第177話 復讐の終着点 -Well Wishing Word-
・1・
「ククク、抜け殻の分際でなかなかどうして足掻くじゃねェの」
魔人ドルジはニヤリと笑う。彼は放った式神の目を通して鏡の城内部の一部始終を観察していたのだ。
「なァ、テメェらもそう思うだろ?」
背後から音もなく近づいてくる気配に対し、ドルジは振り返ることなく尋ねた。
『チッ、気付いてやがったか。あわよくば後ろから刺し殺そうと思ってたのによぉ』
「いやいや、俺にそんな技量ありませんって」
現れたのはB-Rabbitのジョーカー。そして彼が持つタブレットに映し出された
「これはこれは……俺様みたいな余所者に随分な顔ぶれじゃねェの。何? 歓迎パーティーでもしてくれんの?」
「馬鹿言え、アンタは俺たちの計画にとって危険因子筆頭だ。願わくば即刻お帰り願いたいところだよ」
ジョーカーはそう言うが、どうやら彼のもう一人の雇い主は違うようだ。それが今のこの不可思議な状況を生み出している。
そんな中、その人物はタブレットの画面に映し出された。
『フフ、ようこそ私の
声の主はリングー社CEO――ギルバート・リーゲルフェルト。彼はドルジを素直に歓迎する。この状況下においては逆に異質とも思えるほどのさわやかな笑みを浮かべて。
『このような形の挨拶となって誠に申し訳ない。なにぶん私も多忙なものでね』
「気にすんな。忙しいのはお互い様だ」
『フッ、では単刀直入に用件だけを伝えるとしよう』
「イイぜ、俺様の背後を取ったご褒美だ。聞くだけ聞いてやるよ」
ギルバートはそれを聞くと、静かに表情から笑みを取り除いた。
『我々が進める計画への一切の不干渉……それが私の望みだよ』
「……ククク、ヒャハハハハ! おいおいこいつは何の冗談だ!?」
あまりにもナンセンスな要求にドルジは思わず吹き出していた。
「テメェらの
『あぁ、至極当然の反応だ。では私がその理由を提供するというのはどうだろうか?』
「あァ?」
ギルバートが指示を出すと、ジョーカーは懐から何かが入った小さな瓶をドルジの前に置いた。
「ッ!? テメェ……どこでこいつを」
『フフ、気に入っていただけたようだね』
ギルバートが提示した『理由』。
それはドルジが求めているものそのものだった。
「ヘヘ、イイのかい? 要求を呑まずに俺様がそこのザコを殺して奪っちまうぞ?」
「冗談に聞こえないから怖いって……」
『君の選択は自由だよ。だがそれはお勧めしない』
「……どういう意味だ?」
『あと二つ、とある場所にそれと同様のものを保管している。もし君が私の要求を受理してくれるのなら、その場所も教えよう』
ジョーカーはタブレットとは別の小型端末をヒラヒラとドルジに見せつける。どうやらあれにその情報とやらが送られてくるようだ。
(さすがにこの愉快な状況を生み出しただけのことはあるってわけか。大方噂に聞く
もはやお行儀のいい交渉などではない。これは脅迫だ。
受け入れなければドルジが欲する物は手に入らないどころか、永遠に失われる可能性すらある。
この場では『力』よりも『言葉』が勝っていた。
「……ククク、面白れェ。まさかこの時代に俺様を口説き落とすヤツがいるとはなァ。イイぜ、吞んでやるよその条件」
『結構、では交渉成立だ』
・2・
「が……ッ!!」
魔装が解かれ、ドレス姿の仮面の女が地面に落ちる。
「く、そ……クソッ! クソッ! クソが……ッ!!」
ボロボロの紅いドレスが大輪の華のように広がり、チェシャはその中心で蹲っていた。そんな彼女にある変化が表れる。
「ッ……いや……イヤァッ!!」
半狂乱になって急に叫び始めるチェシャ。その様子に誰もが目を疑った。
「あの人……体が……」
「あいつもジョーカーの『創作物』だったってことだね」
驚くアリサの横でシーマは語る。彼女は実際に同じ光景をこの目で見たことがあった。ページを破かれた『創作物』が消えていく瞬間を。
「イヤ……ッ」
戦いに敗北した結果か、あるいはジョーカーに不要と判断されたか。何がトリガーだったにせよ、彼女の
「き、消えたくない!!」
チェシャの仮面が砕け落ちる。しかしそこに彼女の素顔はなかった。彼女が誰であったのか、もはや本人ですら認識することはない。
彼女を知る者はこの世界から完全に消え失せた。
「アハハ……アハハハハッ! 歌える……私はまだ歌える! 私は繝√ぉ繧キ繝」だ!! ワタ、ワTaシは――」
顔のない歌姫は意味不明な言葉を撒き散らしながら手を伸ばす。だがやがてその動きも完全に停止し、指先から始まった崩壊が全身を侵していった。後に残ったのは『誰か』が使用していたネヴァンのロストメモリーだけ。
カインはそれを拾い上げると、
「アンタはヤツの創り物じゃねぇみたいだな」
「クク、半分は、な……」
「……何?」
カインは老兵の姿を見て訝しむ。
(トドメは刺しちゃいない……なら何でこのジジイはこんなに重傷なんだ?)
全身をズタズタに切り裂かれたような数々の裂傷。だがその多くは外から受けたものではない。内側から破裂……まるで生身の体を濡れた雑巾のように無理やり絞ったみたいだ。
「ワシも……さっき消えた誰かと同じじゃよ。生身の肉体にジャバウォックの
「改竄……」
全盛期を超える身体能力。
あるいは歴戦の兵士として経験さえも――
今となってはどこまでが創られた設定か知る由もないが、どうやらジャバウォックの権能は『
「ならテメェの自業自得ってことでいいな?」
「まぁ、そういうことじゃな……」
どの道この出血量ではもう助からない。助ける理由もない。
ならばせめてとカインはシャムロックを取り出した。
「待って、カイン」
しかし、そんな彼をシーマが制止する。
「ゴメン、でも少しだけ……私に時間をちょうだい」
「……好きにしろ」
「ありがと……」
シーマは感謝を口にすると、老兵の前にしゃがみ込んだ。
「ねぇ、あなた『復讐』って言ってたけど、それってあなたの家族のことよね?」
「……何が言いたい?」
シーマは何も言わず、携帯端末に映し出された写真を老人に見せた。
「ッ……!?」
「あなたの本名はベイル・クレスウェル。リスタリオ・クレスウェルはあなたの孫娘でしょ?」
「その写真を、どこで……」
「調べてたの。ずーっと前からね。まさかこんな形で当たりを引くことになるとは思ってもみなかったけど」
彼女が老人に見せたのはとある家族写真だった。この写真は当時その娘家族に初めての赤ん坊が誕生した際に撮られたものだ。
赤ん坊の名は――リスタリオ・クレスウェル。
シーマは彼女の事をよく知っている。おそらくこの世界の誰よりも。
「あなたの孫娘……リオは、生きてるよ」
「……ッ」
老人は言葉を失った。呼吸をすることさえ忘れていたかもしれない。
もう二度と彼女を目にすることはないと思っていたから。そのはずだった。
「気付かなくて当然だよ。赤ん坊の頃と今とじゃ全然見た目が違うんだから」
「この娘、あの時の……あの子が……ッ」
現在のリオ・クレセンタの写真を見せられ、老人は思わず声を荒げたが、すぐに全身に度し難い激痛が走り、動けなくなる。
「そうか……生きて……おった、のか……」
「うん、だからあなたの復讐はここで終わり。私たちは敵同士だけど、せめてこれだけはあなたに伝えておきたかったの」
シーマは真摯な眼差しでベイルを見つめた。
今更やり直すことはできないし、その時間もない。けれどせめて……せめてこの事実が復讐に焼かれ続けた彼にとって最後の
「……そうか」
震える手でベイルはシーマの手を掴んだ。
言葉はない。けれど彼女は小さく頷く。
それを見届けたベイルは最後にこう呟いた。
「――感謝する」
終わりのなかった復讐という名の牢獄。
そこから解放される魔法の言葉を。
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