間章・第7話 正体 -The trickstar-

・1・


「……ッ!?」


 違和感は唐突にやってきた。

 万全の準備をした。計画通りに事も進んでいる。なのにそれら全てが言葉にならない虚無感に吞み込まれていく。


「不思議そうな顔してるな? まぁ、どうでもいいことだよ」


 ジョーカーは開いていた本を閉じてそう言った。彼の足元には破かれた紙が落ちている。それが意味するのは――


……ジョーカーが生み出した誰かが……)


 数分前、シーマはその『誰か』の潜伏場所を特定してメアリー達に伝えた。それはB-Rabbitにとってとても重要な人物。取り押さえれば彼女たちにとって大きなアドバンテージになるはずだった。

 だがその『誰か』は泡のように消えてしまった。

 たった一枚、本のページを破るだけでいとも簡単に。


「誰にも俺たちを捕まえることはできない。なぁ、『B-Rabbit』の意味、何だと思う?」

「……」

Babble Rabbitたわごとウサギ――俺たちは有象無象の代弁者。詰まる所どこにでもいるモブなんだよ」

「何が代弁者よ……この国の人間があんたたちを支持してるとでも言いたいわけ?」


 シーマの言葉にジョーカーはやれやれといった感じで首を横に振る。


「違う違う、逆だ。一般人あいつらは誰も支持なんてしない。全部他人事なんだよ。だから平気で文句を垂れ流す。君たちの苦労も考えずにな」


 無関心。ニュースで事故や事件が流れても、それを当事者として真剣に考える人間はごく僅かだ。その中で行動を起こす者は限りなくゼロに近いだろう。どこまで行っても所詮は画面の向こうのお話なのだから。


一般人あいつらはただ単にクソッタレな日常にちょっとした刺激スパイスが欲しいだけだ。殺人犯が捕まればそいつを躊躇なく叩けるし、テロを防げなければ役立たずだと国を非難できる。俺たちが提供しているのはそういう欲望の捌け口――ある意味エンターテインメントさ」

「ふざけたこと言わないで!!」


 確かにこの国は敗者に対する風当たりが強い。国家がテロに屈したと公になればそれこそ国の基盤が崩壊しかねないほどに。

 正義の名の下に、人はどこまでも残酷になれる一面がある。

 だが、だからと言ってジョーカーの言葉が全て正しいということにはならない。


「俺は真剣だよ。神和重工かむわじゅうこうのせいでこの国は平和になりすぎた。過度な平和は停滞と何も変わらない。みんな昨日と同じ今日に飽き飽きしてる。なぁ、そうだよな?」

「……ッ!?」


 ふと周りを見渡すと、先程まで叫び狂って逃げていた客たちがシーマとジョーカーを取り囲んでいた。彼らは一切口を開かず、虚ろな目でシーマを見つめている。


(しまった。こいつら全員……ッ!!)

「さぁ、楽しい殺戮ショーの始まりだ」


 開演とばかりにお辞儀し、ジョーカーは再び魔本を開いた。



・2・


 爆発と共にシーマは屋外に飛び出した。


「どこまで逃げれるかな子猫ちゃん!!」


 煙の中からジョーカーの声が聞こえてくる。次の瞬間、名も無き二人の男が恐るべき身体能力を駆使して彼女の前後に立ち塞がった。


「く……ッ」


 ジョーカーの魔具アストラ――ジャバウォックの権能で生まれたその体は歪に変形を始め、やがて白い騎士と黒いハイエナへと姿を変えた。


「アルブス、バンダースナッチ」


 ジョーカーの合図で二体はシーマに襲い掛かる。しかしシーマは前後から挟撃を仕掛けてくる敵に対し、冷静さを忘れなかった。まず白騎士アルブスの剣を最小の動きで避け、その右腕に絡みつくと全体重をかけて肘関節をへし折る。そうして敵が手放した剣を器用にキャッチすると、続くバンダースナッチの脳天にそれを突き刺した。


「おぉ、やるねぇ」

「……」


 シーマは何も言わず、鋭い眼光で拍手するジョーカーを睨む。


「でもまだ終わりじゃない」

「ッ!?」


 直後、何の気配も感じる間もなくがシーマの右腕と左足に嚙みついた。


(な……ッ!?)


 間違いなくさっき殺したはずだ。ジョーカーが新たに召喚したようにも見えなかった。なのにバンダースナッチは生きている。しかも一匹増えていた。


「そいつは攻撃を受ける度に一匹ずつ増えてくんだよ。スライムみたいにな」

「この……ッ!」


 鋼鉄をも貫く狂犬の牙。機械の右腕は痛みを感じないからいい。だが左足はそうもいかない。焼けるような激痛が脳天を貫き、彼女の視界を明滅させた。シーマはほとんど反射的に左足に噛みついているバンダースナッチを左腕で横殴りしていた。そして右腕に噛みついて離れないもう一匹は持っていたナイフで首を切断し、落ちた頭を思いっきり踏み潰す。

 しかしそれは無意味な行為だ。絶命した二匹の体はおよそ生物とは思えない波打つような胎動を見せるとすぐにそれぞれ分裂し、新たなバンダースナッチが生まれてくる。


「――!?」


 その時、シーマは背後から別の殺気を感じた。振り向いたその瞬間、白い鎧が目に入る。


(こいつも……ッ)


 バンダースナッチのように増えてはいないが、へし折った右腕が元に戻っていた。それにもう振り下ろされる剣を避けきれないほど詰め寄られている。だから彼女は咄嗟に左腕でそれを受け止めた。


「ああああああああああああ!!」


 何とか生身への直撃こそ防げたが、機械の左腕は無惨に粉砕され、衝撃も殺せずシーマの体はレンガの壁に打ち付けられる。


「……うっ……」


 左腕は全壊。右腕もかろうじて動く程度。左足にいたっては出血が酷く、うまく力が入らない。さっきから回復魔術を施しているが、傷口が一向に塞がらない。さらに頭を打った影響で額からも血を流し、右の視界は真っ赤に染まっていた。


(これは……本格的にヤバいかも……)


 考え得る限り最悪の状況だ。

 この場から逃げる手立ては残されていない。メアリー達の応援も望めない。


「まぁぶっちゃけ、俺の前までこうしてやって来たのはお前が初めてだよ。魔具アストラの力があったとはいえ大したもんだ」


 ジョーカーは楽しそうに破壊されたシーマの左腕を拾い上げると、その指から彼女の魔具アストラ――ロキの指輪を抜き取る。


「だからこいつは教訓としてもらっとくよ。いいよな?」

「……」


 シーマは何も言わない。しかし彼を睨みつける眼光の強さだけは健在だった。


「いいね。まだ諦めてないって目だ」


 ジョーカーが横を向くと、彼の隣には小さな少女が立っていた。あの地下会場で檻の中に閉じ込められ、売りに出されていた奴隷だ。


(この子も――)

「おっと、こいつは本物だ。俺が作った登場人物じゃないぞ?」

「ッ!?」


 まるでシーマの心を見透かすように、ジョーカーはそう言った。


「ほら、こいつを使ってそこのお姉ちゃんを楽にしてやるんだ」


 ジョーカーはひどく優しい口調でそう言うと、少女に拳銃を手渡した。


「何、を……」

「お前を殺せば自由にしてやると言ってある。この子のことを思うんなら潔く死んでやれよ。もっとも、薬の影響でぶっ飛んでる今のこいつに俺の言葉がちゃんと聞こえているかどうかは怪しいけどな」

「この、外道……ッ」


 虚ろな瞳で拳銃を見つめていた少女は手を伸ばし、その銃口をシーマに向ける。そしてゆっくりと引き金を――


「ッ!!」


 ダンッ!! 火花が散る。

 少女が引き金を引くその瞬間、シーマは体を無理やり動かして少女に飛びついた。その時脇腹を弾丸が貫通したが、痛みを無視して彼女は少女の手にある拳銃に噛みついてそれを奪う。


「お前だけでも!!」


 そしてうまく動かない右手で拳銃を持つと、彼女は一心不乱に引き金を引いた。

 夜天に再び銃声が響く。

 弾丸はジョーカーの兎の面を掠っていた。次の瞬間、仮面は粉々に砕け散る。





「……え……」





 シーマは思わず息を呑んだ。


「あーあ……これ、お気に入りだったんだけどなぁ」

「何で、あんたが……」


 素顔を晒したその男は笑みを浮かべ、シーっと人差し指を唇の前に置いた。


「待て待て。まだネタばらしには早い」


 刹那、ジョーカーの蹴り上げでシーマの持っていた拳銃が宙を舞う。そして続く回し蹴りが彼女の腹に突き刺さり、シーマはゴロゴロと地面を無様に転がった。


「ぐ……あ……ッ!!」


 逃がさないように壊れかけの彼女の義手を踏みつけながら、ジョーカーはちょうど真上から落ちてきた拳銃を右手で鮮やかにキャッチする。


「これからこの国でが打ち上げられる。火付け役である俺の正体は内密にってのがクライアントの要望でな」

(……メアリー達に、伝えないと……)


 夜の闇で見間違えた。そう思ってしまうほど信じがたい事実を。


(……私たちの、敵……)

「だから悪いけど、お前はここまでだ」


 ――終幕。

 三度みたび、無慈悲の銃声が木霊した。

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