第191話 星になれなかった人形 -Sign of atonement-
・1・
違和感は突如として訪れた。
「あ? 何だ、この感覚」
「これは……ッ」
本当に一瞬の出来事だった。
震えあがるような強者の重圧とは違う。殺意や悪意といった攻撃的な意思も感じない。ただただ空虚。そんな今まで感じたことのない気配が足元から迫り上がってきたのだ。
「な……ッ!?」
しかし正体不明の気配が過ぎ去ったところで、カインは自分の身に起こったある変化に気付く。
「魔装が……解けてやがる」
「……」
グレンデルの魔装が解除され、彼の鎧は忽然と消え去っていたのだ。彼だけではない。
「何だったんだ、今の」
「黄金樹には影響がないようだな」
かなり範囲の絞られた結界のような領域……なのかもしれない。
何にしても今は想像の域を出ない。
「……ッ!? エトワール!」
「お、おい!」
しかし
(地下……アイツ、さっきの結界の発生源に向かってんのか?)
おそらくレイナもそこにいる。生きているならだが。
カインは
・2・
「エトワール、さん……」
「見ないでレイナ……お願い……嫌いにならないで……ッ!!」
恐怖で声を引きつらせるエトワール。
両手で傷を負った顔を隠し、体を丸めて小さくなっている。
「……ママ」
「マミィ……」
エトワールの正体は
ルナたちの様子を見るに、その事実は彼女たちも知らなかったようだ。
「ふむ、やはりか。どうも妙な気配だとは思っていたが、よもやここまで……」
ただ一人、魔人シャルバはそんな彼女に別の興味を示していた。
「レイナ!!」
その時、天井の大穴から声が降ってきた。カインだ。
彼は大穴の内周をバイクでグルグル螺旋上に滑走し、レイナの前に着地する。
「カ、カイン君!」
「生きてるみてぇだな。上出来だ」
そしてもう一人。
いつの間にか青いスーツを着た男がエトワールを抱きかかえて立っていた。
「ホッホッホ、久しいですな」
「貴様がエトワールを……ッ」
「教授……来て、くれ……た……」
「……」
「あの女、
「デリカシー!」
「痛ッ、何しやがる!?」
レイナは思わず跳び上がってカインの頭を引っ叩いた。
あの異常なまでの怯え様。何にせよ、彼女が人間でないことは誰にも知られたくない事実だったのは間違いないと思ったから。
なら彼はどうなのだろうか?
「あなたは……知ってたんですか?」
「無論だ。彼女は私が作ったのだから」
レイナの質問に
「エトワールは、私の妻……ステラを基とした存在だ」
「……ッ」
その言葉でレイナは合点がいった。
初めてエトワールに出会ったあの時。
何気なく彼女が呟いた言葉の小さな違和感に。
――教授がくれた大切な名前。
――教えるの得意だった。
きっとあれは全て、自分が本物の『ステラ』になろうとしていたからこそ出てきた言葉だったのだ。
「だがこの子はステラではない。君たちが見たバベルハイズの個体と違い、彼女はステラの記憶を持っていない」
つまり全くの別人。
基となる人間の記憶と知識を有し、本物と同じ行動原理で動く
「本物の、奥さんは……」
「……死んだよ。とある紛争地域で戦火に巻き込まれてね。私は彼女の最後を看取る事すらできなかった」
「リサの時は墓が荒らされてやがった……ご自慢の
件の
彼の義母――リサ・ストラーダ。
彼女もまた、
「テメェ、いったい何がしてぇんだ?」
一歩前に出たカインは改めて
テメェら、とは言わなかった。彼が
「愚かな人類から火を奪う……確かそう言ってな。詰まるところ、女を殺された復讐か?」
「この子は、私が背負うべき罪の証明だ。全ての人間が武器を捨て、歩み寄れる理想の世界……
世界から争いを無くす。
きっと誰もが一度は考えるあまりに稚拙で、あまりに美しい夢物語。
そんな幻想を抱いてしまったから、ステラは現実に殺された。
彼女は何も間違っていない。間違っているのは世界だ。だがこの世界では生者こそが正義。所詮、死人の言葉など生きてる人間の解釈次第でどうとでも取られてしまう。もうこの世界では彼女の綺麗な願いは無価値に等しい。
「私は彼女の純真な思いが正しかったと証明しなければならない。そのために彼女が夢見た世界を実現させる。ただし、
それが
世界から文明を取り除き、憎しみという概念そのものを無くす。
この地球上でもっとも秀でた進化を遂げ、支配権を得た人という種を他の生物たちと同じラインに戻すことで、それは果たされる。
世界に絶望した彼にしか選べない選択肢。
「獣は狩りに愉悦を見出さない。あるのは今を生きるという本能のみ。憎しみの連鎖など生まれようもない。なるほど、道理ですな」
黙って
「だが……とても退屈だ」
「……」
しかし最後にパンッと両手を大きく鳴らし、彼は
「私は退屈を何よりも嫌う。憎しみであれ、愛であれ、人の感情は戦いを色鮮やかに彩る最高の食材だ。それを捨てるなどありえない」
「相容れない、か」
「然り。故に私がこの場で着目するのは一つだけだ」
人の業を肯定するシャルバは
「条件さえ揃えば、君たちは死者であっても再現できる術を持っている」
「ッ……!?」
「え……どういうこと?」
レイナはともかく、
「貴様……」
「ホッホッホ、その反応……どうやらすでに私と同じ考えを持つ者がいるようだ」
であればもう用はないと、確信を得たシャルバは
「……」
残された
エトワールを抱えたまま、ルナとナナを引き連れて闇に消えようと踵を返す。
「ま、待ってください!」
そんな彼らをレイナが引き留めた。
「……何か?」
「えっと……その……わ、私、エトワールさんとはさっき、その……喧嘩しちゃって……っ」
今は戦闘の真っただ中。しかも相手は倒すべき敵だ。
正直、こんな事を言うべきではないのかもしれない。
それでも――
「エトワールさんが目を覚ましたら伝えてください。私はあなたの娘にはなれないけど……絶対に嫌いにはならないって!」
「……」
そんな言葉が出てくるなど予想もしていなかったのだろう。
「君は、本当に優しいんだな」
そしてほんの一瞬、冷徹な彼からは考えられない優しい表情を垣間見せた。
「フッ、
「カイン君!?」
「……聞け、カイン」
去り際にいつもの調子に戻った
「此度の騒動の首謀者――
「……黒幕」
自分を捨てた父親。
この戦いの先にその男がいる。
「……上等だ、引きずり出してやるよ」
無意識に、カインの右手に力がこもった。
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