第167話 踏み出す一歩 -No pain No gain-

・1・


われが……怖がっている、だと?」


 驚いているようでもあり、はたまた今にも泣き出しそうにも見える顔。

 その言葉は確実に夜禍ヤカの琴線に触れたようだった。


「ふ、ふざけるな! このわれが……いったい何に怯えるというのだ!?」


 だから当然、我に返った彼女はそれを全力で否定する。

 だがユウトは見逃さなかった。それでも彼女の声が僅かに震えていたことを。


煌華コウカ……だろ?」

「……ッ」


 その名前を口にした途端、夜禍ヤカの全身に今までにないほどの緊張が走った。ここまでハッキリすればもう疑いようがない。

 彼女が恐れているものの正体。それは——


夜禍ヤカ、君は家族を失うことを何よりも恐れている。そうなんだな?」

「……」


 彼女は魔神。人間ではない。

 元よりその精神構造は人間のものとは大きくかけ離れている。人の枠で彼女を理解することはそもそも不可能に近いだろう。けれど本能のみで生きる獣ではないこともユウトは知っている。知性を持っているとかそういう話ではない。

 夜禍ヤカの中にあって、人間ユウトが理解することができるもの——それは『家族』だ。いついかなる時も、彼女の周りには文字通り魔力を分けた家族と呼べる存在がいた。夜禍ヤカという一個の人格は、彼女たちの愛によって育まれてきたものであることはもはや疑いようもない。


「……か、ぞく……」


 例え言葉を知らなくても、その概念は伝わるはず。その証拠に口にしたその瞬間、夜禍ヤカの両目から大粒の涙が溢れ出てきた。


「あれ……何なのだ、これ?」


 自分が涙していることを知った少女はもう止まらない。嗚咽を漏らしながらその場で崩れ落ちた。


夜禍ヤカ!!」


 決闘の間も彼女をずっと心配していた明娘メイニャンたちがもう居ても立っても居られず夜禍ヤカの元へと集まる。


「はぁ……調子狂うわぁ」

「いきなり泣き出すなんてどうしたでござるか?」


 各々たじたじになりつつも、夜禍ヤカの頭を撫でたり抱いたりして彼女を落ち着かせようとする。


「だっ……で、われわれが一番強いのに……fjaでijふぁaod——」

「ほらほら、ヨ〜シヨシ」

「何にも、守れながっだ……ッ!!」

「「「ッ……」」」


 その言葉でようやく三人の魔神たちは夜禍ヤカの真意に辿り着いた。


夜禍ヤカ、アンタ……」

「ぐすん……われが不甲斐ないから……煌華コウカも、お前達もいなくなって……ヒッグ……」


 次々と心の内を吐露する夜禍ヤカ

 目の前で家族が消えていくあの光景、あの感覚。体の内を絶えず貪っていた今まで感じたことのない恐怖を吐き出すように。


「外がこんなに怖い世界だったなんて知らなかったのだ! こんなことなら外になんて出るんじゃ——」


 パシンッ!!

 その時、乾いた音が鳴り響いた。それは夜禍ヤカの頬が叩かれる音。やったのは意外にもフランだった。


「な……何するのだ!?」

「いい加減にしなよ。何もう全部終わったみたいな感じ出してるのさ?」


 どんなときも笑顔を絶やさないフランが今はひどく険しい表情をしていた。


「ようやく本音を言葉にできたね。でも本番はここからだよ。ねぇ、夜禍ヤカ。君もしかして……ううん、もしかしなくても煌華コウカのことでしょ?」



・2・


 明娘メイニャンの腕の中で明らかに夜禍ヤカが動揺を見せた。

 未だ奪われたままの仲間を今度こそ救い出す。その思いは皆同じだと思っていた。そう思い込んでいた。しかし——


「……夜禍ヤカ、さすがに嘘……だよね?」

「ッ……」


 明娘メイニャンの問いかけを彼女は否定しない。できないのだ。ここで嘘をつくことに何の意味もないことを知っているから。


「は……? 諦める? ふざけんなよチビ……このまま煌華コウカを見殺しにする気!? おい、何とか言えよ!!」

「お、落ち着くでござるよ神深シンシン!」


 中でも神深シンシンの激昂具合は凄まじかった。それこそ手元に応竜おうりゅうを召喚してしまうほどに。


「どうして分かったんだ? フラン」

「うん。まぁ、僕とあの子は悲しいくらい同じで真逆だから、かな」


 ユウトの質問にフランは敢えて曖昧な回答をする。


「僕は空っぽの出来損ないだったから……あ、いや、もちろん今はそんなこと思ってないよ? でも何にも持ってなかったからこそ、手に入れたものへの執着が異常に強かった」

「執着……」

「でも夜禍ヤカは僕とは違う。『家族』っていう強い絆を持って生まれてきた。初めから全部持ってた。あの子は今回のことでそれを失う恐怖を知ったんだ。たぶんそれは僕が考えるよりもずっとずっと怖い感覚……だと思う」


 要するに煌華コウカを救い出すことよりも、再び明娘メイニャンたちを失うかもしれないという恐怖が彼女の中で勝っているということ。

 それが本意ではないにせよ、夜禍ヤカ煌華コウカを諦めることでしかこの恐怖から逃れる術はないと考えてしまっているのだ。


「わ、われは……」


 彼女を見殺しにしようとする罪悪感からなのか、夜禍ヤカ明娘メイニャンの腕の中でガタガタと全身を震わせている。


「呆れた。一生そこで縮こまってなさい。発破かけるつもりだったけど、アタシはユウトに付いてくから」

「ダ、ダメなのだ!!」


 明娘メイニャンの腕から飛び出した夜禍ヤカ神深シンシンの足にしがみ付く。


「……ッ、あーもう! アンタが怖気づいてるんじゃ、アタシらがやるしかないじゃない! 煌華コウカはまだ助けられる。それはアンタも分かってるでしょ!?」


 真紅しんくに奪われた鳳凰ほうおうのロストメモリーさえ取り返せれば、ユウトの魔力で魔神は復活できる。それは他でもない明娘メイニャン神深シンシンが実証している。しかし——


「分かっているのだ! でも……また神深シンシンがいなくなるのは嫌なのだ!!」


 理屈ではなかった。

 彼女の心に深く刻まれたトラウマは、言葉では説明できないものだから。


「……じゃあどうすればいいのよ」


 原因の一端が自分にもある神深シンシンには、夜禍ヤカの気持ちがわからないわけではない。それに失うことを恐れているのは彼女もまた同じだ。


夜禍ヤカ

「……ん? アイタッ!?」


 目の前で座り込んだユウトが急に夜禍ヤカの額にデコピンを喰らわせた。よりにもよって理想写しイデア・トレースの籠手で。


「この勝負、俺の勝ちってことでいいよな?」

「むぅ……」


 彼女は不満そうな顔をするが、否定はしない。そもそも戦意はすっかり削がれてしまっていた。


「ならさっそく勝者特権を使う」

「ッ……!?」


 決闘前にフランが決めた勝者が敗者に何でも一つ命令できる権利。それを使うとユウトは宣言した。



「俺にもう一度、煌華コウカを救うチャンスをくれないか? 君が望むなら神深シンシンたちはここに残すよ」



 その言葉を耳にした夜禍ヤカは思わず目を見開いた。

 そもそもそんなの命令でもなんでもない。しかし他のみんなはユウトの意図を察してか小さく微笑んでいた。


「何なのだ……それ?」

「怖いなら怖いでいい。けど——」

われを憐んでいるのか?」

「そうじゃない。ただ君や神深シンシンたち以外にも煌華コウカを救いたいと思う人間がいることを分かって欲しいんだ。俺も、俺の仲間だって事情を話せばきっと手伝ってくれる」


 だからその機会をくれとユウトは彼女に命令ていあんする。


「君が守りたいものは、もう俺たちにとっても守りたいものだ。だから何が何でも煌華コウカを救い出す。異論はないだろ?」

「……」

「その上で夜禍ヤカも手伝ってくれるなら、これほど心強いものはないんだけどな」

「〜〜ッ、だーーーーッ!! もう分かったのだ! 分かったのだーーッ!!」


 頭の中でグルグルと巡らせていた言い訳を全て投げ出し、彼女は天に向かって雄叫びを上げる。そんな彼女の吹っ切れた様を見て、一同は張り詰めていた空気が緩んだのを感じた。


「いいだろう! その命令ていあん、乗ってやるのだ!!」


 ビシッと夜禍ヤカは指を立ててそう宣言する。ようやく彼女本来の気質が見えてきた。


「だが勘違いするなよ? 煌華コウカを一番に救い出すのはわれなのだ。はその手伝いをするのだ。いいな?」

「あぁ、分かってる……ん? パパ?」


 何だか急に不穏な言葉を耳にした気がする。ユウトは自分の背筋が凍りつく感覚を覚えた。


「なぁ……今、俺のこと何て呼んだ?」

「ん? パパなのだ」

「……何で?」

「ニヒヒ、お前からは何だか煌華コウカと同じ感じがするのだ。でもお前は男だからパパなのだ」

「んー?」


 ますますもって分からないといった顔をしていると、明娘メイニャンがそっとユウトに耳打ちする。


「随分前に夜禍ヤカが『家族』について書かれた外の本に興味を持ってたから、寝物語に読み聞かせたことがあるんだけど、それ以来あの子たまに煌華コウカのこと『ママ』って呼ぶようになったんだよねぇ。ちなみにボクは『お姉ちゃん』♪ 何かいい響きだよね」

「……」

「お前のこと気に入ったのだ。今日からわれのパパになるのだ」


 おそらく本人は気に入った相手に対して愛称を何となくで当てているのだろう。決して他意はない。決して……


「ユウトくーん」

「……ユウト様」


 背筋が凍る感覚。再び。


「いや、さすがに子供の言ってることだから……」


 振り向くと、


「刹ちゃんに言いつけてやる。フンッだ」

「……僭越ながら、御息女を持つにはまだ早いかと。まだ……」


 燕儀えんぎ真紀那まきなが冷めた視線でユウトを見ていた。

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