しむのも一興かと思ったのだがね」

「そこを、どいて……ッ、私はレイナに用があるの」

「好きにするといい。私はに少々興味があるだけだよ」

「ッ……」


 一瞬、エトワールの表情がレイナには凍り付いたように見えた。


「正、体……?」


 そういえばさっきシャルバは彼女の事を『あんなもの』と呼んでいた。よくよく考えるとどうにも違和感を覚える。少なくとも生物に対して指す言葉ではない。それでも彼はそう口にした。まるで――




「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさい!!」




 彼女の背後に再びティアマトが顕現する。しかもそれは先の蛇龍とは異なり、頭部に四肢のない女性の体のような部位が加わった新たな姿を得ていた。


「邪魔を……しないでよ!!」


 もう今度は触手なんて小細工ではない。巨体そのものがシャルバとレイナに向かって猛進する。


「わわ……ッ!」

「ほう、権能を昇華させたか」


 寄生型は良くも悪くも宿主の経験や感情に大きく影響を受ける。装備型はもちろん、あの神融型さえも『変化』という面では寄生型に劣る。それこそ人によって能力が180度反転する事例もあるくらいだ。

 今のエトワールも同様。むき出しになった彼女の感情がティアマトを一つ上の段階に進化させてしまった。こうなるとたとえシャルバであろうと、先程と同じ手が通用するとは限らない。


「やれやれ……主に使わないと豪語したばかりなのだがね」


 シャルバは深く溜息を吐くと、須佐之男スサノオを地面に突き刺した。


「……魔装――烏有うゆう死太刀しだち

「「ッ!?」」


 コンマ1秒――瞬刻の魔装。

 切り取られたその一瞬だけ、世界からあらゆる感覚が失われた。

 そしてその直後、ティアマトの全身が弾け飛ぶ。


「な、何!?」


 いったい何が起こったのか? それは発動した本人にしか分からない。確かなことは、ティアマトが機能停止してしまったという事実だけ。


「ッ――!!」


 そして振り上げられたシャルバの刃が、彼女の顔を無慈悲に斬り裂いた。


「ママ!?」「マミィッ!!」


 車椅子から投げ出されたエトワールのもとへ一目散に駆け寄るルナとナナ。


「お前ぇ……ッ!!」


 憎しみに満ちた瞳でルナはシャルバを睨みつける。だが、


「う……ッ……」

「マミィ!?」


 彼女は生きていた。

 どうやら刃が深く入ってはいなかったらしい。シャルバの技量を考えるとエトワールが回避したというより、彼自身が敢えてそうしたように思えた。


「エトワール、さん……」


 思わず走り出していたレイナ。だが、いつしかその足は止まっていた。


「え……」

「見……ない、で……ッ! お願い……」


 ひどく取り乱し、自分の顔を隠すエトワール。

 だがその秘密は、もはやとても隠しきれるものではなくなっていた。


「……ッ……」


 刃が抉った跡に残るのは赤い血肉ではなく、冷たい鋼鉄。

 投げ出され、擦り切れた柔肌の下にも人ならざる様相が見え隠れしていた。

 レイナはそれを知っている。見たことがあるからだ。


「嘘……」


 バベルハイズで発生したミュトス暴走事件。

 そこで運用された姿はおろか心まで人類の域を超えた超技術の結晶。


「機械、人形……」


 完全自立型機械人形パレイドリア・オートマタ


 それが『エトワール』という記号なまえを与えられた人形にせものの正体だった。

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