第113話 その場所 -Beyond the place-

・1・


 ——黄泉津大神よもつおおかみとの戦いに決着がつく数分前。


 何もない。黒と静寂に包まれたどこでもない場所。

 空を飛べるガイに運んでもらい、一人モノリスタワーに足を踏み入れたユウトはそこで足を止めた。


「ここは……」


 間違いなくタワーの中に入ったはずだ。しかし中は空洞——いや、もはや全く別の空間に置き換わっている。


「……ユウト?」


 そんな時、ふと聞き覚えのある声が彼の名を呟いた。


「刹那か!?」

「ありゃ? ユウト君?」

燕儀えんぎ姉さんも」


 二人の存在を意識した途端、何も見えなかった暗闇から御巫刹那みかなぎせつな橘燕儀たちばなえんぎの姿が現れた。


「幻……じゃないわよね? アンタ何でここに——」

「ユ・ウ・トく〜ん♪」

「え、ちょ……ッ!?」

「フフ、むぎゅーッ♡」


 ユウトを見るやいなや、燕儀えんぎは彼に飛びついた。そしてユウトの頭を自身の胸元に力一杯引き寄せたかと思うと、今度はヨシヨシと優しく彼の頭を撫でる。その心地よい暖かさと確かな感触は彼女が夢幻の類でないことを証明していた。不思議と気が緩ん——


「……姉さん、何やってるのよ?」


 しかし不機嫌そうな刹那の声でユウトはすぐさま我に返った。


「ん〜? 何って……本人チェック?」

「そんなので分かるわけないでしょ!? だいたいユウトは今——」

「本物よ。そこの坊やは」


 反論する刹那の言葉を何者かが遮った。そしてその声もやはりどこか聞き覚えのあるものだった。そう、彼女は——


「あなたは……カーミラさん、ですか?」

「久しぶりね坊や。いえ、立派になった今のあなたに『坊や』は失礼かしら? そうね……私も彼女たちに倣って『ユウト』と呼ばせてもらいましょう」


 両手をピタッと合わせ、黒髪の吸血鬼は小さく微笑む。


「お久しぶりです。3年前はお世話になりました」

「3年……ね。そっちはまだそれだけしか経ってないのね」

「え……」


 ユウトの『3年』という言葉に、カーミラは僅かに表情を暗くしたように見えた。


「それよりアンタが本物だとして、何でここにいるのよ? 真紀那まきなとアメリカに行ってるはずでしょ?」

「アハハ……えーっと、話せば長くなるんだけど――」

「この世界ゆめに入り込むために魔人と神凪かんなぎの使徒に鍵として連れられた、でしょう?」


 まるで見てきたように、カーミラは事のあらましを一言で説明してしまった。


「あーなるほど。だからシャルバがあそこで急に現れたんだね。魔道士ワーロックの力を失った今のユウト君なら簡単に攫えちゃうだろうし」

「まぁ……はい、そんな所です」


 燕儀えんぎの推測にユウトはただただ頷くしかなかった。


「……ッ!? 刹那、燕儀。

「「!?」」


 あの男。

 その言葉を聞いた途端、二人の表情が変わった。


「あの男?」

「行きなさい。ユウトの事は私に任せて」

「……わかりました」


 刹那は一瞬躊躇してユウトに視線を向けたが、すぐに気持ちを切り替えて頷く。そしてユウトの手を掴んで彼女はこう言った。


「いい? 絶対に無茶はしないで。今のアンタは戦えない。その分は私たちが戦うから。アンタはここでアンタにしかできないことをして」

「刹那……」


 自分にしかできないこと。不思議とそれが何なのかユウトには理解できた。


「……」


 それはこの永遠に続く暗闇。そのさらに奥にある。


「いいわね?」

「……あぁ。自分のやるべきことは分かってる」


 強く握る彼女の手をユウトは優しく握り返した。


「んじゃ、そんなこれから頑張るユウト君にお姉ちゃんからプレゼント♪」

「プレゼン――んンっ……」


 一瞬、ユウトの視界が真っ暗になった。


「ん……ん……ちゅっ……」


 最初に目に入ったのは目を瞑り頬を僅かに赤らめどアップになった燕儀えんぎの顔だ。


「な、な……ッ!」


 そして視界の端では刹那が顔を真っ赤にして狼狽えている。


「ちゅる……ぷはっ」

「ちょ……ッ、ね、姉さん!?」

「ニシシ、眷属の中で私だけイチャイチャイベント少ないからね。お姉ちゃん特権で強引に差し込んでみました♪」


 口元を指で押さえ、いたずらっ子のように燕儀えんぎは笑う。そしてすぐさま踵を返した。


「さて刹ちゃん、行こっか?」

「……~ッ」


 恨みがましい目で刹那はユウトを睨む。しかしユウトもユウトで内心それどころではなかった。



・2・


「なるほど……これが『爆発しろ』というやつかしら? あなたに興味以上の感情はないけれど、なかなかどうして腹立たしいわね」

「何言ってるんですか……」


 興味深そうに指を顎にあて、考えに耽るカーミラ。そんな彼女にユウトは力なく答えた。


「まぁいいわ。あっちは彼女たちに任せて、私たちも始めましょうか」

「……はい」


 ユウトが頷いたのを確認すると、カーミラは懐から金の懐中時計を取り出した。


「それは……」

「クロノス――ときを司る私の魔遺物レムナント


 彼女は一言そう言うと懐中時計の蓋を開く。すると時計の針はひとりでに反時計回りに回転を始めた。

 ユウトは周囲を警戒する。カーミラがクロノスで何かした途端、得体のしれない黒いもやのようなものがそこら中で蠢き始めたからだ。


「捨ておきなさい。それは最初からそこにあるもの。無意識の夢の残滓。時を戻したところで今は何にもならないわ」


 言葉の意味がいまいち釈然としないが、つまり害はないということだろう。


「あなたがここに至るまで3年。。悠久を生きる私にとっては刹那の出来事でも、彼女には長すぎた」

「……ッ」


 ユウトは息を吞んだ。

 前方の黒い靄。他のそれとは違い、その靄は明らかに人の形をしていたからだ。


「彼女はとっくにこの虚無の海に溶けている。救い出すには、このクロノスの力を使うしかない」

「……伊紗那いさな


 見間違えるはずがない。ずっとこの手に取り戻したかった彼女の名をユウトは呟いていた。しかし同時に理解した。そこにあるのは魂なき器。肝心の中身がそこにはない。カーミラは虚無の海に溶けてしまった伊紗那いさなの精神の器を時間を巻き戻すことで復元したのだ。


「あとは……あなた次第よ……」

「カーミラさんッ!?」


 隣で崩れ落ちるカーミラ。ユウトは彼女に駆け寄り、その体を支える。


「クロノスは魔力を必要としない魔具アストラ。けどその代わり……使用者の時を喰らう。だから……あの人は、私に……これを託したの……」

「……ッ!?」


 軽い。あまりにも軽すぎる。

 カーミラの体にはまるで重さというものがなかった。文字通り、今にも消えてしまいそうなほど存在が希薄になっている。


「気にしなくてもいいわ……ただの寿命、よ……」

「寿命!?」

「フフ、意外かしら? 吸血鬼といっても、不老不死では……ないの。人よりほんの少し……そう、ほんの少し長命というだけ。体の方はとっくの昔に朽ちているわ」


 今、この腕の中に感じる重み。それはすなわち彼女の魂の重さそのもの。クロノスを使うということは、それを直に消費することを意味する。彼女にとっては一瞬、しかし人にとっては永すぎる時間という最後の魔力をカーミラは伊紗那いさなのために使ってくれたのだ。


「行きなさい……私の最後の時間……あなたに、託すわ」

「……ッ」


 カーミラはそっとユウトの手を引き、その手のひらに金の懐中時計――クロノスを静かに置く。時間を喰らう魔遺物レムナントはすでに彼女の体よりもずっと重かった。


「だから……最後に一つだけ、お願いしてもいいかしら?」

「……何ですか?」


 ユウトは静かに問う。今の無力なユウトではどうやっても彼女を救うことはできない。いや、例えワーロックの力を失っていなくても結果は変わらないかもしれない。他でもない彼女が終わりを望んでいるから。後に続く、意味のある終わりを。


「カグラを……あの男を止めて」

「カグラ……夜式やじきカグラ!?」


 コクッとカーミラは小さく頷く。


「あれを野放しにすれば……きっと世界は滅んでしまう。あの人が愛した世界を……守って……」


 泣きそうなほどか細い声で、吸血鬼はただただ願う。


「わかりました! 絶対……約束は果たします!!」

「……ッ」


 一瞬、カーミラはユウトにかつての主の面影を見たような気がした。そしてようやく確信する。自分のやってきたことに意味はあったのだと。


「感謝するわ……」


 その言葉を最後に、彼女の魂はユウトの腕の中でその永すぎる時間じんせいの幕を下ろした。


「…………」


 ユウトは託されたクロノスを握りしめ、ゆっくりと立ち上がる。




「……やっとだ」




 一歩、前へ。



「やっと……ここまで……」



 そしてまた一歩。

 あの時救えなかった彼女のもとへ。



「俺一人の力じゃ、とてもここまで来れなかったよ」



 魔法――そんな今考えると子供の夢みたいな話から随分と遠くまで来てしまった。



「けど、ようやくお前の前に立てた」



 憧れた虚像うしろすがたではなく、キミ自身と向き合うために。


 その時、伊紗那いさなの周囲で闇が膨れ上がった。


「……ッ!」


 それが何なのかはわからない。伊弉冉いざなみ自身なのか、それともこの無意識の夢に住まう怨念の類か。それらが寄せ集まり、凝縮し、『吉野ユウト』という形となって、まるで伊紗那いさなを守る騎士のようにユウトの前に立ちはだかる。


 これが吉野ユウトおまえの本性だと。そう言いたいのだろう。


 誰かのためにともっともらしい言い訳を並べながら、ただ『その場所』に留まりたいと足掻き続けた醜悪な自分。正義なんてない。ただその行動の結果が正義だっただけだ。



「そこを、どけ……!」



 でもそんなことはもうどうでもいい。

 醜悪でも構わない。それが願いだ。吉野ユウトの理想すべてだ。



「そこに立っていいのは、お前じゃない!!」


(いや……違うか)


 もうそんなものはいらない。

 本当に欲しかったものはその一歩先にある。



Tyrfingティルヴィング ...... absolution』


 ユウトは理想写しイデア・トレースに三度目の魔剣を差し込んだ。



「そこに立たれると邪魔だ! 俺はその先に用がある!!」



 手も足もまだ動く。倒すべき敵も見えている。

 だから声の限りに叫んで、

 死力を尽くして、

 吉野ユウトは足掻き続ける。



 ――『その場所』を超えるために。

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