第184話 冒涜の鬼神 -Cruel assault-

・1・


「親父が……死んだ……」


 腐っても父親。変えようのない現実を前にさすがの冬馬とうまも動揺を隠せない様子だった。


冬馬とうま……」


 夜白やしろの記憶や思考は以前まで神凪かんなぎだけが有する脳波ネットワークによってあやめに筒抜けだった。

 無論、すでにその対策は完了している。特記事項も全て一新したはず……


(失態だ……僕の思考をトレースして一心いっしんの移動先にあたりをつけたのか)

「別に悲しむようなことでもないでしょう? あなた方にとっては所詮敵。肉親だから情が湧いた、もしそんな戯言を抜かすのであれば甚だ拍子抜けです。あやめ様にとって脅威にもなり得ないゴミです」


 アルラトゥは今もなお冬馬とうまたちが残る破壊されたオフィスへ冷たい視線を向ける。


「冥府の女神アルラトゥ……君にとっての『死』を、僕たちにとっての『死』と同列に扱わないでくれるかな? 非常に不愉快だ」


 夜白やしろ魔道士ワーロックの赤い瞳に静かな怒りを激らせながら、周囲に無数の魔法陣を展開した。今更一心に対して悲しむような感情を持ち合わせてはいない。当然だ。だが、あの女神は冬馬とうまの心を土足で踏み荒らした。彼がつけるべき決着を台無しにした。彼女にとってこれ以上に許し難いものはない。

 けれど展開された彼女の魔法陣は周りに張り巡らされていたいばらの棘によって全て破壊されてしまう。


「ダメだよ博士。こいつは僕の獲物だ」

「……一人でやれるのかい? 悪いけど、今回は失敗は許さないよ? 君につけた首輪くびわのこと、忘れたわけじゃないだろう?」

「クク、あんなおじさんのために死ぬのは御免だね」


 首輪、という言葉に反応してシンジは自身の首を軽くさする。そこにはタトゥーのような紋様が染み付いていた。眷属化の際、夜白やしろが彼に刻んだものだ。もしも彼女の意に反した場合、即座に魂もろとも消滅させる強力な呪詛を織り込んである。


「というわけだ女神様。ごめんね。もう少し遊びたかったけど、これも飼い主の言いつけだ。僕はここで君を狩らなきゃならない」

「まるで私をいつでも殺せると言うような口ぶりですね。その愚かさ、死なないと治らな——」


 直後、アルラトゥの言葉は強引にかき消される。


「!?」


 右腕を引きちぎられ、両翼も全て捥がれた。

 ものの一瞬で。


「ハハ、初めてやったけど存外良い感じだ」


 異質すぎるその気配に女神が気づいたのは、彼が足を止めた瞬間だった。


「……何ですか、その姿は」


 血濡れた鬼神の如き赤い肌。そしてその表面に浮かび上がる呪詛の痣。

 死をそのまま形にしたような二対の腕と足に、異形の四つ目。

 そこに立つのは間違いなく、先程までシンジという人間だったものだ。


「魔装、両面宿儺りょうめんすくな


 それは今、異形へと変貌を遂げていた。



・2・


 圧倒的だった。

 まるで悪意をよりドス黒い悪意で塗り潰すような、悍ましくて見るに耐えない戦い方。


「ハハハハハッ!」


 再生を果たした女神の体は瞬く間にグチャグチャに引き裂かれる。

 何度も何度も。


「ぐ……はっ……」


 アルラトゥは呼吸をすることさえ許されない死の循環の中にいた。


(私、が……こん、な……ッ)


 圧倒的な速度と膂力。だがそれだけでは説明がつかない。この力の差には他の決定的な何かがあった。


「足、邪魔だなぁ。四本もいらないや」


 そう言ってシンジは魔装で生えた新しい二本の足を手刀で削ぐ。体から離れたそれはそれぞれ矛と弓へ形を変えた。


「ふ~ん、面白い」

「化け物め……ッ」

「それが何だっていうのさ?」


 シンジが二本の指を立てると彼の魔力に周囲の植物が呼応し、無数の蔦を飛ばした。


「ッ……また」


 世界が産んだ呪い。そして人が産んだ集合悪意。

 二つの力が交じり合い、限界を超えたアルラトゥがこうも簡単に捕まってしまうなど本来ならありえない。

 


両面宿儺りょうめんすくなの……権能!」

「正解。今、僕の魔力は君にとって相剋の位置にある。僕に近づけば近づくほど君の魔力は無限に弱くなるってわけさ」


 おそらくそれだけではない。彼の魔力が通った周囲の植物も同様だ。全身から電波のように発せられる魔力の波がアルラトゥに触れる度、彼女の魔力は削がれ続ける。これではまるで罠に嵌まった虫も同然。


「家畜風情が……調子に乗るな!!」


 彼女は樹木の檻を——さらには天をも貫くほどの巨大な儀礼剣を召喚し、それをシンジに向かって振り下ろした。だがシンジに近づけば近づくほどその刃は希薄化し、彼のもとに到達する頃にはもはや存在を保てなくなっていた。


「だからさっき謝ったんだ」

「ッ!?」


 アルラトゥの右腕が両面宿儺りょうめんすくなの矛によって翼もろともに捌かれる。

 防御などまるで意味を成さない。

 全て、理不尽なまでに削がれ続け、喰われ続ける。


「ひ……ッ」


 死の女神は生まれて初めて全身を蝕む死への恐怖に顔を歪ませた。

 対して捕食者たるシンジの表情にもはや愉悦はない。

 その理由は明明白白。




「これじゃあ勝負にならない」




 次の瞬間、女神が目にしたのは、冒涜の権化――その鬼腕が自分の心臓を貫いている光景だった。

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