第117話 最初で最後の大喧嘩 -Good bye my regret-

・1・


「もう再生しないってことは……終わったんだね」

「そのようだ」


 両手両足を失い、完全に動けなくなったロシャード。飛角はその背中に寄りかかる。


「……成長したな、飛角」

「そりゃどうも」


 飛角は小さく微笑む。しかしそれとは裏腹に、その表情ははっきりとした憂いを帯びていた。


「なぁロシャード――」

「残念ながらそれは無理な相談だ」

「……ッ」


 彼女の言葉を先回りするように、ロシャードは首を横に振る。


「私はここで生まれた。この機械からだに『心』という奇蹟バグを得た存在だ」


 ルーンの腕輪。

 魔法を体現するその力によって生まれた意思持つ機械――そんなイレギュラーがロシャードだ。ワイズマンズ・レポートを起ち上げた神凪夜白かんなぎやしろですらその全容を把握していない。

 同じ被験者であるレヴィル・メイブリク。その別人格ジャックのように根源となるものすらない。再現不可能な本物の奇蹟と言える存在。


「おそらく、こんな世界ゆめだからこそ成立したのだろうな」

「でももしかしたら……ッ」


 そこで飛角は言葉を止めた。

 もしかしたら……何とかなるかもしれない。それを最後まで断言することができなかった。


 もし、ここからロシャードを持ち出せたとして――

 もし、その機械の体に以前と変わらず意思こころが宿っていたとして――

 それははたして本当にロシャードなのか?


 共に歩んできた相棒。そのあまりの儚さに飛角の目頭が熱くなる。

 それを察したのか、ロシャードは静かに胸部を展開した。


「持っていけ」

「……これ」


 それはロシャードに内蔵されたルーンの腕輪。彼のこころとも言えるべきものだった。


伊弉冉いざなみは虚構を現実にする。せめてもの戦利品だ。形のない私自身は無理でも、この腕輪なら持って帰れるのだろう?」


 たしかに物理的に存在するルーンの腕輪なら可能だ。海上都市でそのほとんどが破壊されたが、残ったごくわずかは今もエクスピアによって保管されている。


「もっとも、今のお前にはもう必要のないものだがな」

「……」


 飛角は無言でロシャードの正面に立ち、彼の腕輪にそっと触れた。


「あぁ~その……なんつーか、ほんとに……これでお別れなんだよね?」

「前回は別れの言葉すら言えなかった。それを思えば此度はこれ以上ない奇蹟だろう。充分だ。それにお前にはもうユウトがいる。だから安心して先にあの世で待っているよ」

「いやいやそれ、悪役のセリフじゃない?」

「む、そうだったか?」


 他愛もない会話をしながら、二人して笑う。

 しかしそれもここで終わり。


「…………じゃあね、ロシャード」

「あぁ、飛角も達者でな」


 3年前には叶わなかった別れの言葉をようやく交わし、飛角はゆっくりとロシャードの腕輪を抜き取った。



・2・


「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 天から振り下ろされるタカオの龍拳がネフィリムの頭蓋を砕く。これが最後の一体。


「はぁ……はぁ……さすがにこれで……打ち止めだろ……ッ」

「大丈夫か?」


 膝を付いて苦しそうに肩で息をするタカオ。擬似ワーロック化が解け、実体化したガイは彼の体を案じた。当然だ。戦うために必要だったとはいえ、本来自分ワイアームという莫大な魔力リソースをただの人間が生身で完全に制御すること自体が無謀すぎる話なのだから。


「あぁ、楽勝だ。ミズキの説教に比べたらへでもねぇ」

「フッ」


 しかしそんなことも忘れてガイはタカオの返答につい笑ってしまった。どうやらまだ軽口が叩ける程度の余力は残っているらしい。こんな無茶を押し通せたのはきっと二人の絆の硬さ故だ。


「これで、終わりか?」


 優に100を超える虚影まじゅうの骸。伊弉冉いざなみの権能によって無限に増殖と再生を繰り返していた影の魔獣たちは今やその活動を完全に停止していた。それを見渡しながらタカオはどこか寂しそうな様子でそんな言葉を漏らす。


「たぶん。予定通りカインが上手くやってくれたんだと思う」

「違う、そっちじゃねぇ。お前の話だ」

「……」


 タカオの真意を察し、ガイは静かに表情を暗くした。

 彼は、おそらくもう気付いている。


皆城かいじょうタカオ! 全て片付いた。残るは君の隣にいるだけだ」


 聞きたくもない答え合わせをしたのは、瓦礫の山の上から彼らを見下ろす神凪滅火かんなぎほろびだった。彼の傍にはエトワールとカインもいる。

 どうやらこれが本当に最後らしい。


「どうするのかは……お前が決めろ」


 タカオはゆっくりと立ち上がり、ガイの正面に立つ。そしてこう言った。


「……ッ」


 迷いのない強い瞳。

 それはガイを真っ向から見据えていた。

 元々、この世界はガイのためだけに作られた小さな箱庭ゆめ。放っておいてもいずれは消える運命にある。だからそもそも出口なんて用意されていないのだ。それでもこの世界から抜け出そうとするのなら、核であるガイを倒すしかない。


「……俺は」


 ガイは自分の手を見つめた。

 伊弉冉いざなみがカインの右腕に取り込まれたことで、この世界は徐々に正常な状態に戻りつつある。邪龍ワイアームの力がどんどん弱まっているのが何よりの証拠だ。


「俺は、人間として終わりたい」


 彼にとって、それだけが最後の願いだから。


「あぁ」


 その願いを台無しにしたのはタカオたちだ。だからこそ、ここから先はガイ自身が決める権利がある。



 



「けど、それはダメだ」

「ダメじゃない……もともとここは俺の世界ゆめだ。お前たちはそれを土足で踏みにじった!」


 初めてかもしれない。ガイがこんな我儘を口にするのは。彼自身、自分の言っていることの意味くらいちゃんと理解している。それでも、譲れないものがあるのだ。


伊弉冉いざなみが消えた今、俺の願いはようやく叶う。けど、この世界を壊されたら俺はずっと『化け物のろい』のままだ」

「お前の気持ちがわからない俺じゃねぇ。だからはっきり言ってやる。このままお前の願いが叶っても、俺たちと心中したって後悔だけが残る。新しい呪いがお前を縛っちまう。分かってるだろ?」

「だったらどうすればいいんだよ!!」


 ガイは叫ぶ。目に涙を浮かべながら。


「もう、一人は嫌なんだ……こんなこと、ほんとは言うべきじゃないって分かってる。けど……ッ」

「ハッピーエンドがあればいいと思う。もしあったら迷わず選ぶ。けどここと違って現実は甘くねぇ」


 タカオは真っすぐガイを見つめた。


「今の俺には帰りを待ってるヤツがいる。ミズキと、俺とアイツの子供を残して死ぬわけにはいかねぇよ」

「……ッ」


 どちらも絶対に捨てたくない大切な存在。

 しかし選ばなければならない。どちらかを。


「……そうか。そうだったのか」


 ガイはようやく心の底から理解した。

 つらいのは自分だけではなかった。苦しいのは自分だけではなかった。

 こんな自分のために自分と同じくらい、いやそれ以上に身を切るような思いをしてくれる存在がいたことを。

 だったら、自分も選択しなければならない。例えそれが間違いだとしても、目の前の青年にぶつけなくては。


「なら……ここにいる全員、この手で……ッ!」


 ガイはタカオを睨む。その眼光に敵意はあっても憎しみはない。

 これはただの我儘。最初で最後の大喧嘩だ。


「できんのか?」

「俺はどこまで行っても怪物ばけものだ。この手はとっくの昔に血で染まってる。今更何人殺しても変わらない」


 ガイは懐からネビロスリングを取り出す。邪龍の力が使えなくても、彼にはまだこれがある。対するタカオはその拳以外もう何の力も残されていない。

 勝敗は火を見るよりも明らかだ。しかしそれでもタカオは一歩も引き下がらない。


「知るかよ。俺が見てるのはワイアームじゃねぇ。お前だ、ガイ!」

「……ッ!」


 きっと、どっちを選んでも正解ではない。

 第3の選択肢なんて都合のいいものも存在しない。

 これから終わる命。

 これから始まる命。

 二つを天秤にかけることでしかこの先に進めない。ただそれだけだ。


「……ッ、うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 気付けばガイはネビロスリングを放り投げ、タカオに向かって全力で走っていた。その拳を振り上げ、全体重を乗せた一撃をタカオの顔面に叩き込む。


「ぐ……ぶッ!」


 タカオは避けずにそれを正面から受け止めた。


「ッ!?」


 鼻から血を流し、口の中も切れて出血している。だが、目だけは死んでいなかった。

 ガイは――そんなタカオから目が離せなかった。


「歯ぁ喰いしばれ……これが正真正銘最後の!!」

「ッ……」


 そこでガイの思考が一瞬途切れた。



・3・


 次にガイが目を開いた時、そこにあったのは青い空。いつの間に戻っていたのか? 頬に鈍い痛みを感じながらそんなことを思い、自分が仰向けに倒れていることを自覚した。


「……痛い」

「本気で殴ったからな」


 ガイの横にはタカオが腰を下ろしていた。


「どこで、間違えたんだろう?」

「何も間違ってねぇよ…………たぶん」

「ハハ、そこは断言して欲しかったな」

「うるせぇ」


 自然と二人は笑っていた。


「お互いに我を通した。それだけだろ? 気を使って引っ込めるのは俺たちのやり方じゃねぇ」

「……そう、だな」


 間違えていたとしたらきっとそこだけだ。それが分かった今、ガイの心は嘘みたいに穏やかだった。


「そういえば、ミズキとの子って男の子? それとも女の子?」

「ん? あー、確か神座かむくらは男の子って言ってたな。ヘヘ、実はもう名前も決めてある」

「? 何?」


 恥ずかしそうに笑うタカオ。彼はガイを見つめながらゆっくりとその名を口にした。


「ガイ」

「……ッ!?」


 ガイは呆気に取られていた。そしてすぐに彼の身に心が震えるような、何とも言えないむず痒い感覚が襲った。


「そっか……そうなのか……ッ」


 状況は何も変わっていない。タカオたちの存命を願うなら、自分がこのまま――『呪い』のまま死ぬしかない。

 しかし、何故だろう? 初めてそれでもいいと心の底から思えてしまった。


「ま、ちょっとベタな感じだが、ミズキも同じことを考えてたみたいで――って泣くなよ!?」

「う……うぅ……ッ、だって……ッ」


 涙が湧いて出る。止められそうにない。


(そうか。こんなにも……こんなにも簡単なことだったんだ)


 タカオの言った通り、ガイの決断は新たな後悔を残す。

 だから彼は勝負に負けたのだ。


「ありが、とう……忘れないで、いてくれて」

「ったりめーだバーカ」


 嗚咽まみれの言葉でガイはただ感謝する。こんな至上の幸福、夢の中でも出会ったことがない。


(これでようやく俺は……)


 人として死ぬことは叶わない。でも人として生を受けることはできる。

 ただの自己満足だが、この身を満たす満足感に嘘偽りはない。結局のところ、最後は自分自身が心の底からそう思えることが何より重要だったのだ。


 だから今なら……今なら何にでもなれそうな気がした。

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