第180話 貫き通す、たとえ過ちだとしても -Even fault gets to true-

・1・


 天を裂く黄金樹のお膝元――ニューヨーク。

 ここはリングー社本社ビルから数km離れた研究所。


「ほら、エシュちゃん特製神紅茶だ。ありがたーく召し上がりな」


 神凪殺かんなぎあやめの専属メイド兼改造魔具アストラのエシュタルはそう言うと、鳶谷御影とびやみかげ神凪絶望かんなぎたつもの前に白磁のカップを不愛想に置いた。


「チッ、何で可愛い可愛いエシュちゃんがこんな根暗女どもの相手しなきゃいけないんですかね。こういうのはアルラの手合いでしょ」

「クヒヒ……相変わらず、辛辣」

「……」


 御影みかげは胸元に浮かび上がった光の印――意思無き魔道士ワーロックアリスの眷属刻印に触れた。


「ねぇ、け、眷属になって……何か、ち、力を……発現した?」


 ふと、絶望たつもは紅茶をちょびちょび啜りながら御影みかげに質問し始めた。

 眷属化。つまり魔道士ワーロックの魔力供給を受けるということはそういうことだ。例えそれが魔法も魔術も使えない一般人であったとしても。


「……何か言いましたか?」

「あうぅ……聞こえてすら、いない……だと……」

「お嬢……まずは人に慣れるところからだな。今のあんたじゃ会話は絶望的だ」


 絶望たつもの背後に控えていたワニのような頭部を持つ人型の化け物は呆れたように溜息を吐いた。彼はエシュタルと同じ改造魔具アストラ――アグレアス。戦闘力皆無を余裕で下回る彼女のために用意された護衛だ。


「おいワニ! 今ジョーカーから連絡がきた。ヤツが仕立てた眷属二人、おっちんだってよ。エクスピアのヤツらこっちに来るぞ」


 アグレアスはニッコリと笑っているのか、鋭い牙を剥きだしにする。


「へー、あの兄ちゃんなかなかやるなぁ」

「カ、カイン様なら楽勝……ッ」


 自陣の負け星だというのに、絶望たつもも拳を握って嬉しそうにガッツポーズしていた。


「ったく変人共が………………あぁ、でもテメェは違うよなぁ?」

「……ッ」


 獲物おもちゃを見つけ獰猛な笑みを浮かべるエシュタル。御影みかげは僅かに肩を震わせた。


「裏切り者。テメェにしてみりゃあ今更元お仲間になんて会えねぇよなぁ。キャハハハ!」

「……」


 ユウトを……仲間を裏切る気なんてなかった。

 だが事実、絶槍ベルヴェルークは奪われ、エクスピアが保有していた魔道士ワーロック関連の研究資料までもが敵の手に落ちた。挙句の果てにその研究が基になり『カーネイジ・リンクス』という悪魔のシステムまで作らされてしまった。

 全部自分のせいだ。非力な自分を呪わずにはいられない。


「ま、心配しなくても元お仲間はこっちで丁重に処理してやるよ。テメェは精々吉野ユウトが来るのに備えてろ」

「ユウトさん……」


 あやめは言っていた。自分は吉野ユウトに対しての『切り札』だと。

 その真意は分からない。きっと良くないことが起こる。確実で致命的な何かが。そしてその時は着実に近づいていた。


「……けて」


 けれど分かっていても願ってしまう。どうしようもないほどに求めてしまうのだ。


(……助けて、ユウト)


 もう一度、あの暖かな手に触れたいと。



・2・


『やぁ、僕は生きていると信じていたよ。ユウト君』


 神凪夜白かんなぎやしろは張り付けたような相変わらずの笑顔でユウトの無事をモニター越しに祝福した。


「おぉ! 凄いのだパパ、このちっちゃい箱。中の小人がいきなり喋り始めたのだ!」


 ユウトの隣にいた夜禍ヤカがモニターを物珍しそうに覗き込む。


『……パパ?』

「落ち着いたらちゃんと説明するから、今は何も聞かないでくれ……」

『フフ、アリサ君を裏切るような真似をしない限りは僕から言う事はないよ』


 ニコニコ笑っているが、彼女の言葉からは全然冗談ではないのがヒシヒシと伝わってくる。


『まぁ積もる話は後でするとして、早速本題に入ろうか。君がいない間にこっちはもうめちゃくちゃだ』


 夜白やしろは簡潔かつ正確に、現状こちらが把握している情報をユウトに伝えた。ただし伊紗那いさなの件だけは伏せて。今の彼にこの事実を伝えることはマイナスでしかないと彼女は判断していた。


御影みかげが……ッ」

『心配しなくても彼女が故意に僕らを裏切るなんてことはないよ。十中八九、アヤメ・リーゲルフェルト――いや、神凪殺かんなぎあやめ詭計きけいだ』


 最後に御影みかげを見たのはバベルハイズ王国から出国する時。自分を全く顧みないユウトの戦い方に心が耐えられなくなって、あの時ついに彼女は泣き出してしまった。いつかこんな風になるのではないかと、きっとユウト自身が分かっていた。だからあの時の事がユウトの心を今も締め付ける。

 挙句、そのままろくに言葉も交わせずに別れてしまった。


「……ッ」

『自分を責めるのはお門違いだよ。今回はただ、良くないことが重なりすぎただけさ』


 立て続けに起こった重要ミッションによる戦力の疲弊と分散。

 一時的に記憶や思考が神凪かんなぎ達に筒抜けだった夜白やしろ

 そして吉野ユウトという最重要戦力の喪失。

 がら空きになった急所を見事に抉られた結果がこれだ。


「みんなはアメリカにいるのか?」

『カイン君たちはね。ただ安否は不明。アメリカ大陸に突如現れた黄金の大樹のせいか、全ての通信機器が遮断されているようだ。あっちの状況は入ってみないと知りようがないね』

「分かった。なら俺たちもアメリカに向かうよ」


 そう言ってユウトは一緒にいる燕儀えんぎ真紀那まきなに視線を送る。二人は何も言わずに小さく頷いた。


『ハハ、君ならそう言うと思っていたよ。けどいいのかい? 君の新しい魔法についてはさっき君自身の言葉で聞いたけど、覚醒したばかりの力は諸刃の剣だ』


 夜白やしろの心配はもっともだ。

 未だ新しい理想写しイデア・トレースは良い意味でも悪い意味でも未知数。もし土壇場で悪い方に傾けば、それはこれ以上ないほど致命的だ。特に今回は敵の手にも同じ魔道士ワーロックがいる。ユウトの力は絶対的なアドバンテージではない。


『君は、彼女みかげに言われた過ちをまた繰り返そうとしているのかもしれないよ?』

「……そう、かもしれない」


 ユウトはギュッと拳を握る。

 分かっている。この決断は再び彼女を傷つけるかもしれないと。


「でも俺は御影みかげを救いたい。どれだけ我儘だと言われても俺は、やっぱり自分を曲げられない。だったら貫き通して全部守ってみせるさ」


 それくらいできなければ彼女の言う通り、この覚悟は過ちだ。


『まぁ、僕にはそもそも止める理由がない。それにこの状況をひっくり返せるのはやはり君を置いて他にないだろう。最善手は打って然るべきだ』

「大丈夫! ユウトには僕が付いてるもん。ムフフ~♪」


 横から唐突にフランが現れ、ユウトに密着する。


「今度こそ、主をお守りします」

「お姉ちゃんにドーンとお任せってね」


 真紀那まきな燕儀えんぎも続く。


われも!」「アタシもー」「ボクも♡」「それがしも」


 ユウトの決意を聞きつけた魔神たちも強引に画面に入ってきた。


『ハハ、戦力は十分のようだ。OK、足はこちらで用意しよう』

「ありがとう」


 これ以上の確認は野暮だと夜白やしろは結論付けた。

 だが心しなければならない。

 これから自分たちが挑むのは、魔境と化したかの国――茫漠とした暗黒の中で、たった一人を救い出すなんていう分の悪すぎる勝負だという事を。


御影みかげは、必ず俺が連れ戻す」

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