第160話 彼が求めた力 -I am not alone-

・1・


「ここまでだな」


 神凪滅火かんなぎほろびはそう呟いて、読んでいた本をパタンと閉じる。


(これで吉野ユウトのもとに必要な戦力が集う。あとは彼ら次第だ)


 無事こちら側に帰還するか。

 それともこのまままとめてあの明羅バケモノの餌食になるか。

 どちらにせよ、滅火ほろびが手を出せるのはここまで。



『やぁ滅火ほろび君、ここはいい場所だね。快適な日光、撫でるようなそよ風。雑音にも無縁で読書にはもってこいだ。君もそう思うだろう?』



 しかしこの場を立ち去ろうとしたまさにその時、まるでタイミングを測ったかのように彼の脳裏に声が囁いてきた。滅火ほろびは小さく溜息を吐いてその声の主に返答する。


「何の用だ?」

『何の用とはあんまりじゃないか』


 声の主はあくまで優しい口調でこう続けた。


『無論、今回の件についてだよ』

「……」


 彼が接触してくることはおおよそ予測していた。

 『神凪かんなぎ』の名を冠するということは、ある一つの契約を結ぶことを意味する。それはこの世界という枠の外に存在する叡智――『外なる叡智アウターレコード』と繋がるということ。

 この世ならざる外法を用いてでも成就したい大願を持つ者たち。

 それが神凪かんなぎだ。

 彼らの役割は使者レセプターとして常識を超えた叡智を用い、各々の命題を探求することにある。要するに全員が一つの巨大な叡智ネットワークで繋がっており、望み得る限りの最適解を引き出すことができるというわけだ。

 ただ、一見便利なこの機能を妙な使い方で楽しむ者がいる。

 それがこの男――神凪我欲かんなぎがよく


『ここは彼女の領域だ。むやみやたらに侵すのは感心しないな』

「必要以上に干渉するつもりはない。それに人のプライベートにまで土足で踏み込む君には言われたくないな」


 外なる叡智アウターレコードを経由し、他者の脳内を閲覧する。本来は神凪かんなぎ同士で研究成果を共有するための機能だが、こと我欲がよくに関して言えばそれだけにとどまらない。彼は知識だけでなく、記憶や感覚にまでアクセスしてくるのだ。現にこうしている今も我欲がよく滅火ほろびの感覚を通して彼の世界を体感していた。

 理屈の上では可能だとしても、そんなことをする物好きはおそらく彼だけだろう。


『僕は君たちを愛しているからね。君たちと共にありたいんだ。幸福も、苦難も、共に享受したい。家族なら当然だろう?』


 まるで『君なら分かるはずだ』とでも言うように、我欲がよくは妖しく囁く。


「……何が言いたい?」

明羅あきら君の探求はとてもユニークだ。彼女以外、誰にも成し得ることのないものだろう。僕はそんな彼女が辿り着く結論を見てみたい。見届けたいんだ……


 酷く冷たい口調。

 我欲がよくにとって超えてはならない一線に滅火ほろびは踏み込もうとしている。


『もちろん滅火ほろび君、君の探究も同じだよ。僕は君が掲げる人類の救済。その成就を心から待ち望んでいる。だって結末を閲覧した君だからこそ成し遂げる意味があるんだからね!』


 先程とは打って変わって今度は我欲がよくの言葉に演説めいた熱が入り始めた。経験上、これは悪い兆候だ。このまま放っておけば彼は延々と喋り続ける。


『君から妻を奪った——』

「ご高説痛み入る。だがそれ以上は結構だ」

『……? そうかい? まぁ滅火ほろび君にはミュトスの件でお世話になったし、今回は大目に見るよ。ただしくれぐれも――』

「他の叡智を侵すな……了解した」

『分かってくれて嬉しいよ。じゃあね。次は対面で語り合おうじゃないか』


 それ以降、我欲がよくの気配は感じられなくなった。どうやら本当に行ったらしい。


「……まったく、あれで本当に自覚がないのが厄介だ」


 珍しく呆然と立ち尽くしていると自然と右手が胸ポケットに伸びた。しかし指先が虚しく空を切ると、滅火ほろびは我に返る。


(そうか……タバコは断ったんだったな)


 すっかり忘れてしまった記憶をまだ体が覚えている。口の中に広がるあの独特な感覚は、微かにかつての記憶を呼び覚ま——


「パパー」

「パピィーッ!」


 けれどそれに蓋をするかのように、背後から自分を呼ぶ声が聞こえてきた。



・2・


「師匠……それに燕儀えんぎ姉さんと真紀那まきなまで……」


 ここまでの経緯を知らないユウトにしてみれば、それはあまりに不思議な組み合わせだった。眷属である燕儀えんぎ真紀那まきなはともかく、


「あ、ユウト君発見♪」

「……ッ!?」


 念願のユウトを見つけ上機嫌な燕儀えんぎとは対照的に、真紀那まきなは険しい表情のままだった。彼女は素早く刀を抜き、最大限の警戒と共にその切っ先をとある少女へと向ける。


「あれれ〜? 誰かと思えばいつかの子猫ちゃんじゃん。おひさー♪」

「……やはり、生きていたのですね」

「いやいや、明羅あきらを殺したの君でしょ? バリバリと情け容赦なく噛み砕いてさ。こっちは被害者だよまったく」


 無言でキッと睨む真紀那まきなに対し、明羅あきらはあくまであっけらかんとしていた。


真紀那まきな、気持ちは分かるけど今は——おわッ!?」


 彼女の元に駆け寄ろうとしたユウト。しかし急に正面から押し倒された。五星教会ペンタグル・チャーチの修道女——リュゼ・アークトゥルスによって。


「フフ。久しぶりね、ユウト」

「お久しぶり、です……師匠」


 『師匠』という単語にリュゼはわずかに眉をひそめた。


「私をその名で呼ぶなと言ったはずよ? 師としての職務は既に全うしたのだから」

「そ、そうでした。その……リュゼ、さん……」

「……」


 まだ若干不満げな表情を残しつつも、彼女は馬乗り状態のままユウトの胸板にそっと手を置く。


「日々の鍛錬は欠かしていないようね。前より体つきが逞しくなった」

「ちょっとそこの痴女シスター! ユウト君から降り――」


 燕儀えんぎが密着する二人に駆け寄ろうとしたその時、音もなく翠蘭スイランの拳がリュゼに襲い掛かった。


「……無粋だな。所詮は獣か」

「ッ!?」


 しかしリュゼはいとも簡単にそれを受け止めた。触れるだけで骨肉が爆ぜるほどの一撃は彼女の掌にしっかりと収まって離れない。


「今すぐユウトから離れるでござる……ッ!」

「それはこちらのセリフだよ」


 次の瞬間、見えない衝撃が翠蘭スイランの腹部で爆ぜた。


「が……ッ!?」


 何が起きたのか分からないまま、彼女は勢いよく背後の木に背中から叩きつけられる。


翠蘭スイラン!」

「動くな」

「……ッ」


 駆け寄ろうとしたフランを言葉だけで制止するリュゼ。ゆっくりと、彼女の瞳がユウトに向けられる。


「まったく……お前を追って来てみれば、まさか異形どもとよろしくやっているとはな」

「!!」


 刹那、彼女の回し蹴りがフランの頭部を刈らんと牙を剥いた。しかしその直前でユウトの籠手がそれを防ぐ。


「どういうつもりだ、ユウト?」

「ッ……フランは、敵じゃない!」


 華奢な見た目からは想像もできない脚力が絶えずユウトにのしかかる。それでもユウトはリュゼの目を真っすぐ見てそう言い放った。


「……ユウト」

「そいつは化け物だぞ? そいつだけじゃない。ここにいる者は全員もれなく我々の討伐対象だ」

「例え人間じゃなくても……心は本物だ! この子たちは俺たちと何も変わらない!」


 何とかリュゼの蹴りを振り払うユウト。彼はフランの肩を抱いて後方へと下がる。


「私は教会の人間だ。そんな戯言を信じろとでもいうのか?」


 五星教会ペンタグル・チャーチ。中でも彼女は『滅星アステール』と呼ばれる教会の中でも屈指の滅魔士だ。その彼女からしてみれば、今のユウトの言動は非常に理解し難いものだろう。相性は最悪を通り越している。


『オオオオオオオオオオオオオオ!!』


 しかしそんな二人の間を鋼の激流が走り抜けた。


「「ッ!?」」

『ごちゃごちゃとうるせぇヤツらだな。どうせここから出られるのは一人だけなんだ。だったら勝者になるしかない』


 体の中で暴れ回っていた二つの魔具アストラを強引に制御化に置き、真紅しんくの変化はさらに加速していく。

 炎の翼、稲妻の爪牙。そして鋼の水流は龍の尾のような形状に収束していた。


『どんな手を使ってでもな!!』


 さらに煌華コウカにトドメを刺した鉄牙の大剣をも召喚し、いよいよ彼の本気が窺える。そしてそんな彼に呼応するように、夜禍ヤカもまた暴力的なまでに荒々しい魔力の嵐を周囲に解き放った。


「……まずはあの二体か」

「おーっと待ったー☆ お姉さんの相手は明羅あきらがしてあげる♪」


 真紅しんく夜禍ヤカに狙いを定めたリュゼの前に明羅あきらが立ち塞がった。


「……あか神凪かんなぎ

「音に聞く滅星アステール。どんな素材に化けるかなぁ♡」

「悪趣味も度を超すと言葉も出ないな。跡形もなく消してやろう」

「アハハ☆ やれるもんならやってみなよ!」


 明羅あきらは背中から鮮血を迸らせてそれを一対の触手に変え、リュゼに襲い掛かった。



・3・


「このままじゃ……ッ」


 状況はどんどん悪化していく。何とかして戦いを止めたい。だが一方でここでは戦うことこそが最も合理的かつ正義だ。箱庭という異常な状況がそうさせる。


「よくわかんないけど、あの紅い鎧はとりあえず敵だよね?」


 傍で神機ライズギアを展開した燕儀えんぎがユウトに問いかける。


「あぁ、あいつはここで止めなくちゃいけない」

「ではもう片方はいかがしますか?」


 真紀那まきなの視線の先には暴走状態の夜禍ヤカがいた。何も知らない彼女たちの目にはおそらく夜禍ヤカが最も危険な存在に映っていることだろう。


夜禍ヤカそれがしとフラン殿で止めるでござる」

「大丈夫、なのか?」

「へへ、魔神を舐めてもらっちゃあ困るでござるよ。この程度すぐに――痛……ッ」


 平気へっちゃらとでもいうように胸を張ろうとした瞬間、翠蘭スイランは脇腹を痛そうに押さえた。リュゼの一撃をまともに喰らってその程度で済んでいるのはむしろ驚嘆に値するが、今はそんな事を言っている場合ではない。


「僕たちなら大丈夫。きっと……ううん、絶対にやってみせるから!」


 ユウトと出会い、魔神と言葉を交わしたこのたった数日で彼女の見る世界は目まぐるしく変わった。一人ぼっちだった頃の彼女は『出来損ない』という記号しか持たなかった。でも今は違う。多くの者が彼女を『フランドール・カンパネリア』だと観測している。

 もう彼女は神凪明羅かんなぎあきらではない。ましてや失敗作などでもない。

 信じて欲しいと願うフランの瞳がどこまでも真っすぐなのがその証拠だ。


「分かった。なら俺たちは真紅しんくを止めよう」

「ですが、ユウト様は魔法が……」


 心配する真紀那まきなにユウトは自分の籠手を見せた。


「大丈夫。少しずつ力が戻ってる実感はあるんだ。だから逃げない。この牢獄があいつの言うようにたった一人しか出ることを許さないっていうなら、そんなルールは俺がぶっ壊す」

「……ッ」


 人か獣かなんて関係ない。理想ねがいを胸に、この地で抗い続けた彼女たちを守るために。

 ただ、そのためには吉野ユウトの力だけでは不十分だ。だから――


「だから、二人を頼っても……いい、かな?」


 燕儀えんぎ真紀那まきなの前でユウトは頭を下げた。

 二人とも最初は驚いたような表情を見せたが、すぐに顔を見合わせお互いが抱く思いが同じだと理解する。


「フフ、そういえばユウト君の魔法。まだ私で試したことなかったよね。いいよん♪ 来て……」

「この身は全て、あなたのために」


 二人の眷属はユウトの手を片方ずつ取り、そっと自身の胸の上に乗せた。

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