間章・第1話 魔犬部隊 -Magus Hound-
・1・
「ただいまー!」
元気な第一声と共に扉を開けたのは、数時間前まで死と隣り合わせの戦場に潜入していた美女――シーマ・サンライト。彼女は両手にしこたま食材を詰め込んだ買い物袋を持って、そのまま一直線に台所へと移動する。
「シーマ……お腹すいた」
「あいあい、すぐにお姉さんがおいしいもの作ってあげるから待ってなさいって」
「……ラジャ」
通信時同様、感情の起伏に乏しい声で小さく頷いたのは狙撃手のリオ・クレセンタ。彼女はシーマが調理を始めたのを横目で確認すると、一人黙々とヘッドフォンを付けて中断していたゲームを再開する。
「そういえばメアリーは?」
シーマは調理の手を止めずに室内を見渡す。しかしその人物の姿はどこにも見当たらなかった。
「トイレに籠ってる。いつものやつ」
「あぁ……またかぁ」
彼女は溜息を吐きながら、火を弱めて台所から離れる。目的地はリオの言っていたトイレ。シーマは試しに扉を叩いてみるが、
「メアリー?」
反応がない。だが気配は感じる。間違いなく彼女はこの中だ。
「メアリー! いい加減出てきなさい!」
ポケットからピッキングツールを取り出し、シーマは流れるような手つきで扉を開錠する。潜入捜査を主な生業とする彼女ならばこの程度お茶の子さいさいだ。
そうして扉を開けると、思った通り中には便座カバーの上で体育座りをしている金髪の少女がいた。
「……シーマぁ」
少女は赤い瞳に涙を浮かべると、勢いよくシーマに抱きつこうとした。しかし――
「てい」
「あいたァ!」
直前でシーマの手刀がメアリーの脳天を直撃する。
「酷い……」
「はぁ……その落ち込むと狭い場所に逃げ込む癖どうにかならない? トイレに引き籠られると一緒に暮らしてる私たちが迷惑なんですけど?」
「…………すみません」
シーマの目の前で正座しているメアリーが面目なさそうに謝罪する。
「で? 今度は何に落ち込んでるの?」
「そ、それは……」
「それは?」
メアリーは意を決したように立ち上がるとこう答えた。
「必殺技を上手く言えま――あいたァ!」
最初の一語で全てを察したシーマの手刀が再び振り下ろされた。
「に、二回も……」
「つまんないことでウジウジしない。さっさと手を洗ってきて」
「……」
「い・い・わ・ね?」
「……イ、イエッサー」
笑顔の中に明らかな圧を感じたメアリー。本能的にこれはヤバいと感じた彼女は引きつった笑みでただ頷くのみだった。
・2・
「「いただきます」」
メアリーとリオ。二人は揃ってそう言うと、シーマの作った料理を食べ始めた。当のシーマはというと、そんな二人をニコニコしながら眺めている。
「フフ、美味しい?」
「……美味」
「はい、やはりシーマの料理は絶品です!」
傍から見ればまるで母親と二人の娘といったような光景。しかしこれが大国アメリカが有する対
「で? 必殺技が何だって?」
「ッ!? げほっ……げほっ!!」
急にシーマが話題を蒸し返したので、メアリーは思わず咳き込んでしまった。
「ていうか、それってそんなに重要なことなわけ?」
「フッ、当然です」
何も分かってないですねと言わんばかりのメアリーの態度に若干苛立ちを覚えるシーマ。しかしそんな彼女の機微に気付かず、メアリーは楽しそうに語る。
「正義のヒーローたるもの、必殺技は必須です。大人から子供まで幅広い層から支持を得るための分かりやすいアピールポイントになりますから!」
「ま、まぁいいけど……あんたのヒーロー像、妙に即物的なところあるわよね」
「タイミングも重要です。絶体絶命の中、まだ見ぬ新たな力をここぞとばかりにドカンと発現! これがみんな大好き超王道展開というものですよ!」
「でもメアリーは奥の手(まだ見ぬ新たな力)をあらかじめいくつか用意してる。相手が弱すぎて使う機会ないけど」
ドヤ顔で固く拳を握りしめる彼女の横で、事もなげにリオが暴露した。
「うっ……リオ……な、何故、それを……?」
「メアリーの引き出しの中にある『ヒーロー手帳』にそんな設定が書いてあった」
「せ、設定言うなー--ッ!!」
顔を真っ赤にして両手をワシャワシャと振り回すメアリー。だがリオはそんな彼女を一切気にも留めず、黙々と食事を続けていた。
「ヒーローねぇ。憧れるのはまぁいいけど、そもそも
シーマは頬杖を突きながらまず自分に指を差す。
「潜入」
続いて正面のリオ。
「狙撃」
最後にメアリー。
「殲滅」
どれだけ頭をフル回転させても、これらの単語からはメアリーが思い描くような理想のヒーロー像は微塵も浮かんでこない。
そしてリオの一言がさらなる追い打ちをかける。
「そもそもメアリーの魔法はヒーローっていうより、むしろゲームとかだとラスボスが使う類のやつ」
「ガーン!!」
次々と仲間から放たれる言葉のナイフはメアリーをあっという間に撃沈してしまった。
「うぅ……二人とも酷いです。私もう隊長やっていく自信がありません。明日辞表を出します」
「はいはいごめんごめんって。よ~しよし。あんたはヒーローだよ。誰が何と言おうと、少なくとも私らにとってはね」
涙目でテーブルに突っ伏すメアリーの頭をシーマは優しく撫でる。リオも掛ける言葉こそないが、彼女の肩に手を乗せていた。
「シーマぁ……リオぉ……」
あやされているとも知らず、見事に機嫌がよくなった少女はその場で立ち上がる。
「そうですよね! 私は
(チョロいなー)(チョロい)
二人して全く同じ感想を抱く。
しかしその純粋さこそが彼女の最大の美点。シーマ・サンライトとリオ・クレセンタ――二人が『メアリー・K・スターライト』という少女に『眷属』として付き従う理由なのだ。
・3・
「ところで日本のワーロックの話聞いた?」
夕食を済ませ、三人で片付けをしている最中にシーマがそんな話題を切り出した。
「どっち?」
彼女の隣で小首を傾げるリオ。
「メアリーと同じ
「ユウト・ヨシノですね!!」
対してメアリーは我先にと件のワーロックの名前を上げた。
ワーロック特有の赤い瞳の他、覚醒時にその瞳の色を変化させる
「そうそう、その子。なんでもバベルハイズの一件で力を失ったらしいわよ」
「え……」
それを聞いたメアリーの表情が目に見えて暗くなった。それを察したシーマはすぐに話を進める。
「ま、まぁ私も人づてに聞いた話だからまだ確証はないけどね。ただアヤメさんも別口でその情報を掴んでるみたい。最近のあの人の動向が急に変わったのもその辺が影響してるのかなーってね」
実際、『ワーロック』という無視できない強大な力が無くなったとなれば、本人達のあずかり知らぬ場所で問題が起こるだろう。つまりは既存のパワーバランスの崩壊。それを好機と見る人間が必ず動くからだ。
例えばそう、彼女たち三人の直属の上司のように。
「……あの人が動くと大抵遅れて私たちに厄介事が舞い込んでくる」
今まで何度も身を以て体験したせいか、リオは露骨に嫌そうな表情を浮かべていた。そしてその予想はすぐさま現実となる。突然、三人の携帯端末が同時に振動し始めたのだ。
「おっと、噂をすれば」
「アヤメさんからですね。こんな時間に珍しい」
「……絶対厄介事」
召集のメールだ。
それもこんな時間にそれが来るということは、よほど重要なことなのだろう。
「行きましょう。お仕事の時間です」
メアリーのその一言で先程までの団欒とした空気は一転。三人はそれぞれ仕事の準備を開始する。
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