第174話 孤独のその先へ -Next stage-

・1・


「フフ、向こうはもう始めたようね」


 煌びやかな深紅のドレス。そして猫を想わせるような仮面の奥でニヤリと笑う歌姫は鏡に映ったカインたちを眺めながらそう呟いた。


「B-Rabbitの幹部、チェシャですね」

「あぁ? あー、あのクソ生意気な王女様あたりから聞いたってところかしら」


 アリサは幾千の武器を内包する黒匣はこ——パンドラを素早く拳銃に変え、その銃口を敵に向ける。しかしそれでもチェシャはまるで警戒する素振りを見せなかった。


「なら自己紹介は不要よね? その代わりに天国を見せてあげる。血と狂気で彩る私の歌劇アリアでね!!」


 次の瞬間、アリサの周囲を赤黒い炎が渦巻いた。


「な……ッ!?」


 肌を焼くその感覚に、一瞬アリサは怯んでしまう。

 チェシャの魔具アストラ——ネヴァンの権能は毒。あらゆる毒を自在に操り、未知の毒さえも生み出してしまう恐ろしい力だ。アリサは事前にライラからそのことを聞いて把握していた。

 だからこそこれは説明がつかない。チェシャが操れるのはあくまでも毒。断じて炎ではない。


「ハッ、何面食らってやがる? そら、どんどんいくよ!!」


 鏡の城内部の闘技場にチェシャの声が響き渡る。重く、そして肌を突き刺すほど鮮烈な魔性の歌声が。すると炎の色は赤から紫へと変化し、さらにその紫炎は虚空に現れた稲妻の槍に纏わりついてアリサを襲う。


「この……ッ!」


 アリサは半球状の大盾へとパンドラを変形し、槍の猛攻を防ごうとした。


「ッ!?」


 しかしそこでありえないことが起きた。

 槍はあろうことかパンドラの、彼女の左肩に突き刺さったのだ。


「ッ……ただの、槍じゃない……!」


 まるで幻であるかのように、あらゆる物理法則を完全に無視した攻撃。


(考えられるとすれば……私はもう……ッ)

「防ぐことなんてできないよ! お察しの通りその炎も、雷も、私の神経毒による幻覚だからね!」


 すでにネヴァンの毒はこの空間全てを支配していた。正確にはチェシャの声を聞いたその時点で。声の毒は聴覚を通じアリサの脳神経を侵し、ありもしない幻を彼女に見せていたのだ。


「でもただの幻覚だと思わないことね。お前の頭はそれを本物だと認識している。するとどうなると思う?」

「……」


 現実に炎は存在しない。それは間違いない。でもこの身を焦がす痛みは本物だ。流れ出る血も、切り裂かれた傷も虚構なんかでは決してない。

 結果のみが事実として反映され、そこに至る原因が存在しない状態。


「幻覚で受けたダメージはお前自身が帳尻を合わせる。つまりお前は私の歌で嬲り殺しにされるしかないんだよ!!」


 すでに形なき幻惑の狂爪はアリサの喉元に狙いを定めていた。



・2・


 ガギンッ!

 鋼と鋼がぶつかる鈍い音が静寂を切り裂く。

 両腕を交差させて防御の態勢を取ったカイン。そこに魔装ウルの魔弾が情け容赦ない鉄槌を下したのだ。


「ぐ……ッ」


 想像を遥かに超えた威力だった。たかが弾丸一発。しかしまるで巨人の拳を受けたかと錯覚してしまうほど規格外の衝撃がカインの体を宙に吹き飛ばす。


「さすがに硬いな。だがどんな守りも壊れる時は一瞬だぞ?」

「ッ……ご丁寧に同じところばっかり狙いやがって……」


 恐ろしいのは魔具アストラでも魔装でもない。これまでの戦いでそれらは処刑人ヘッズマンにとっておまけでしかないことを実感した。

 真に恐ろしいのはその戦闘センス。息をするように敵の上を行く判断力だ。それはカインの持ち味でもあるのだが、処刑人ヘッズマンのそれは彼を遥かに凌ぐ。そこにあるのは純粋な経験の差。間合いの取り方一つとっても、処刑人ヘッズマンは赤子の手をひねるかのようにカインの裏をかいてくる。

 それに加えあの異次元の射撃精度スナイプ。カインの動きを完全に先読みした射撃には一切の無駄もなければ隙もない。文字通りの百発百中を実現していた。


「いかに神の力を得たとしても、所詮それを扱うのは人だ。戦場の摂理は神ごときでは何も揺らぎはせん」


 その言葉が刃となり、伊弉冉いざなみの装甲に僅かな亀裂が走る。雨垂れが石を穿つように、度重なるダメージでついに鎧は限界を迎えていた。


「……まったく同感だ。

「何……?」


 カインはゆっくりと立ち上がる。そして後ろにいるシーマに一瞬だけ視線をやった。その意図を理解した彼女は周囲を見渡し、何かを探り始めた。

 シーマの変化を察知した処刑人ヘッズマンはすぐさまアームに隠した固定式短銃から弾丸を放つ。その間わずか0.2秒。だがその行く手をカインの神喰デウス・イーターが阻んだ。


「……」


 同時に今ので限界を超えた伊弉冉いざなみの魔装も完全に消失する。


「爺さん、あんたは強ぇ。そいつはこの世の地獄を見てきた戦い方だ。俺も大概地獄を歩いてきたが、あんたのそれはもっと凄惨だっただろうさ」

「フン、知ったような口を……」

「あぁ、これは若造の戯言だ。まぁその若造の戯言も案外馬鹿にはできねぇもんなんだぜ?」

「……」


 カインの雰囲気が変わった。それを瞬時に察した処刑人ヘッズマンは大型ライフルを構える。人差し指に軽く力を入れれば、スコープ越しにいつでもその命の終わりを見届けることができるように。


「確かに俺一人の力じゃ逆立ちしたってあんたには勝てねぇ」


 それが揺らぐことのない戦場の摂理。

 個としてより強い者が勝利する。孤独が常の戦場におけるシンプルにして絶対のルール。魔力も、魔具アストラも、摂理の前では単なる飾りでしかない。


「けどな、なら話は別だ」


 そう言って、カインは自分に残された最後の手札を切った。


「……何だそれは?」

「悪ぃな。俺もよく知らねぇんだ」


 エクスメモリー・グレンデル。


 孤独を超えた先にあるもの。そして仲間の想いが集約した勝利の可能性。

 それをカインは自らの右腕で喰らった。


「させるか!」


 処刑人ヘッズマンも引き金を引いていた。

 彼の右腕が輝きを増すのと、その心臓が貫かれるのはほぼ同時。

 しかしそれすら呑み込むように、輝きはさらに加速し――



『Extend Grendel ......』



 極彩色で塗り潰された世界に再び色が戻る。

 次に処刑人ヘッズマンがスコープ越しに目撃したのは、音速を突破した紅蓮の拳が自らのライフルを銃口から粉砕していく瞬間だった。


「ッ……!?」


 処刑人ヘッズマンは瞬時にライフルを手放す判断を下し、後退する。


「遅ぇよ」

「何――」


 しかしすでに背後を取っていたカインの大きな光爪が彼の装甲を紙切れのように抉る。それだけではない。大爪に凝縮されたエネルギーが炸裂し、魔装の鎧は内側から盛大に爆散した。


「ぐ……ぬ……ッ!」


 直前で鎧をパージした処刑人ヘッズマンだったが、右腕を失ったばかりか体の半分以上が焼け焦げ炭化していた。

 無論この程度の負傷は今の彼にとっては無に等しいが、問題はそこではない。


(流れが……変わった)


 爆炎の中で佇む影――処刑人ヘッズマンは戦いの流れを変えた張本人を睨む。


「何だ……その姿は?」


 異形の右腕を覆い尽くす赤黒い装甲は過去にカインが発現したどの魔具アストラでも、ましてや魔装でもない。そしてそのどれとも比較にならないほどの圧倒的な力を絶えず放出していた。


「さっきの妙な魔具アストラで魔装したか。今更そんなもので――」

「違ぇな。


 カインの言葉に偽りはなかった。

 その証拠にまるでスロットルを吹かすかのごとく魔力による霊圧は天井知らずの上昇を見せつけ、瞬く間に闘技場内を席捲せっけんする。


「ちょっとばかし裏技チートを使わせてもらったぜ。まさか卑怯なんて言わねぇよな?」

(ッ……こいつ、いったいどこまで……)


 一人では決してこの高みへ到達することはなかった。

 伸ばせばどこまでだって届きそうなこの右腕なら、どんな理不尽だって覆せる。カインの中でそんな確信があった。


「さぁ、反撃と洒落込もうか!」


 これこそ彼が仲間と共に手に入れた新たな『可能性』。


『――Accelerate!!』


 その一端だ。

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