第120話 逡巡 -So close and far-

・1・


「何かの間違いだ!!」


 両手でテーブルを叩きつけ、飛角は思わず声を荒げた。


「あいつが……そんな……ッ」


 鳶谷御影とびやみかげの失踪、並びに絶槍ベルヴェルークが盗まれたという情報は、伊弉冉いざなみの夢幻世界から帰還を果たしたカイン達の耳にもすぐに届いていた。


『御影と一緒にいたのは神和重工かむわじゅうこうの社長。たぶん、何らかの理由で脅されてるんだと思う』

『その女社長ならもうこっちに戻ってきてるぞー。ちなみに御影も一緒』


 イスカの言葉にニューヨーク支部から繋いでいる高山篝たかやまかがりが付け加えた。彼女のハッキングによって得た市内の監視カメラ映像にははっきりと御影の姿が映っている。


『ていうかどう考えても早すぎんだろ!? ロンドンから飛行機使っても8時間はかかるってのにどんなチートだよ!』

『エクスピアが所有する超音速ジェット機のような類が飛行した形跡はない。おそらくは転移系の能力を持つ者が向こうにいると考えるべきだろう』


 篝の横に座る神座凌駕かむくらりょうがは腕を組みながらそう推測していた。確かに彼の言葉を前提として考えるなら、ベルヴェルークがこうもあっさり盗まれたことにも納得できる部分は多い。普通なら権限を持つ御影の協力があったとしても、それを敵陣から全く気付かれずに、かつ短時間で運び出すのはどう考えても不可能だ。それこそまだ見ぬ協力者がエクスピアの中枢に潜んでいるか、あるいは常識の枠を外れた手段を持っていない限り。


「そんなこと今はどうでもいい!! あいつが敵に捕まってるっていうならすぐにでも――う……ッ!」


 感情的に身を乗り出す飛角。しかし彼女はすぐに苦悶の表情を露にし、わき腹の傷を押さえて蹲った。


「飛角さん! だ、大丈夫ですか!?」


 レイナは彼女の傍らに寄り添うとそっと肩を貸し、ゆっくり席に座らせた。いくら人並外れた再生能力を有しているとはいえ、それは無限ではない。度重なる戦いで蓄積したダメージは相当なものなようだ。


「……ごめん、レイナ……ありがと」

「いえ……」


 そんな二人を横目で見ていたカインは閉じていた口をようやく開く。


「で、これから俺たちはどうすればいい? 社長様から何か聞いてんだろ?」


 その問いに画面の向こうのイスカは小さく頷いた。とはいえ正直、その内容はある程度カインには予想できている。


『ん。じゃあ今からトーマの指示を伝える』


 彼女の言葉に一同は頷き、耳を傾けた。


『まずカインとレイナはニューヨーク支部に向かって。そこでアリサと合流。以降はアリサの指示に従うこと』


 カインとレイナは目を合わせ、互いに小さく頷く。


『飛角、刹那、タカオの3人は東京支部で検査を受けて。もう回収用の船は向かわせてる。後の指示は追って出すから』

「ちょっと待て! まだミズキがニューヨークに残ってる。だったら俺も――」

『皆城タカオ。貴様は馬鹿なのか?』

「……何?」


 タカオの言葉を凌駕が遮る。彼は相も変わらず無愛想な表情でこう続けた。


『聞けばあちらの世界で性懲りもなくまた擬似ワーロックになったようだな。ただの人間がそんな力を行使して何もないわけがないだろう? 少なくとも確実に寿命を減らす行為だ』

「それは……」

『今は何も問題ないだろうが、まずは自分の体が万全なことを証明しろ。それができなければ貴様はただの足手まといだ』

「……ッ」


 口でタカオを黙らせた後、悪そうな笑みを浮かべた篝が補足する。


『ちなみにタカオがそう言うと踏んであらかじめミズキは東京に移送してるぞー。イヒヒヒ♪ 凌駕くんのツ・ン・デ・レ・さ――ホグァ……ッ!?』


 凌駕は即座に篝の頭を掴み、テーブルに抑え付けた。


神座かむくら……お前」

『勘違いするな。こちらの治安はここ数ヶ月で最悪の状態。出産前の女性をより安全な場所に移すのは医師として当然の判断だ』

『痛い痛い痛い……ッ! おでこの皮膚がぁぁぁぁ!!』


 泣き叫ぶ篝をよそに、凌駕の視線は夜式カグラとの戦いで大怪我を負った刹那にも向けられた。


『無論御巫刹那みかなぎせつな、お前も皆城タカオと同様だ』

「……えぇ、分かってるわよ」


 刹那は強く拳を握りしめ、不承不承ながらもその言葉を受け入れる。実際、カグラとの一戦で自らの刃をその身に浴びた刹那のダメージは想像以上に大きなものだった。伊弉諾いざなぎの生命を司る炎の権能で傷自体は完全に塞がっているが、体内を流れる魔力を上手く操作できず、未だ万全とは言い難い。


『もういい? じゃあ最後に燕儀えんぎ

「はいはいっと」

真紀那まきなと合流して中国に行って』


 イスカのその言葉に指示を受けた燕儀えんぎだけでなく、その場の全員が首を傾げていた。


「一応聞いてみるけど、何で中国?」

『ユウトの捜索。携帯端末に内蔵されてるGPS



・2・


伊紗那いさなの状態は?」


 冬馬は彼女を担当している女性医師に尋ねた。

 集中治療室ICUに運ばれた伊紗那いさなの体には無数の電極が取り付けられ、絶えずその身に起きている変化を記録している。


「結論から言うと、脳波に大きな変化を観測しました」

「変化?」


 医師の話によると、今まで伊紗那いさなの脳波は常にδデルタ波というものが主体となるいわゆる『深い眠り状態』だったようだが、ここに来てθシータ波が混入するようになってきたという。要するに彼女の脳が目覚めようとしているのだ。


「この3年間、こんなことは一度もありませんでした。特殊なケースであることは存じておりますが……彼女のような植物状態の患者の回復率は極めて低いのです」


 通常、脳に外傷を受け植物状態に陥った者の大半は半年ももたずに死亡する。3年間も眠り続け、目覚めるケースはもはや奇蹟といっても過言ではない。


(状況から考えて、ユウトたちが伊弉冉いざなみの世界で伊紗那いさなの魂を取り返した……ってことだよな?)


 現在イスカが向こう側の状況を確認中だが、おそらく冬馬の推測は正しいはずだ。目まぐるしく変化する状況の中、唯一の明るい話題に冬馬はそっと胸をなでおろした。だがまだ安心するには少し早い。


「で、悪い話は?」


 冬馬は今一度気を引きしめて医師に問う。

 伊紗那いさなが目を覚ます可能性が出てきた。それは事実だ。だが医師はこうも言った。回復率は極めて低い、と。


「はい。宗像様の仰る通り、彼女が目覚めてからが本番です」


 医師は手に持った端末を操作しながら冬馬に説明を続ける。


「彼女は長期間、脳死に極めて近い状態でした。このような前例はありませんので正確なことが言えないのですが……通常であれば意思疎通と言語機能が回復する確率は3%未満です」

「……3%、未満」


 あまりに絶望的な数字に冬馬の視界が揺らぐ。


「仮にそれらが回復したとしても、脳が正常な機能を取り戻すことはないでしょう」


 人間の脳は未だ未開の部分が多い。一度止まってしまった機能を機械のように修理して再起動などできない。


伊紗那いさなは……どうなるんだ?」


 医師は言葉を選んでいるのかしばし考える素振りを見せたが、意を決してこう答えた。


「大部分の記憶の欠落……あるいはまったく違う人格が生まれる可能性もあります」

「……ッ」




 仮に彼女が目を覚ましたとして――

 それは冬馬とユウトの知る『祝伊紗那ほうりいさな』ではないかもしれない。つまりはそういう事だ。




「ご無礼を承知で申し上げますが、ここでという選択もあります」

「ッ!?」


 一瞬、冬馬には医師が何を言っているのか理解できなかった。が、すぐに冷静になって彼女が自分の事を気遣ってくれているのだと気付く。


(このままあいつが目を覚ましたとして、それであいつが本当に生きていると言えるのか……ってことか……)


 無論、延命措置を止めるなんて論外だ。だが、それでも心のどこかで考えてしまう。大切なもの全てを失い、失った事すら気付けない彼女の姿を。そしてそれを見ていることしかできない友の顔を。


「……どうされますか?」


 医師は冬馬の意思を確認する。

 ユウトなら考える間もなく否定するだろう。だが今、その是非を決められるのは自分だけだ。そして宗像冬馬という人間は、吉野ユウトほど馬鹿にはなれない。

 冬馬はしばらく瞼を閉じ、何度も何度も思考を巡らせた。


(何か……何か手はないのか……ッ)


 この世には魔法だって神様だっている。なのにたった一人の少女を救う手立てだけが何も見つからない。そんな理不尽に冬馬は奥歯を噛みしめる。

 そんな時だ。



『ホッホッホ、まことこの世は理不尽じゃ。故にことわりとは価値なきあくたよ』



 そんな彼を嘲笑うような声がどこからともなく聞こえてきた。

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