第185話 道具と必要悪 -Indulgence-

・1・


「終わったみたいだね。ありがとうシンジ君」

「いいさ、僕も久々に楽しめたしね」


 夜白やしろの言葉にそう返したシンジは手にした武具で虚空を薙いだ。

 黒い禡祭剣ばさいけん――これがアルラトゥの本来の形。叡神グノーシス化した彼女を滅ぼしたことで、元の魔具アストラへと戻ったようだ。


「で、このは何?」


 シンジは足元に転がっている死の女神だった『モノ』を爪先で軽く小突く。

 心臓を貫かれた裸の少女。髪も、肌の色も全体的に白く、生気を全く感じない。まるで真っ白なキャンバスを見ているかのようだ。


(死んでいる……というより生きてすらいない入れ物か)


 さらに気付いたことがもう一つ。

 夜白やしろは入れ物の少女の顔に見覚えがあった。


(……神凪明羅かんなぎあきら


 それもそのはず。魔具アストラ叡神グノーシス化させる技術を確立した張本人の顔だったから。しかしもちろん本人ではない。十中八九彼女の複製体クローンだろう。


「自分のクローンを素体にして、魔具アストラを受肉させているのか」

「そんなことが可能なの?」

「普通は無理だね。そもそもこれは寄生型とは似て非なるものだ」


 寄生型の魔具アストラは原則として『共生』という形で宿主の肉体の一部となる。シンジに与えられた両面宿儺りょうめんすくなもその例に漏れない。

 対してアルラトゥの場合は全身が変容し、なおかつ彼女自身の自我も確立された完璧な『上書き』。神を宿すという点では降霊術に近い。だがそもそも死した肉体に魔具アストラは宿らない。寄生型のホルダーが死亡した場合、魔具アストラは勝手にこの世界の誰かへ鞍替えする性質があるのだから。


「思うに、彼女の肉体がとりわけ特異なんだろう。既存のルールを逸脱するだけじゃない。人魔、果ては神でさえ。あらゆる魔力に適応する万能の素質……冗談みたいな話だけどね」

「ふーん、なら僕がこれを喰らえばその能力を奪えるね」


 興味深そうに夜白やしろの話を聞いていたシンジだが、当の彼女は首を横に振った。


「やめておいた方がいい。もし君が能力を手にするよりも早く、これが君の魔力に適応した場合、最悪君の精神が乗っ取られる可能性がある」

「ハハ、なかなか刺激的な文句だ」


 先程は『真っ白なキャンバス』と例えたが訂正しよう。

 この素体は『人間サイズのウィルス』とでも呼ぶべきものだ。宿ったものを良くも悪くも変質させる。その異様すぎる性質を把握しきれていない現状においては、安易に取り込むべきではない。


「とりあえず持ち帰って解析してみようか。今後、叡神グノーシス化した敵に対して何か役立つかもしれないしね」


 夜白やしろはシンジに明羅あきらの素体を担がせると、少し離れたとこにいる冬馬とうまの方へ視線を向けた。


「今の君に声をかけるのは……さすがに無粋、か」



・2・


 宗像冬馬むなかたとうまの眼前には、彼が忌み嫌い続けた父親の影が佇んでいる。それはアルラトゥの権能で呼び寄せられた死者の魂だ。だが当のアルラトゥが撃破されたため、一心いっしんの魂は徐々に消えかかっていた。


「親父……」

『……』


 一心いっしんの影は口を開かない。もとよりアルラトゥは魂に刻まれた死者の能力のみを操っていた。心は意のままに操る上で邪魔でしかないから。

 それでも冬馬とうまは何を思ったのか父親に語りかけていた。


「あんたみたいな外道は死んで当然だと思ってる。実際、眠ってるあんたの面倒を見続けたのも目覚めた時、俺自身が引導を渡すためだしな」


 紛れもない本心。

 しかしそう言いながらも、冬馬とうまは自身の静かな激情を表すように拳を強く握っていた。


「俺の人生を狂わせただけならまだいい。だがあんたは俺の大切な友達を巻き込んだ!」

『……』

「それが……何よりも許せない……ッ」


 次に会う時は一発ぶん殴ってやるつもりだった。

 だがそれももう叶わない。たとえ今この瞬間、目の前の影を殴ったとしても無意味に終わってしまう。


『…………と、う……ま……』

「!?」


 そんな時、一心いっしんの影が僅かに口を開く。

 心がない彼に意思など宿るはずがない。しかし今、一心いっしんは確かに息子の名前を呟いた。


「親父!」

『とう、ま……』


 アルラトゥの制御を外れたからか。それとも単なる奇蹟か。

 何でもいい。とにかく今を逃せばもう後はない。

 冬馬とうまはそう直感した。


「何で……何で母さんを――」


 一瞬、彼は口を噤む。

 思い直せ。これはあくまで個人的な恨み。今問いただすべきことではない。たとえこの先、一生その機会が訪れないと分かっていても。



「あんたは……どこで道を間違えた!? 何がしたかったんだ!?」



 冷たい静寂の中、冬馬とうまの叫びが木霊する。

 しばらくの後、一心いっしんはこう呟いた。


『黒……の、神……凪……』

「ッ……」


 その名を聞いた途端、心臓を掴まれたようなおぞましい感覚がせり上がってきた。

 この悪寒の正体は父親の口からその言葉が出てきたからだけではない。

 何か……もっと致命的な――


『やつ……に、気を、付け……ろ……』



・3・


 ガギィン!!


 鋼と鋼が荒々しくぶつかる。幾度となく肌で感じた戦場の音。

 それは無人の大都市を縦横無尽に、なおかつ高速で横断していく。


「カイン君!」


 もう何度目になるか分からないカインとジョーカーの打ち合いの最中、レイナは針に糸を通すような絶妙なタイミングで割って入る。


「おっと……ッ」


 それに感付いたジョーカーは華麗に身を翻し、カイン達から一定以上の距離を取った。


「危ない危ない。よう、ここらでちょっと休憩といこうや?」

「冗談は顔だけにしとけ」

「おかしいな……これでも巷では中の上くらいって女たちには評判なんだけどな」


 余裕綽々。明らかにまだ何かを隠し持っている証拠だ。カインもレイナも己の直感がそう告げていた。


「カイン君、どう思う?」

「決め手に欠ける……」


 外神機フォールギアでロキを堕天させ、力を得たジョーカー。単純な戦闘能力の向上はもちろんだが、それ以上に妙な違和感が首元を掠めていた。


「というよりこっちが追い詰めれば追い詰めるほどヤツの力が増してやがるな」


 例えるなら100の戦力に対して、相手は必ず1だけ上回る。

 だからほんの僅かに届かない。そんな歯がゆい感覚だ。


「知ってるぜ? 処刑人ヘッズマンとの戦いで新しい力をゲットしたんだろ? こっちも新しい力で相手してやってんだ。そろそろ見せてくれよ」

「ハッ、見え透いてんだよ。その妙な腕輪でロキの能力がどう変質したかは知らねぇが、今のテメェの能力は相手に依存するモンで間違いねぇはずだ」


 ここでカインが魔装という切り札を切れば、その時点で勝敗が決する。

 そんな限りなく確信に近い予感があった。


「ホントに可愛げのねぇガキだなぁ。素直に調子づいてればいいものを。ま、だからこそ俺は君を買ってるわけだが」


 ジョーカーは第二の魔具アストラ――ジャバウォックを開く。


「んじゃ、意地でも引きずり出してやるよ」

「ッ……」

白騎士アルブス重版スタンピード


 次の瞬間、魔本の表面から次々と純白の騎士が飛び出した。その数は優に100を超える。さらにまだまだ増え続けている。


「え、ウソッ!?」

「チッ、何でもありかよ!」


 幸い一体一体はそう強くない。カインはシャムロックを構え、前衛の頭を撃ち抜いていく。レイナも高速移動と風の刃で次々と白騎士を捌いていった。しかしそれでも一向に数が減らない。


「退屈しのぎに一つ身の上話をしてやるよ。余裕があるなら聞いてきな」


 ゆっくりと腰を落ち着けたジョーカーは、今もなお雪崩のように迫りくる白騎士と応戦するカインたちを眺めながらそう言った。


「まぁ結局の所、金だよ。どこにでもいる貧しいガキに選択肢なんてねぇ。俺があやめさんに拾われた理由なんて言わなくても想像つくだろ?」


 英雄創造計画ヒーローズ・ドグマ

 かつてそう呼ばれた計画は、魔道士ワーロックを人工的に作り出すためのものだった。数年前、海上都市で『吉野ユウト』という魔道士それが生まれたように。


「訳の分からん機械に繋がれて、同じ被検体まほうつかいと殺し合って、勝てば薬漬けにされて……そんな毎日を送る中で、ある日俺は自分って人間が壊れる音を聞いた。それを聞いたが最後、世界の見え方が180度変わっちまう。俺だったモノは道具に堕ちる」


 一瞬、ジョーカーの頬を魔弾が掠めた。


「生憎、不幸自慢なら間に合ってる」

「クク、不幸? 馬鹿言え。俺はむしろ幸運だと思ってるよ」

「……何?」


 カインの視線がほんの僅かにジョーカーに引き寄せられた。


「そりゃそうだろ? 何の価値もないただのガキが今やこの大国をあるべき姿に再生させようとしている。神凪殺かんなぎあやめっていう優秀かつ時流に乗った逸材に使われることでな」

「さすが……ッ、テロリスト様は言う事が違うな!」

「何とでも言え。どこまで行っても俺は彼女の言葉を正当化させるための必要悪だ」

「何が……必要悪よ!!」


 防戦一方だったレイナもその言葉には叫びを上げた。


「例えば俺がB-Rabbitを組織してなきゃ、この国はテロリストに屈服こそしないまでも、万単位の被害者で溢れかえってただろうなぁ。憎しみってのは怖いもんで、巡り巡ってこの国のテロリズムを活気づかせる。誰かが傷つけば、そいつは他の幸せな誰かを害そうとする。自分と同じにするためにな。だから俺が水面下でヤツらを束ね、効率的に制御したわけだ」

「でもあなたは結局、何の罪もない一般市民も巻き込んだじゃない!!」

「お嬢ちゃん、何の罪もないってのは間違いだよ。俺はヤツらを『当事者』っていう特等席ステージに招待しただけだ。それも本人が望む形でな。それに考えてもみろ。我関せずと言いながら、外野で好き勝手に罵詈雑言を垂れ流す輩が一番質が悪い。ここに来るまでにたくさんいた雑魚ショゴス共がそれだ。だから君も気兼ねなくあいつらと戦えたんだろ?」

「ッ……そんなことないもん!!」


 ギュイン!!

 レイナが叫んだその直後、空間が捻じ切れるような奇妙な音が響く。

 次の瞬間、100を超える白騎士たちの胴体が伊弉冉いざなみの刃でまとめて切断された。


「カイン……君」

「やめとけ。お前じゃ口喧嘩でアイツに勝てねぇよ」

「……それ、どういう意味?」


 ついに魔装を解放したカインを見てジョーカーはニヤリと嗤い、立ち上がる。


「そうそう、最初からそうしてればいいんだよ」

「カイン君、魔装は……」

「いや、これでいい。状況が変わった」

「え……」


 その時、ジョーカーの背後に人影が見えた。


「おいおい、こいつはマジで予想外の客人だ。さて……こういう場合、俺はどういう対処をするべきかな? 指示待ち人間の悪い癖だ」

「そのまま仕事を続けるといい。よもや私を仲間などとは認識していないだろう?」


 黄金の鎧を纏い、異質な長槍を構えた神凪滅火かんなぎほろびはただ一言そう告げる。そして――


『Messiah ...... Decoding Break』


 次の瞬間、周囲一帯に破邪の熱線が降り注いだ。

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