間章・第3話 前夜 -Before you ...-

・1・


 それから程なくしてトミタケからジョーカーに関する追加情報が送られてきた。


「えーっと、グレオ・ビスタリカね。はいはいっと♪」


 シーマは資料の顔写真を確認してその人物の顔と名前、おおよその経歴を把握する。そして付属していた赤い液体の入った小瓶を摘まむと、自身の左手中指にある金の指輪にそっと触れた。


「ロキ」


 その名を呼ぶや否や、彼女の魔具アストラがその力を解き放つ。

 シーマの姿はまるで蜃気楼のようにぼやけ、その直後に全くの別人へと変貌した。グレオ・ビスタリカ――彼女が先ほど写真で見たその青年に。


「バッチリ」


 シーマの変装を確認したリオが親指を立てた。


 ロキ。

 シーマ・サンライトの持つ魔具アストラの権能は変身。彼女は対象の髪の毛や血液といった遺伝情報、はたまた魔力を宿した何かしらの物品を基にその人物に化けることができるのだ。しかも対象が持つ記憶や技能までも完璧に継承する形で。シーマがあらゆる敵対組織に潜入し、難なく機密情報を盗み取ることができる一番の理由はこれにある。一度変身さえしてしまえば、あらゆるセキュリティは彼女の前では無意味なものに成り果ててしまうのだ。


「ふ~ん、なるほどね」

「何か分かりましたか?」


 メアリーの質問にグレオ――変身したシーマが頷く。


「このグレオって子、どうやら『B-Rabbit』の構成員みたい。『クラブ』っていう潜入特化の部隊。私の同業者だわ。普段は魔術で記憶を封じてるみたいだけど、ロキの能力でその辺分かっちゃうのよね」

「記録では解放の獅子アイオーン戦線側の窓口をしてたってある」


 リオが資料を読み上げる。それによればこのグレオという青年ただ一人だけが直接武器の受け取りをしていたらしい。B-Rabbitが事前にそういう条件を提示していたとある。


「なるほど。直接受け取りをしていた彼であれば如何様にも事実を捻じ曲げることができるというわけですか……」

「この分だと他の組織にも『B-Rabbit』のスパイが紛れ込んでるわね」


 これまで末端の構成員ですら影も形もなかった理由がようやく見えてきた。そして思っていた以上にB-Rabbitの根が深く張り巡らされている事実にメアリーは眉をひそめる。


「トミィから来たジョーカーのおおよその場所と、グレオの記憶を照らし合わせると……あったあった。次の集合場所はここ」


 シーマは端末の地図を操作してある一点にピンを差した。場所はアメリカ最大の都市――ニューヨーク。マンハッタン区のメトロポリタン歌劇場。

 知っての通りニューヨークはあらゆる分野が一堂に集う世界都市。人口は800万人を優に超え、圏外から訪れる者も含めれば2000万人すら超えてくるだろう。人が集まれば相対的に治安も悪化する。善人悪人関係なく。どんな人間も心の中に大なり小なり悪意を抱えているものだ。昨日までは良き隣人だった者が今日もそうだとは限らない。状況がそれを許せば、悪意はいつ爆発しても不思議ではない。結局、純度100%の『善人』なんてこの世には存在しないのだから。


「ニューヨークの犯罪率は地区によって偏りはあるけど、現時点で押しなべて去年の180%。国内で魔具アストラが出回り始めてから歯止めがきかなくなってる」

「木を隠すなら森の中……一周回って納得ですね」


 敵は『B-Rabbit』だけではない。ただでさえ足取りが掴みづらい彼らをこの混沌とした舞台で見つけるのは、例えそこにいると分かっていても至難の業だ。


「ま、お姉さんに任せなさいって。ちょちょ~っと潜入して、すぐにメアリー達の前に引き摺り出しちゃうから」


 暗い空気をいち早く察したシーマが変身を解き、ニカッと笑う。


「頼みます。たとえどんなに難しくてもこのチャンス、逃すわけにはいきません」

「三人揃えば無敵」


 そんな彼女に引っ張られてか、メアリーとリオも互いに強張っていた表情を徐々に緩めていった。



・2・


「……」


 神和重工かむわじゅうこう食堂エリア。

 そこにリオ・クレセンタは一人で席に座っていた。すでに彼女は夕食を終え、持ってきた携帯用ゲーム機に独り没頭している。まるで何かから逃げるように。


「……ッ」


 集中しているようで全く集中できていない彼女のプレーは普段より大味で、繊細さに欠けていた。その事実を突きつけるように、画面中央に『GAME OVER』という文字がでかでかと表示される。


「あーあ、結構ロストしちまったみたいだな」


 そんな時、背後から声を掛けられた。


「……トミタケ」

「よっ」


 仕事を終えたトミタケは手に持ったトレーをテーブルに置き、リオの正面に座った。


「……?」

「……やめてくれますかねその『何で私の前に座るの?』って視線」

「じゃあ何で?」

「元気なさそうだったから声掛けに来たんだよ! 言わせんなよ!」


 大人として、彼なりに行動で示そうとしたのだが、結局全部自分で言ってしまっては元も子もない。恥ずかしさをごまかすように彼は夕食を食べ始めた。


「それ、死にゲーで有名なやつだよな?」

「トミタケ知ってるの?」

「まぁな。俺もそのシリーズやってるから。自慢じゃないが結構強いんだぜ?」

「ふーん」


 何の感情もない返答にトミタケの精神が無惨に削られる。


「……一緒にやる?」


 そんな時、リオがボソッとそう言ってきた。


「えーっと、協力プレー?」

「うん……ここのボスが倒せない」

「ちょっと見せてみ。あぁ、こいつか。プレイヤーのコマンドで行動パターンを変えてくるから厄介なんだよなぁ」


 トミタケは食事を手早く済ませると、自分の携帯端末を取り出した。マルチプラットフォームなのでリオのようなゲーム機でなくてもアカウントがあればプレイできるのもこのゲームの売りなのだ。


「ほい、俺のID」

「ラジャ」


 リオは受け取ったIDを入力し、トミタケを自分のゲームに招待する。

 それから約一時間、死闘は続いた。ゲーマーのリオですら辛酸を嘗めたエリアボスはトミタケの助力もあり何とか倒すところまでいったのだが、そこからが地獄の始まり。まさかの第二、第三形態と連戦を強いられたのだ。


「ぜぇ……ぜぇ……アップデートでもあったのか? 何だあの鬼仕様!?」

「終わった……」


 脱力した二人は椅子の背もたれに寄り掛かる。


「少しは元気になったみたいだな」

「……」


 達成感で高揚している自分を自覚したのか、リオはそっぽを向いた。


「大方、シーマの事でも心配してるんだろ?」

「……」


 図星らしい。しばらくして諦めたのか、リオは口を開いた。


「私とシーマは生体義体オーグメントを使ってる」

「まぁ……知ってるけど」


 生体義体オーグメント。要は人間の身体機能を補う機械の部品だ。シーマは両腕、リオは左足と右目が戦闘特化のそれに置き換わっている。メアリーと出会う前――神和重工かむわじゅうこうに拾われるまで、二人は暗い闇の世界で奴隷のような扱いを受けていた過去がある。彼女たちだけではない。多くの少年少女たちがそこで人身売買や実験を受け、臓器を摘出されて勝手に売られた者までいた。この世のあらゆる不条理がそこにあったのだ。


「私の目と足も、シーマの腕も……あいつらに奪われた」

「……」


 あいつら。リオが憎々しげにそう呼ぶ者たちはおそらくもうこの世にはいない。そもそもどこにでもいる小さな反政府勢力だ。今の情勢を考えればとっくの昔に淘汰されているだろう。

 そこまで聞いて、トミタケはリオが案じていることに一つ予測がつく。


「拒絶反応か」


 リオは小さく頷く。

 人体に機械を埋め込む。その行為自体が自然の法則から外れてる以上、そのしわ寄せは必ずやって来る。彼女たちにとって逃れ得ないそれが拒絶反応だ。


「薬で何とかなるけど、時間が経てば経つほど酷くなる」

「……再生治療はないわけじゃないが、まだ実用には程遠いからなぁ。おまけにうちとは畑も違う」


 人間は傷を治せても、失ったパーツを再生する機能がない。そもそも存在しない機能を人体に適用する難しさなんて素人のトミタケにだって分かる。


「ううん、痛いのはいい。我慢できる。私が心配してるのはシーマ」


 リオは暗い顔で机に突っ伏した。


「シーマは私と違っていつも敵のど真ん中にいるから」


 潜入者である彼女にとっては、ほんの些細なミスが命取りになる。シーマを心の底から信用しているが、同じ痛みを知るリオだからこそ最悪のケースを本人以上に生々しく想像してしまうのだ。


「トミタケのがあればいいのに……」

「いやぁ……あれはそんないいもんじゃないけどな」


 トミタケ・ヒューガもまた、ささやかではあるが稀有な体質の持ち主だった。

 前提として、彼はどこにでもいるような平凡な人間だ。特殊な能力を持っているわけでも、天才的な頭脳を持っているわけでもない。しかしたった一つ、彼には他と違うものがある。それがいわゆる『主人公体質』――圧倒的なまでの生存能力だ。

 トミタケはどんなに追い詰められても必ず生還する。まるで運命シナリオが彼の死を許さないかのように。実際のところ、超絶激務と名高いアヤメの部下を続けられているのもこの体質が大きい。悪魔のようなパワハラに加え、常人なら過労死するレベルのデスクワークはもちろん、指先で人を簡単に殺せるような集団に身を置き、時には銃を持つちょっと表には言えない仕事まで彼はこなす。運が良いと言われればそれまでだが、最近では影で畏敬の念を込めて『不死身のトミタケ』と呼ばれているとかいないとか。


「ま、不出来な俺なんかと違ってシーマはできるヤツだからな。そんなに心配しなくても大丈夫だろ」

「当たり前。トミタケなんかよりシーマの方が百倍優秀」

「むぐ……ムカつくが、実際その通りなので何も言えん」

「フフ」


 そんな他愛のない会話でようやくリオが笑みを見せた。


「今日はありがと。ゲーム」

「おう、また一緒にやろうぜ」

「……考えとく」


 そう言い残し、彼女は食堂を出ていった。後に残ったトミタケは力が抜けたように天井を仰ぎ見る。


「主人公ねぇ……そんな都合のいいヤツほんとにいるなら是非ともお目にかかりたいもんだよ」


 自分はただ運が良いだけの人間。

 実際、そう思っているトミタケにとって『主人公体質』など誇張もいい所なのだ。だからつい知りたくもなる。物語に登場するような本物の『主人公』なら、こういう時いったいどうするのかと。

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