第132話 狂気の歌姫 -The diva of venom-
・1・
アリサ、レイナ、ライラ、そしてシーレの四人は今や街を二分する勢力——
セドリックの情報通り、もし
「それほど遠くはありませんが……騎士たちが邪魔ですね」
アリサは眉をひそめる。ここまでは戦闘を避けて移動してきたが、ここから先はどのルートを通っても黒と白——双方の騎士とぶつかってしまう。
「これは……」
ふと、ライラはそう呟く。
「どうしました?」
アリサの問いに対し、彼女は冷静に状況を俯瞰した結果を答える。
「この布陣、一見両勢力が無作為に戦っているように見えますが、確実に白い方に誘導されています。しかもおそらく、私たちの動きに合わせて」
「指揮官がいるってこと?」
シーレの言葉にライラは頷いた。
「大方私たちの進行ルートを潰し、可能な限り戦闘させることで消耗を狙っているのでしょう」
「やっぱりB-Rabbitの幹部、ですよね?」
「えぇ、先の奇襲といい、私たちの存在はすでに把握されています。ライラ様の見立て通りならここから先、敵の妨害は避けて通れない」
レイナの隣でアリサは考え込む。闇雲に進めば敵の術中に陥ってしまうのは確実。だがだからと言ってここで足を止めるわけにもいかない。
「フフ、ここは私とシーレに任せていただけますか?」
しかしライラだけはいつもと変わらずにこやかにそう提案してきた。どうやら彼女に考えがあるらしい。
「アリサ、レイナ。あなたたちは
ライラは上を指差す。アリサとレイナも揃って空を見た。
確かに彼女の言う通り、市街地はどこも等しく戦場と化している。それこそ敵の計略で虫一匹通れないほどに。だが上空は別だ。
「ですが、敵がそれを想定していないとは思えません……」
指揮官と思しき敵の幹部はアリサたちの動きを先読みしながら、大量の兵隊を完璧に統制している。そんな人物が安易な抜け道を許すとは到底考えられない。むしろ逆に敢えて抜け道を用意している可能性がある。彼女たちを罠に嵌めるために。
「えぇ、ですから私とシーレでこれから指揮官を叩きます」
「「ッ!?」」
ライラの大胆な申し出に二人は驚いたが、シーレは静かに頷くだけだった。
「統制が取られているとはっきりした以上、どの道白騎士を無視することはできません。厄介の芽は今のうちに摘んでおきましょう」
「でも、肝心の敵の居場所が分からないですよね?」
レイナの言う事はもっともだ。そもそもこの場にいる全員、指揮官の名前はおろか顔も知らない。
だがライラはそれでも不敵に笑ってみせる。
「ご心配なく。こう見えても昔から探しものは得意なんですよ?」
「姫様は化け物並みの幸運体質。それが姫様にとって『最善』なら、たぶん歩いてれば嫌でも遭遇する」
「あ、そっか!」
シーレの言っている意味をアリサはまるで理解していないが、実際に一度その目で見たレイナは納得していた。
ライラの
彼女に都合のいい運命を強引に引き寄せる異能の力。
決して万能と呼べるほど都合のいいものではないが、これ以上のものはないだろう。
・2・
メトロポリタン歌劇場。
本日は日中の公演スケジュールはなく、外の異常事態も相まって従業員含め人の気配は全くなかった。ただ一人、煌びやかなステージの上で歌う仮面の女性を除けば。
「……あら、どうしてこの場所が分かったのかしら?」
♥のキング――チェシャは予期せぬ来訪者にそう問いかける。
「さすが姫様。一発で引き当てた」
「フフ、たまたま、そう、たまたまですよ」
ライラはそう言うと一歩ずつ階段を降り、拍手を交えながらステージへと近づいていく。
「素晴らしい歌声ですね。観客がいないのがいささか勿体無いですが」
「フン、私の歌を聴いて正気を保っていられる人間がいるとはね。あんた、何者だい?」
「これは失礼。私はライラエル・クリシュラ・バベルハイズ。バベルハイズ王国の第一王女です」
スカートの両端を摘んで持ち上げ、ライラは優雅にお辞儀をする。
「バベルハイズ……あぁ、確かリストにそんな名前あったわね。あれ国の名前なの? まぁいい、で? どこぞの王女様が私に何の用?」
「端的に言うと、ここで白騎士を統率しているあなたを片付けに来ました」
「片付ける、ですって? アハハハハッ!」
チェシャは大声で笑う。彼女にしてみればいくら包囲網を掻い潜ってここまで来たとはいえ、小娘二人が自分を倒すなど世迷言も甚しいのだろう。
だが、それは間違っている。少なくともここにいる二人は『ただの』小娘ではない。
「フフ、あまり下品な笑い方をしていては小皺が増えますよ? 可愛らしいお面で見えませんけど」
「ッ……テメェ」
静かな殺意を燃やしたチェシャは右手に黒紫の鉄爪を召喚した。
「……あれが彼女の
「ハッ、余裕ぶってていいのか? どうして私の毒があんたに効かないのか知らないけど、そっちのガキはそろそろ頃合いみたいよ?」
「ッ!?」
その時、ライラの隣にいたシーレが突然膝を付いた。
「シーレ!?」
「……毒、これが……」
痛みはない。しかし彼女の体からは徐々に力が抜けていく。
毒……考えられるとすればあの鉄爪の権能。だが毒を盛られた形跡はどこにもなかった。
「ッ……まさか!?」
「そうだよ! 私のネヴァンはあらゆる毒を瞬時に生成できる。それがこの世界に存在しない未知の毒でもなぁ! この劇場にはあらかじめ空気中に特製の神経毒を染み込ませてある。一息しただけでどんなやつも大人しくなる即効性の毒だ!」
ライラに毒の影響がないのは彼女自身の
「さぁお前たち! 餌の時間だよ!」
チェシャが声を上げると、ステージの端から四体の歪な黒騎士が姿を現した。体の一部が肥大化したり、捻じれていたり、変色していたり……何より通常の
「私の歌声にもネヴァンの毒が宿ってる。人の理性を溶かす猛毒がな」
「……確かに違和感はありました。無類の力を得たとはいえ、国民があまりにも簡単に暴挙に走りすぎている。枷を取り払ったのはあなたですね?」
ネット環境が普及した今の時代であれば、人は時間や場所を問わずあらゆるものにアクセスできる。歌声そのものが毒だというのなら、それをネットの海に投下した時点でその影響は計り知れない。おそらく
「ご明察。ちなみにこいつらは私の
「……」
嗜虐的な笑みを浮かべるチェシャ。対してライラの表情は険しい。彼女自身に毒は無害とはいえ、シーレを庇いながらの戦闘を余儀無くされているからだ。
「さぁお前たち、その小娘どもをひん剥きな! 特にそこの王女! これから私の毒をそのお上品な穴という穴に直接流し込んでやる。クク、どこまで耐えられるか見ものだねぇ!」
獰猛な歌姫の声が劇場に響く。
彼女の毒に侵された哀れな騎士たちが二人に牙を剥いた。
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