第176話 悪夢を喰らう -Chaos Breaker-

・1・


「行くぜ」


 そう呟き、カインはグリップを回した。それを合図にバイク型神機ライズギアレグナントに内蔵された魔力エンジンが唸り声を上げ、後方のマフラーから赫炎が迸る。


 次の瞬間、赤い閃光が闘技場内の鏡を次々と砕いていった。


 鏡の城の核――不死をも成立させる半永久魔力貯蔵庫。

 そこへ至るためのただ一つのルートを疾走して。


「……ッ!」


 シーマが作った光の道標みちしるべは、ざっと36の鏡を通過してカインの足元を照らしていた。つまり彼女の元に辿り着くには、その逆を順番通り正確に通過していく必要があるのだ。

 驚くべきは僅か十数分で彼女がこの複雑怪奇な経路を導き出したことだ。もしこの場にカインだけだったならこうはいかなかっただろう。


「こいつで最後だ!」


 言うが早いか、レグナントの両輪は核へと至る最後のかべを突き破る。そしてブレーキ音を響かせ、シーマの目の前でピタリとその動きを止めた。


「ね、私がいて正解だったでしょ?」

「……あぁ、そうみてぇだな」

「ムフフ、素直でよろしい♪」


 満足げな顔のシーマ。そんな彼女が一歩横にずれると、カインの視界に卵に似た形状の碧い大結晶が現れた。


「あれが核か」

「うん、この城の心臓部。ただ問題はどうやってあれを壊すかな——」

「そいつはもう解決済みだ」

「え……?」


 カインはそう言って、ゆっくり右手を開く。


「もう十分寝たろ。そろそろ夢から覚める時間だ」

『フフ……あれほど情熱的にわらわを貪っておいて、本当に酷いお人』


 するとそこに常闇を絵具にして塗りたくったような漆黒のロストメモリーが姿を現した。同時に彼の背後に黒い着物を纏った半透明の少女――伊弉冉いざなみが浮かび上がる。


「……やっぱり生きてやがったか」

『いえいえ、この身は未だ抜け殻。もはや主様無しでは生きてはいけません』


 やけに含んだ言い回しだが、その下では見る者全てを惑わす妖しい瞳が彼を覗いている。


『フフ、では今一度問いましょう。主様、わらわを欲しますか?』

「とっととやれ! 出し惜しみは無しだ!」

『御心のままに』


 ただ一言、彼女はそう呟いて虚空に溶けて消えていった。

 カインはそれを見届けると、伊弉冉いざなみのロストメモリーをレグナントの鍵穴シリンダーに差し込む。


『BLACK OUT ......』


 体が光さえ逃れえぬ常闇に包まれていく。

 しかしもうそこに彼女の悪意はない。カインは構わずグレンデルを喰らった右腕で鍵となったロストメモリーを回した。


『Take over the nightmare』


 漆黒の中で閃光が迸り、相反するそれらはやがて混ざり合う。



『...... Chaos Breaker』



 魔装・混神Chaos Breaker

 刃神Crazy Edge銃神Noisy Barrel――不完全だった二つの魔装が一つに混ざり合い、完全となった瞬間だ。



・2・


「……凄い」


 シーマは思わず息を呑んだ。

 規格外の霊圧……そんな言葉では生温い。ただ一つ確かなことは――


(メアリーでもここまでは……)


 目の前の青年の魔力はそれほどまでに常軌を逸していた。

 刃神Crazy Edgeを連想させる漆黒の鎧。だが以前と違い全身に白いラインが走り、より荒々しいフォルムの装甲に覆われた姿。


「シーマ、下がってろ」

「え、あ、うん……」


 言われるがままに彼女が後ろに下がると、カインは遠方の鏡に視線を向ける。そこには今まさにアリサとチェシャが戦っている様子が映し出されていた。


「まずは役者を集めるとするか」


 そう言って彼は左右に両手を伸ばすと、掌の虚空を思いっきり握り潰し、引いた。すると文字通り世界が音を立てて歪み始める。


「ッ!?」


 次の瞬間、アリサとチェシャ、そして処刑人ヘッズマンまでもが一瞬で同じ空間に引き寄せられた。


「……ッ、いったい何が……」

「悪ぃな先輩、こっからは俺の独壇場だ」

「カイン……ですか?」


 時空を歪めた。空間と空間を強引に折り曲げ接着させ、一種のワームホールを形成する。アリサたちの移動はその結果だ。


「ここは……ッ!? 処刑人ヘッズマン! テメェ、ガキの一人も足止めできねぇのか!!」

「……来るぞ!」

「チッ……」


 チェシャと処刑人ヘッズマンが身構える。カインはゆっくりと彼らに向かって歩き始めた。


「邪魔だ」


 カインは右腕をただ横薙ぎに振る。するとまるで重力の向きが変わったかのように、二人の体だけが


「「ッ!?」」


 唯一魔装により飛翔能力を持つ処刑人ヘッズマンだけがバーニアを噴かせ真横への落下を回避し、カインに迫る。だがその姿は刃が触れる直前で泡沫うたかたのように消えてしまった。


(消えた……いや、初めから幻か!?)


 処刑人ヘッズマンが振り向いた時、すでに青年は碧の大結晶の前に立っていた。カインは自身の鎧と一体化したレグナントから銃剣を生成し、トリガーを引く。


『Hyper charge!! Dual ... Sinistra Edge!!』


 一閃――黒き残光が駆ける。

 その直後、大結晶が音を立てて圧縮されていった。


「何ッ!?」


 あまりにも信じがたい光景だった。黒の一閃によって生み出されたマイクロブラックホール。高重力の牙が無限の魔力を空間ごと咬み砕いているのだ。


「サマエル!!」


 チェシャが金切り声を上げ、魔装を展開する。大結晶からの魔力供給が途絶えるその前に。


『アハハハハ! 驚いたかい? 私のネヴァンはサマエルを喰らった神融型なのさ!』


 その姿はもはや人ではなく、二本の尾が蛇の姿をした巨大な紫虎。

 おぞましく口元から涎のように毒液を垂れ流し、カインを睨みつけている。


「いいぜ、遊んでやる。ほらどうした? 来いよ小猫ちゃん」


 しかしカインは全く臆することなく、銃剣をあたかも猫じゃらしのようにフリフリと手元で遊んでみせる。


『殺す!!』


 鏡の床を踏み砕き、チェシャは口から猛毒液を吐き出した。大質量の毒液は洪水のように迫り、簡単にカインを呑み込んでしまう……はずだった。


「いきなりゲロかよ、汚ねぇな」

『何!?』


 いつの間にかカインはチェシャの蛇尾の上に座っていた。


『ヴァアアッ!!』

「よっと」


 チェシャは再び毒液を弾にして吐き出したが、カインは彼女の尻尾を掴みクルリと回ってそれを躱すと、銃剣のリボルバーを回転させる。


『Hyper charge!! Dual ... Destra Barrel!!』


 白銀の魔弾がチェシャの胴体を貫いた。


『そんなもので……ッ!?』


 異変はすぐに起こった。チェシャの巨体から一気に力が抜けていき、その場で崩れ落ちた。


『魔力が……吸われる……』

「お前の体内時間を加速させた。魔力が洪水みてぇに流れていくだろ?」


 対象の時間を操作する銀弾シルバーバレット

 もとより魔具アストラは使用者の魔力を喰らい続ける神装。その消費速度がありえないくらい何倍にも加速したのだ。


「ッ……!」


 倒れたチェシャを隠れ蓑にして、カインの死角から処刑人ヘッズマンが強襲を仕掛ける。


「言ったはずだ。どんな力を得ようが、何も変わりはせんと!」

「俺も言ったはずだぜ? あんたはもう敵じゃねぇってな!」


 カインは処刑人ヘッズマンを蹴飛ばし、最後の力を振り絞って入れ替わるように襲い掛かってきたチェシャを全方位から襲い掛かる重力で拘束した。


『Awakening mode』


 銃剣のリボルバーを回し、すかさずトリガーを引くと、全身を駆け巡る魔力が右腕に集まり始めた。

 文字通りの覚醒状態。グレンデルによる力の完全制御。その能力で限界まで高まった伊弉冉いざなみの権能をただ一点へと収束させるのだ。


『Maximum charge!! Chaos Break!!』


 次の瞬間、空間と時間――二つの力を秘めた絶爪が紫虎の巨体を無慈悲に引き裂いた。

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