第165話 深淵の火種 -Will be fire-

・1・


「~~♪」


 光の届かない通路に音が反響する。それは誰かが鼻歌交じりに靴音を鳴らす音だった。ある者にとっては無自覚な期待を表現し、またある者にとってはただただ終わりを待つ。そんな絶望の音だ。


「よー、お前ら。元気にしてたか?」


 ふざけた兎の面を付けたスーツ姿の男は重々しい扉を開いて声を張り上げる。

 男の名はジョーカー。一夜にしてこの国アメリカを混沌に堕としたテロリスト集団——B-Rabbitのトップだ。


「アハハ、ジョーカー様だぁ……♡」

「……」


 彼の前には両手両足を鎖で繋がれたみすぼらしい姿の少年少女たちが並んでいた。しかしその中で声に反応したのはたったの二人だけだ。


「【3トレイ】、【4ケイト】。残ってるのはお前ら二人だけか。ま、ちょうどいいか」


 ジョーカーはそう呟くと、虚空を切るように右手を一文字に振る。すると二人を拘束する鉄の鎖がいとも簡単に砕け散った。


「ッ、アハ……アハハッ! 動く……体が動くよ!」

「……何の真似ですか? 俺たち出来損ないは廃棄処分のはずでしょ?」


 少女は久方ぶりの自由を歓喜し、少年はジョーカーの行動を訝しむ。まるで対照的な二人の反応があまりにも予想通りだったため、ジョーカーは兎面の下で顔を綻ばせていた。

 二人はジョーカーと同じ『英雄創造計画ヒーローズ・ドグマ』――神和重工かむわじゅうこうが行っていた人工的に魔道士ワーロックを生み出す実験の被検体。【3トレイ】、【4ケイト】はそれぞれ彼らに与えられた識別番号だ。

 唯一の成功例であるメアリー・K・スターライト。そしてその能力を買われ、例外的に活用されているジョーカー。彼らはそのどちらにも該当しない完全な失敗作。精神が壊れるのが先か、それとも生命活動が停止するのが先か。いずれにせよ待ち受ける未来に光などない。

 わざわざジョーカーがここまで足を運んだのは、そんな彼らに会うためだった。


「まぁそう腐るなって。今日はお前たちにとっておきの話を持ってきたんだ。ほら、興味あるだろ?」

「ある!」

「……」


 ケイトと呼ばれた少女は素直に片手を上げる。そんな彼女を見て、隣の少年——トレイは小さく溜息を吐いた。それを承諾と取ったジョーカーは彼らの前で両手を大きく広げてこう言った。


「喜べ、同士諸君! 死に方を選ばせてやる。俺にこき使われるか、ここで絶望的に退屈な余生を過ごすか。好きな方を選べ」


 それは既に確定した未来というちゃぶ台をひっくり返す、失敗作ふたりにとってまさに神の啓示そのものだった。



・2・


「嫌なのだ」


 そう言って梁山泊りょうざんぱくの頭領――夜禍ヤカはプイッとそっぽを向いた。


「何でよ!? ユウトと関係持っておいた方が何かと便利じゃない!」

「潤沢な魔力。全力出し放題。当面生きるのに困らないよね~」

「……言い方」


 事情を知らない人間が言葉通りに受け取れば誤解待った無し。そんな神深シンシン明娘メイニャンが展開する自論を横にユウトは頭を抱えていた。というのも今後の方針の話をする中で、ユウトと魔神との間に魔力パスを繋ぐか否かという話題が持ち上がったのがそもそもの発端だ。

 実際、既に神深シンシン明娘メイニャンはユウトと繋がっている。二人の肉体は核であるロストメモリーを除き、一度真紅しんくによって完全に滅ぼされてしまった。復活した今、彼女たちを構成しているのは魔道士ワーロックとして再生したユウトの魔力だ。とはいえ二人が眷属になったわけではない。彼女たちの中にある魔具アストラ。その所有権をユウトが獲得したという表現が最も的を射ているだろう。

 どうやら夜禍ヤカはそれが気に入らないらしい。


「嫌だー! 嫌々なのだーッ!」

「あんまり駄々をこねるようならそれがしはユウトに付くでござるよ?」

「はぁ!? おま……ッ!?」


 翠蘭スイランはそう言うとユウトの手を優しく取る。すると二人の間に暖かな光が循環し、滞りなく契約は結ばれた。これで霊亀れいきの所有権もユウトに移ったことになる。


「うむ、末永くよろしくでござる」

「あ、あぁ……」


 屈託のない笑みを浮かべる翠蘭スイラン。もちろん仲間が増えるのは大歓迎なのだが、問題は夜禍ヤカだ。彼女が内包する莫大な魔力はリュゼの封印術で弱体化しているとはいえ、到底野放しにできるレベルではない。悪神化という爆弾を抱えているならなおさらだ。

 言い方は良くないが誰かが手綱を握らない限り、いずれこの世界は夜禍ヤカを害とみなすだろう。


「……うぅ……」


 しかし彼女はお気に入りのおもちゃを取られて今にも泣き出す幼子のような目でユウトを睨みつけている。非情にマズい。


夜禍ヤカ、俺は――」

「うるさいバーカ! バーカ!!」

「ユウト、ここは僕に任せて」

「フラン?」


 フランドール・カンパネリア。

 新たにユウトの眷属に加わった彼女は自信満々の笑みで腕組みをしていた。


「ちょっとお耳を拝借」

「ん? 何なのだ?」

「コショコショ……」

「ッ……フ、面白いのだ。その話、乗った!」


 彼女に何を吹き込まれたのか、さっきまでの嫌々から一転。夜禍ヤカは不敵な笑みを浮かべ、ユウトに挑発的な視線を送る。


「なぁ、何を吹き込んだんだ?」

「ズバリ、決闘だよ!」

「……はい?」


 指で拳銃の形を作ってそれを顎に添え、キメ顔でウィンクするフラン。彼女の提案はこうだ。

 ユウトと夜禍ヤカ。勝った方が負けた方に何でも一つ命令できるという子供でも思いつきそうな至極シンプルなルール。お互いの主張が平行線をたどる以上、確かに有効な手段ではあるが……


「でも……」


 結果、どちらに転んだとしてもわだかまりが残る。強制とはそういうものだ。お互いが納得するという最も難しく、最も重要なフェーズを無視して結果だけを求める行為。

 果たして本当にそれでいいのだろうか?


「大丈夫、たぶんユウトなら分かると思うよ。夜禍ヤカ自身も言葉にできない本当の気持ち」

「言葉にできない、本当の気持ち……」


 夜禍ヤカの拒絶。

 単なる好き嫌いや我儘ではない。そこにはもっと別の理由があるのだとフランは確信しているように見えた。


「うん。きっとそれは僕が教えるより、ユウトが気付いてあげることが重要なんだ。僕にそうしてくれたように」

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