第163話 為すべき選択 - Primordial wish-

・1・


「やった……」


 焼ける空を見上げたフランが呟く。


「やった! ねぇねぇ! ユウトがやったよ!!」

『フラン殿! それより今は……おぉッ!? こら、暴れるなでござるったら!』

「わ、ごめん……ッ!」


 ユウトが発現した新しい魔法のおかげで厄介な黒嵐の翼を封じたとはいえ、それで夜禍ヤカの暴走が止まったわけではない。本命はここからだ。


「作戦通り、僕たちで夜禍ヤカの魔力を封じるんだよね?」

「うむ。四凶はこちらで抑えるゆえ、フラン殿にはそれがしの助力をお願いするでござる」


 神獣化を一度解き、虚空から姿を現す翠蘭スイラン。顔が見えるようになってはじめてその表情がどこか暗いことにフランは気付いた。


「ヴァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 充血して赤く染まった目。過剰な魔力の活性化で変化した白い髪の毛。これまでになく進み過ぎた悪神化によって理性なき獣に堕ちた夜禍ヤカ本質すがたを前にすれば無理もない。それほど彼女にとって、いや梁山泊りょうざんぱくにとって夜禍ヤカという存在は特別なのだ。


「だ、大丈夫! 僕……ホラ、マスターの複製体だし! 案外二、三人分の働きだってできる……はず……たぶん」

「フッ、気遣い感謝するでござるよ。もとよりそれがしたちの役目……三人のためにも、絶対にやり遂げる」

「……うん!」


 上手くいく保証なんてどこにも無い。でもやらなければ取り返しがつかなくなる。これから彼女たちが挑むのはそんなあまりにも不条理極まりない賭け。

 それでも、立ち止まってなんかいられない。


「それじゃあ、始めようか!」


 フランと翠蘭スイランは互いに頷き、持てる魔力の全てを解放した。まずフランが坐禅を組んだ翠蘭スイランの肩に手を乗せありったけの魔力を流し込み、翠蘭スイランは彼女の魔力に加え周囲の自然エネルギーをも取り込んで最終的に自分の魔力に変換する。そしてその全てを余すことなく夜禍ヤカへと送り込むことで魔力の中和は成される。

 要は純粋な力比べだ。だからといって勝つ必要もない。彼女の理性さえ取り戻せればそれでいい。

 理屈の上ではそのはずだが——


「ッ……ここまで、とは……」

「……頑張って!」


 中和が思うように追いつかない。

 『四凶』は『四霊』が持つ負の側面の集合体。それはさしずめ陰と陽のようなもの。互いに互いを滅ぼす性質を持っている。しかしすでに器から零れ落ちた水を簡単には戻せないように、一度箍が外れ氾濫した夜禍ヤカの魔力はこれまでの理屈から完全に逸脱していた。もはや霊亀れいき単体ではどうにもならないほどに。


「それ、でも……ッ!」


 諦めない。

 奇蹟がくれた、この世で一番大切な存在を守るために。


翠蘭スイラン、危ない!」


 不意に何かを察知したフランが叫び声を上げた。夜禍ヤカから溢れ出たかつて翼だった黒い魔力が文字通り牙を剥いたのだ。


「させない……ッ!」

「フラン殿!?」


 中和の要である翠蘭スイランを守ろうと自ら前に出たフラン。血に飢えたあぎとが彼女を喰い殺そうとしたその時——



「フフン、ここはボクたちの出番だね」

「全く、さっさと起きなさいよこのガキンチョ」



 何者かが二人の目の前で黒きあぎとを屠った。



・2・


 ――数分前。



『ヴ……クソ、ガ……ッ』


 大量の血を吐き出しながらその場で膝を付く真紅しんく鳳凰ほうおうの不死性を取り込んだとはいえ、許容量を遥かに超えたユウトの一撃は紅の戦鬼の鎧を粉々に砕くほど苛烈だった。しかしそれでも五体満足で生きているのは鳳凰ほうおうの再生能力によるものか、それとも彼自身の特殊な体質ゆえか。

 どちらにせよ、これで決着だ。


「もう止めろ。お前の負けだ」

「ハッ……この期に及んでまだそんな甘ぇこと言ってんのか。ごぼ……ッ!」


 恐ろしいまでの執念。こんな状態でもなお真紅しんくの目は死んでいなかった。むしろ憎悪と嫌悪の炎は滾りをさらに増している。

 ユウトは手の中にある二つのロストメモリーに視線を移す。先程の魔法で鎧を砕いた際に彼の体内から奪い返したものだ。


「その魔具アストラをどうする気?」


 隣に立ったリュゼがユウトに問う。


「これにはあの子たちの魂が眠ってるんだ」

「だからといってお前が扱えるようなものではないでしょう? それは理想写しイデア・トレースとは根本的に別物だ」

「いや、今の俺だからできるんだ」

「……?」


 魔具アストラの待機状態であるロストメモリー。単なる偶然か、その形状はユウトが魔法で生み出すメモリーと非常によく似ている。それもあって過去に一度、彼は理想写しイデア・トレースでロストメモリーを使用したことがある。しかしリュゼの言う通りこれはそもそもユウトの魔法ではない。その拒絶反応は凄まじいものだった。

 でも今なら……


「待ってろ。今出してやるから」


 そう呟くとユウトは二つのロストメモリーを籠手に続けて装填した。


『Set up ... Initialize start』


 あの時との決定的な違い。

 それは二つの魔具アストラが全く拒絶を示さないこと。そればかりかユウトの魔力に呼応さえしている。


「これは……ッ」


 ユウトが発現した新たな魔法――理想の自分を体現する力によって彼自身の波長を魔具アストラのそれと同調させたからこそできる芸当だ。


『Release reincarnation』


 籠手がそう告げると、二つのロストメモリーは意志を持ったかのようにユウトの元から飛び出し、蒼い光を纏って彼の前に降り立った。


「むにゃむにゃ……ンニャ?」

「え……アタシ、何で……」


 光の中から現れたのは二人の魔神――明娘メイニャン神深シンシン。死んだはずの彼女たちがそこにいた。


「おかえり、二人とも」

「ユウト……?」


 二人とも何が起こったのか理解が追い付いていない様子。失ったはずの自分の肉体を不思議そうに見回していた。けど詳しい説明は後だ。まだやるべきことが残っている。ユウトにも、彼女達にも。


「話はあとだ。二人は夜禍ヤカのところへ」


 魔神二人が理解するにはその言葉だけで十分だった。


「あと一つ。煌華コウカも返してもらうぞ!」

「……ッ、何でもありかよ」


 身構える真紅しんく煌華コウカのロストメモリーだけは彼の深い部分に取り込まれていたため、さっきのタイミングでは取り返せなかった。しかし戦鬼状態を解除した今なら彼とロストメモリーは分離した状態にある。


「ハイハーイ、そこまで☆」


 しかし流れを断ち切るかのように神凪明羅かんなぎあきらがパンパンと手を叩きながら二人の間に割り込んだ。


「……テメェ、今更何のつもりだ?」

「アレェ? 明羅あきらは君がボコられてるから助けに来たんだけど? エヘヘ、優しいでしょ?」

「寝言は寝て言え」

「アハハ! ひどーい♡」


 彼女がそんな殊勝な感情を持ち合わせているはずがない。もし本当ならもっと早く介入していたはずだ。ここまでそれをしなかったのは単に彼女が状況を楽しんでいたからに他ならない。むしろ真紅しんくが敗北するというこの結果にすら満足している節が見える。


「ッ!」

「おっと」


 突如、火花が散った。

 瞬時に飛び出したリュゼの拳が明羅あきらを襲ったのだ。だが彼女の拳はどこからか現れた無骨な大斧によって防がれていた。


「フ~、間一髪♪」

「やはり神凪明羅かんなぎあきらは複数個体存在するか。貴様、本当に人間か?」


 この手で倒したはずの敵が目の前にいる。そんな異様な状況を前にしてもリュゼは眉一つ動かさない。


「アハハ、それは企業秘密♪ そういうシスターさんはさっきより随分弱くなってるね。なるほどなるほど……吉野ユウトが魔道士ワーロックに返り咲いたのはそういう絡繰りかぁ♪」

「よく喋る口だ」


 黙らせるようにさらに続けて二撃。左拳と回し蹴りによる連撃を繰り出すリュゼ。


「アステリオス」


 しかし明羅あきらの大斧が不気味に蠢いたかと思うと、信じられないことに斧刃から雷を纏う獣の巨腕が生えてきた。


「ッ!?」


 リュゼは咄嗟に蹴撃を止め、距離を取る。

 大斧の正体――それはリュゼたちがここへ至るために倒した牛鬼アステリオス。その本来の姿だったのだ。


「よっと。ねぇ、提案なんだけどさ。ここらで痛み分けにしない?」

「何……?」

「さっきのでこの箱庭ももう保ちそうにないんだよねぇ。このままだとみんなまとめてお陀仏ってわけ。そんなの嫌でしょ?」


 彼女の言葉通り、ユウトの炎撃で焼けた空は不自然にひび割れていた。この箱庭自体がどういう構造なのかはさておき、限界なのはまず間違いないだろう。


「緋の叡智。お前は外法認定されている。滅星アステールの私がそんな戯言を呑むと本気で思っているのか?」

「外法? それって君たちが適用するルールじゃん。明羅あきら知らなーい。キャハハ!」


 明羅あきらはリュゼの言葉を一蹴し、アステリオスの大斧を地面に叩きつける。直後、地面から無数の岩壁が隆起し、森自体も地鳴りを始めどんどんその形を変えていった。ある一定の法則に従って、何かを形作るように。


「ッ……この森を迷宮化しているのか!?」


 空間そのものを自在に書き換え支配する。それが魔斧アステリオスの権能。場所を問わず、その一振りは彼女たちを隠す魔境を築き上げる。


煌華コウカ!」


 ここで真紅しんくたちを逃すわけにはいかない。考えるよりも先にユウトの足は動いていた。しかしそれでもアステリオスの能力が発動してからでは遅すぎた。彼の行手を容赦なく幾重にも重なる岩壁が遮る。


「まだッ!」


 岩壁を壊す時間が惜しい。むしろ壊しても周囲の物体全てが変化しているなら意味がない。ユウトは魔法で破壊することはせず、脚力を強化して天へと伸びる岩壁を超えた。


「ッ……」


 だがすでに彼女たちの姿はどこにも見当たらなかった。魔力、呼吸音、足音にいたるまで、あらゆる痕跡が消えている。迷宮として構築された全てが気配の一切を断っているようだ。


『アハハ! 今回は明羅あきらたちの負け。おめでとう☆ ご褒美にその子たちは好きにしていいよ。ま、とっくに明羅あきらの制御からは外れてるしねー』

神凪明羅かんなぎあきら!!」

『けど次は負けないよ。もっともーっと強い明羅あきらを作っちゃうもんね。んじゃ、そゆことで。チャオ♪』


 それ境にどこからともなく聞こえてきた彼女の声は完全に響かなくなった。


「逃げられたか」

「……ッ」


 リュゼは降りてきて悔しそうな顔をするユウトの肩に手を置き、強引に自分の方へと手繰り寄せる。


「直情的になるな!」

「ッ……、リュゼさん」

「教えたはずよ。どんな時も大局を見定める視座を持てと。行動と感情は切り離せ。でなければ何も守れない」

「……」


 それは最初に彼女に教えられたことだった。

 勝者が必ずしも強者であるとは限らない。でなければ人の歴史はもっと単純だ。例え魔道士ワーロックという規格外の存在であろうとそれは同じこと。

 できること、できないこと。

 それを見誤った者が敗者となる。必要なのは自分という盤上の駒が引き出せる最善最良の一手を見逃さないこと。強者であるということはその一手に大きな意味を与えることだ。

 だからこそリュゼはユウトに諭すように問いかけた。


「言ってみなさい。今、お前が為すべきことは何?」


 彼が打つべき次の一手。

 それは為したいことではない。だ。

 間違えてはならないのはこの一点のみ。


(俺が、為すべきことは……)


 今はどう足掻いても煌華コウカのロストメモリーを取り返すことはできない。まずはそれを認めよう。

 次に今できることを考える。ユウトにしかできないことを。


「そうだ……そうだった」


 焼け落ちる空を見上げながら、ユウトはその答えを見つけた。

 考えてみれば何てことはない。初めからその答えは誰もが口にしていた。


「みんなで、生きてここから出るんだ!」


 それがこの地に生きる全ての命が叫ぶ理想ねがい

 そしてそれを体現する力がこの手にはある。

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