第166話 強さと弱さ -Both make you ...-

・1・


「覚悟はいいか、ユウト!」

「……あぁ」


 ユウトは新たに手に入れた力――エリュシオンを理想写しイデア・トレースの籠手に装填する。思うままに理想を体現する力が彼の全身を満たしていった。

 一方、夜禍ヤカは小さな背中に二対の漆黒の翼を展開し、爆発と錯覚してしまうほどの獰猛な黒い魔力を放出させながら黒髪を白へと染め上げる。

 それはまるで――


「……ッ、悪神化!?」

「たわけッ! ちゃんと制御しているのだ!」


 その言葉通り、以前とは違い彼女はちゃんと自我を保っていた。


(あの黒翼……)


 ユウトの蒼い瞳には四つの異なる魔力が二対の黒翼を起点に規則的な循環をしている様が映っていた。暴走していた頃とはまるで性質が違う。激流のような魔力はそのままに、それぞれが織物のように精密に重なり、より強い力を紡ぎ出している。枷が付けられているとはとても思えないほどに強く。


饕餮とうてつ!」


 次の瞬間、夜禍ヤカの手のひらからドス黒い魔力が洪水のように溢れ、その特大の質量は意思を持ったかのように大口を開けてユウトに襲いかかった。


「ッ!? 真緋の灼牙アル・アサド・ルフス!!」


 咄嗟にユウトは魂奏具アルマ・レムナントの名を叫ぶ。直後、緋色の炎が彼を包み込み、顕現した赤獅子の咆哮が黒き暴食を蹴散らした。


「フッ」


 しかし夜禍ヤカは不敵な笑みをこぼす。

 次いでギチィっと、金属が朽ちる音がした。


「……ッ、狙いはそっちか!?」


 彼女を縛る封魔の枷が朽ちて消えていく。

 今の一撃。狙いはユウトではない。暴食の濁流は単なる余波でしかなかったのだ。真の捕食対象は夜禍ヤカを縛る封印術そのもの。


「フン、この程度でわれを御するなど片腹痛いのだ!」


 決してリュゼの封印術が機能していなかったわけではない。並の人間なら指一本動かせなくなるほどの拘束力が約束された魔術だ。夜禍ヤカはそれを上から強引に捻じ伏せた。まるで人知を超えた存在に、人のことわりは通じないとでも言わんばかりに。


「うぐ……ああああああああああああああッ!!」


 封印が解かれ、本来の彼女の力が解放される。

 溢れ出る黒い魔力は空をいびつに歪め、夜禍ヤカの体を飲み込んで闇色の龍へと姿を変えた。


「ねぇ、これ冗談じゃ済まなくない!?」

「……ッ」

夜禍ヤカの……神獣化……?」


 その姿は明娘メイニャンたちでさえ見たことのないものだった。

 端的に言えば、有限でありながら魔道士ワーロックにさえ匹敵する膨大な魔力の全てが実体となった姿。だが本来、神獣化とは魔神と魔具アストラの境界を無くし、より高次の存在へと至るもの。体内に魔具アストラを宿さない夜禍ヤカではありえない。


『お前をボコボコにして、みんなを取り返すのだ!』

「別に俺は君から彼女たちを奪うつもりは——」

『うるさいうるさいうるさい! うるさいのだ!!』


 黒龍が叫ぶと歪み切った空が一層騒めき、視界を埋め尽くすほどの赤雷が一斉にユウトに襲い掛かった。


「ぐ、おおおおおおおおおおおおおお!!」


 ユウトは魂奏具アルマ・レムナントを赤獅子の姿から大剣へと瞬時に変え、真正面から赤雷を斬りつける。

 刀身は炎を吹き上げ、赤雷は轟音を轟かせた。

 激突する双方の魔力は互いを喰らい尽くさんと牙を立て合い、大気を甲高く軋ませる。その数秒後、彼の背後にあった海が文字通り裂けた。


(ッ、危なかった……今のは今まで俺が持ってたどの魔法でも防げなかった)


 この手に握る魂奏具アルマ・レムナントがなければ、今ので間違いなく死んでいた。そう確信できてしまう。

 だからユウトは目を伏せて静かに呼吸を整えた。自分の中にある恐れや不安を排し、僅かな可能性を見落とさないために。



。俺がここでやるべきことは夜禍ヤカを倒すことじゃない)



 頭の中をリセットする。もう、今までのやり方ではダメだから。

 フランの言っていた夜禍ヤカの願い。それを見つけるのはきっと果てのない『強さ』ではない。


(捻じ伏せるだけじゃダメなんだ)


 例え際限なく強さを得たとしても、そこに答えはない。

 必要なのは『強さ』ではなく、奥底に眠る『弱さ』。深淵を覗く覚悟。


『――――――――――――――――――――――――ッ!!』


 黒龍の尾が海を叩く。天を突き刺すほどの水柱が夜禍ヤカの魔力によって暴力の鉄槌へと生まれ変わった。しかし――


「ッ!!」


 ユウトはただ一点を攻撃することでその全てを受け流した。


『ッ……!? まぐれなのだ!!』

「いや、まぐれじゃない」


 その宣言通り、今度は続く雷撃を彼は発動前に打ち消してみせる。


『何、なのだ……お前は……ッ』


 夜禍ヤカには何が起こったのかまるで分からない。無理もない。何もかもを無視して一方的に彼女の攻撃が打ち消されてしまったのだから。

 しかしユウトは違う。彼は理解し始めていた。


 ――理想を体現する魔法。


 その本来の意味を。



・2・


渾沌こんとん!!』


 龍の顎が開かれ、怒涛のような黒炎が噴き出す。ユウトは臆することなくそれを魂奏具アルマ・レムナントで叩き切った。


『な……ッ!?』


 先程は相殺するだけで手一杯だったにも関わらず、今回は一切の抵抗なく斬られた。このあまりの変わりように夜禍ヤカは思わず息を吞んだ。


『ま、まだなのだッ!!』


 今度は広範囲に渡る暴食の魔力の乱れ撃ち。僅かでも触れればたちまち対象を喰らい尽くす可視化された死をユウトは難なく躱していく。


(相手が思い描く理想。そこから次の一手が見える)


 それによって先読みはもちろん、触れることで思いのままに干渉することができる。理想つよさの裏に隠された不安よわさ。こうなってはならないというマイナスの理想を体現して攻撃を相殺したように。


(それだけじゃない。夜禍ヤカを想う魔神みんなの理想も……)


 追い風のようにユウトの背中を押してくれる。


(そうか……そうだったのか)


 他者の『強さ』を形にする理想写しイデア・トレース

 その『強さ』を一つにした理想無縫イデア・トゥルース

 今まで自分の中にある『弱さ』がその『強さ』を眩しいくらいに輝かせていた。それはきっと憧れに近い感覚。

 だけど今のユウトに宿るのは理想を体現する力。どんな『弱さ』も受け入れて『強さ』へと変える魔法だ。そんな彼だからこそ、こうして相対することで夜禍ヤカの中でくすぶっている言葉にならない思い――『弱さ』を感じ取ることができる。


『Get ready for innovation!!』


 エリュシオンに真紀那まきなのメモリーを装填し、ユウトは新たな真名を叫ぶ。


「集え! 影に潜みし万物の霊長――万紫の極影リンクス・ウィオラケウス!!」


 星が落ちる。その閃光によって生じた影が一点に収束し、蛇の尾を持つ有翼の黒豹へと変貌を遂げた。

 黒豹は唸り声を上げると共に自身の体を溶かし、体を形成していた金属のような無形の物質は幾万の魔棘へとその形を変える。

 まるで意思を持ったかのように縦横無尽に飛び交う魔棘は黒龍の顎を粉砕し、その胴体に次々と大小様々な風穴を開けていった。


『――――――――ッ!!』


 だが魔棘に貫かれてもなお、黒龍が放つ魔力が衰えることはない。おそらく本体には当たっていないからだ。

 しかしさすがに形を維持できなくなったのかのたうつ巨体は爆散し、中から表情を無くした角の少女が姿を現す。


「……」


 虚勢の仮面は剥がれた。これでようやく二人は同じ土俵で話をすることができる。ユウトはもう一度深呼吸をして、ゆっくりと夜禍ヤカに近づいていく。


「教えてくれ、夜禍ヤカ


 ユウトが感じ取った彼女も知らない『弱さ』。その根源――


?」


 それを今この場で全て吐き出させるために。

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