第161話 不平等な世界 -Designed World-

・1・


「う……ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 自我を失った夜禍ヤカの怒号が箱庭の擬似天上を震撼させた。

 背中の黒翼がバラバラと散っていき、代わりにモザイクにも砂嵐にも見える黒い粒子が渦巻く。


夜禍ヤカ! 目を覚ますでござる!!」


 悪神化の進行はもはや翠蘭スイランですら見たことのない段階にまで到達していた。だか諦めない。たった一人の少女を守るための最後の希望。その役割を担えるのは彼女たちだけなのだから。


「動きを止めるよ! さぁ、パレードを始めようか!!」


 フランが指を鳴らすと、彼女の足元から無数の黒いヒトガタが現れる。数にしてざっと三十。そのヒトガタたちは夜禍ヤカを拘束するため一斉に襲い掛かった。

 しかし――

 ゴォオ!! という轟音と同時に全てが無に帰す。


「ウソッ!?」


 夜禍ヤカの取った行動は恐ろしくシンプルだった。

 背中から生えた一対の黒い嵐を右から左へ薙ぎ払う。ただそれだけ。

 たったそれだけでノートに書いた文字を消しゴムで消すみたいにフランのヒトガタを一掃してしまった。


「……ッ」


 だが当然これで終わりではない。間髪入れずに大地より無数の岩壁が隆起し、夜禍ヤカの動きを阻む。それだけではない。突風は刃へと姿を変え背中の黒嵐を散らし、水は大蛇となり彼女の四肢を縛った。ありとあらゆる物が物理法則という名の檻から解放されていく幻想的な光景。まるで森全体が夜禍ヤカを抱擁せんがために動いていた。


 神獣化――霊亀れいき


 翠蘭スイランのそれは他の魔神たちのように己の姿を変化させるものではない。むしろその逆を行く。今の彼女に姿形などない。

 強いて言うなら——


翠蘭スイラン、そこにいるんだね?」

『ござる』


 森羅万象こそが彼女である。

 有機物、無機物、果ては空間さえも。翠蘭スイラン自身が巨大な一つの世界として存在する状態。それが彼女の神獣化。霊亀れいきの大結界だ。


『こちらも少々派手に行くでござるよ』


 彼女がそう言った直後、遠方で


「……すご……ッ」


 フランは思わず息を呑む。ものの十数秒で文字通り山が動き、巨人の体躯を形成したからだ。巨人は両手で夜禍ヤカを包み込むと、その中に彼女を閉じこめた。


「やった!?」

饕餮とうてつ


 だがそう易々とはいかない。夜禍ヤカが放った暴食の魔力が巨人の掌から零れ落ちたかと思うと、一瞬でその両腕を食い千切る。


『ッ……無茶苦茶でござるな』


 悪神化が進むごとに夜禍ヤカの中にある四凶の力が増幅している。本来彼女が持って生まれた災厄の権能が。


「――――――――――――ッ!!」


 ゾッとする重圧の壁のようなものが広がっていく。声にならない叫び声を上げる夜禍ヤカの背中から黒嵐の翼がさらに2枚……いや、4枚生み出された。


「ッ!?」


 三対の凶悪で歪な翼。それぞれがまるで意思を持っているかのように蠢いている。

 ハッと顔を上げたフランの目の前で、そこにあったはずの太陽が消えた。


「……窮奇きゅうき


 そう夜禍ヤカが告げると同時に、夜になった空が禍々しい殺意を向ける。

 次の瞬間、数百、数千を優に超える破壊の流星が降り注いだ。



・2・


『Devotion』


 理想写しイデア・トレースが唸る。


「これが……私の」


 寄生型のぬえを宿す真紀那まきなの場合、魔神同様に体内のロストメモリーが干渉してメモリーを生成できない可能性があったが、どうやら眷属である彼女は問題ないらしい。

 真紀那まきなのメモリーから生み出された魔法――それは鏡だった。ユウトはその鏡を燕儀えんぎに向ける。するとユウトの中である変化が起きた。膨大な戦技の記憶。橘燕儀たちばなえんぎが持つ戦闘技術の全てがユウトの中へと流れ込んできたのだ。まるで彼女がユウトに乗り移ったかのように思考がクリアになる。


「降霊術、ね。味方ながらまぁまぁズルいよね」

「いやそう言われても……でもこれで――」


 言い終わるよりも先に体が動いた。真紅しんくが放った鋼の激流に対し、体が自然と最適な動きを取っていた。

 敵の攻撃はどれもこれも当たれば即死必至。だからこそユウトに求められるのは何よりも基礎能力の底上げだ。衝撃は魔術障壁で散らし、脚力にも補正をかける。魔道士ワーロックだった頃は意識しなくてもできていたことだが、そうでない今こうして擬似的にそれを再現できるのはとてもありがたい。


「行くぞ!!」

「了解!」

「はい!」


 ユウト、燕儀えんぎ真紀那まきなは別々の方向から真紅しんくに突っ込んでいく。


『オオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!!』


 三人の眼前を赤い稲妻が走る。ドンっと爆音が炸裂し、真紅しんくを囲うように大地から金属質の棘が飛び出した。


「気を付けろ! そいつは複数の魔具アストラを使ってくるぞ!」

『Dagda ... Loading』


 燕儀えんぎ神機ライズギアにロストメモリーを装填し、その権能を発動する。柄のトリガーを引くと剣を中心に黄金の鋼糸が蜘蛛の巣状に展開され、彼女の体は宙を舞った。


「よっと」

『ハッ、叩き落としてやる!』

「フフン♪」


 直後、液体金属で構成された龍尾が振り下ろされた。だが幾重にも折り重なった鋼糸の強度はそれを上回る。


『ッ……体が!?』


 同時に無数の鋼糸が足元から真紅しんくの体を縛り上げ、その動きを封じた。


「覚悟」


 隙を突いた真紀那まきな輝夜かぐやによる一閃を放つ。破魔の残光は彼の脇腹を鎧ごと切り裂いた。


『ぐああ! クソ……がッ!?』

『Protean』


 燕儀えんぎのメモリーを使い、ユウトはさらなる追撃を仕掛ける。呼び出した長棍に紅蓮を纏わせ、真紅しんくの胸部を正確に突いた。


「もう止めろ! こんな戦いに意味なんかないだろ!」

『あぁ? 寝ぼけてんのかテメェ。意味なんてあるわけねぇだろうが!』

「だったら何で……ッ」

『生きるためだ! 他に大層な理由が必要かよ?』


 真紅しんくは全身から莫大なオーラを発生させ、鋼糸の拘束を力任せに引き裂く。避けるか防ぐか、考える間もない。殺意の嵐が容赦なくユウトへと叩きつけられた。


「ぐ……」

『この世界には無意味に死んでいくやつなんてごまんといる。俺にとってはここも、外の世界もたいして変わらねぇんだよ。勝者が敗者を食い物にする。不平等でクソッたれな世界だ!!』


 真紅しんくは躊躇いなく倒れているユウトに向かって鉄牙の大剣を振り下ろす。咄嗟にユウトは長棍の関節を折り曲げ大剣の軌道を逸らしたが、それでも微かに回転する鉄牙が頬を掠めた。


「……ッ」

『席は一つ。戦わなければ死ぬだけだ。意味がないと戦えないなら俺によこせ!』

「ユウト君ッ!」

「ユウト様!」


 ユウトを追い詰める真紅しんくの左右から燕儀えんぎ真紀那まきなが迫る。しかし二人の行く手を豪炎と轟雷が遮った。


『まずはうざってぇテメェから消してやる』

「……こんなところで、死ねない」


 ミシミシと体を軋ませながらも、自然と両腕に力が籠る。

 まだ死ねない。ここを出てやるべき事がある。


「俺は……ッ!!」


 だけど足りない……そのためにはもっと力が必要だ。目の前の理不尽をも覆せる強い力が。

 考えるよりも先に、体はその答えを知っていた。



Tyrfingティルヴィング ...... absolution』



 再びユウトは理想写しイデア・トレースに魔剣を突き刺す。黒き衣を纏い、闇に溶けるように彼は真紅しんくの前から姿を消した。


『ッ……そこか!』


 背後に気配を感じた彼は乱暴に右腕を振り回した。しかし空中でその腕を掴んだユウトと真紅しんくの天地が逆転する。そのままユウトは宙に放り出された真紅しんくの体を思いっきり地面に叩きつけた。


「ぐっ……」


 トドメを刺そうと燕儀えんぎのメモリーを取り出したが、そこでまたしても魔力の暴走が始まった。激痛で手から零れ落ちた彼女のメモリーも霧散してしまう。


(まだだ。あと少し……あと少しだけ耐えてくれ!)


 ミシミシと全身の骨が軋み、赤い鮮血を流れる。黒衣も徐々に崩壊を始めている。しかしそれでもユウトは膝を付かなかった。

 魔道士ワーロックとしての力は失われた。

 虎の子の魔法も使い切った。

 『ただの人』に戻った彼にはもうろくな力は残っていない。


(それでも……俺は……ッ!!)


 それでもこうありたいという理想だけは――変わらない。



「やれやれ……相変わらず意固地なんだから」



 そんな時だった。

 立っているだけで精一杯の彼の体を後ろから優しく抱擁する者がいた。


「リュ、ゼ……」

「ユウト、私はお前の監視役よ。これは猊下の命。

「どういう……んッ!?」


 その答えを聞くよりも先に、彼女の唇がユウトの唇を塞いだ。



・3・


「……いやいやあのお姉さん、バカ強すぎでしょ……ごぼ……ッ」


 神凪明羅かんなぎあきらは虫の息でそう呟く。彼女の全身はリュゼによって破壊され、もはや人の原型を保っているとはとても言えない状況だ。さらに奇妙なことに傷口から


「フフ、フフフ……」


 笑ってしまう。胸が躍ってしまう。

 舐めていたつもりはない。前もって準備していたわけではないが、滅星アステールを仕留められるだけの機能をこの体は十分有していたはずだ。にもかかわらずこの様。一瞬で明羅あきらの体は完膚なきまでに破壊された。


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

「ハロハロー☆ ご機嫌だねぇ」


 狂ったように笑う彼女の傍らにもう一人の明羅あきらが姿を現す。


「そりゃ笑っちゃうでしょ? この明羅あきらは現状戦闘型としては最高クラス……それが一瞬でこれだぜ?」

「う~ん、何だろうねこの蒼い炎? 片っ端から細胞が壊死……いや、消滅してる」


 通常ではありえない現象。魔術が関わっているのは明らかだが、この消滅魔術の正体を明羅あきらは知らない。まったくの未知の力だ。それも非常に強力な。


「ま、いっか。あとでじっくり解析しよ♪」

「OK……明羅あきらの死、最大限生かしてね……」


 そう言い残し、蒼い炎に焼かれる明羅あきらはもう一人の彼女の影に沈んでいった。

 確かに不可思議な現象ではあるが、それは同時に彼女の探求に新たな可能性が生まれたことを示唆している。少なくとも今の彼女にとって早急にやるべきことが明確となった。

 それは――


「フフ、さすがに最近死にすぎてるし、そろそろ明羅あきらの大型アップデートと洒落込みますか☆」


 焦げた帽子を片手で弄びながら、明羅あきらは心底楽しそうにそう宣言した。

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