第114話 もう一人の資格者 -The first sin-

・1・


「カ……グ、ラ……」


 伊弉冉いざなみの口から男の名が紡がれる。


「よぉ、久しぶりだなクソ女」

「て、めぇ……ッ!!」


 カインは伊弉冉いざなみの体を貫通して右腕に突き刺さった刃を強引に振り払う。多少の痛みは覚悟していた。だが思った以上にそれはなかった。彼が腕を振るったのとほぼ同時に、相手が得物を綺麗に引き抜いたのだ。


「……ッ、誰だテメェ!? どっから湧いて出やがった?」

「ギャーギャー騒ぐなよ。興が覚めちまうだろ」


 魔人、なのは間違いない。人のものとは思えぬ生気の抜けた灰色の肌はそれをありありと物語っている。だが今まで対峙してきたどの魔人でもない。そしてそのどれよりも明確な悪意を感じる4人目の魔人。


「主……様……」

「ッ、黙ってろ! 今はお前に構ってる暇は――」

「逃げ、て……」

「!?」


 腕の中で弱弱しくカインに寄りかかる彼女は予想もしなかった言葉をこぼす。


「今の主様では……カグラに、勝てない……」


 騙すでもなく、見下すでもなく、その言葉はカインのことを本気で案じている。それが一層、目の前にいる男の危険性を如実に表していた。


「カグラ……その名前どっかで……ッ!?」


 そこでカインはハッと気付く。



 ――夜式やじきカグラ。



 覚えがあるも何も、御巫の里で御巫久遠みかなぎくおんぬえの話をする際に口にした名だ。

 約1000年前のぬえ暴走事件の元凶にして、初代ワーロック――アベル・クルトハルを裏切った眷属。そして伊弉冉いざなみの最初の資格者。


「あー違う違う。俺様今はヴェンディダードの魔人――ドルジで通してるんだ。とっくの昔に捨てた名前で呼んでくれるなよ」

「その魔人様が今更何の用だよ? まさか俺とコイツが相打ちするのでも狙ってたのか?」


 カインの挑発にドルジは両手を上げ、肩をすくめる。


「まぁ、ぶっちゃけそうなりゃ御の字くらいには思ってたよ。テメェがそのクソ女相手に予想以上の健闘しやがるから今の今まで忘れてたがよぉ」

「……」

「そう睨むなよ。これでも褒めてるんだぜ? ほら、喜べよ? 伊弉冉いざなみ使いの先輩からのありがたーい賞賛だ」

「ハッ、生憎そういうのとは無縁でな。先輩面したいなら他当たれ」

「口の減らねぇガキだ。ちっとばかし躾けてやるか」


 魔人ドルジが小さくため息を吐いたその時、彼の背後に人影が現れた。


「――ッ」

「おっと」


 一切の気配なく、突如現れた人影――橘燕儀たちばなえんぎの死角からの一刀。それをドルジは見る事もせず、持っていた日本刀で軽々と受け止めた。


「な……ッ!?」

「おやおや誰かと思えば御巫みかなぎのクソ共に葬られた断刃無たちばなの生き残りじゃねぇか! ヘヘ、何? これで不意打ちのつもり? 何だよご自慢の暗殺術とやらも存外大したことねぇな!」

「……ッ、刹ちゃん!!」


 燕儀が叫ぶ。そして間髪入れずに彼女と入れ替わった刹那は炎雷を纏わせた伊弉諾いざなぎの一撃をドルジに叩き込んだ。


「ぐっ……お、おおおおおおおおおおおお!!」


 魔人の悲鳴が木霊する。

 黒刃はドルジの首から胴を容赦なく縦に切り裂いた――はずだった。


「なんてな♪」

「ッ!?」


 しかしそんな刹那を嘲笑う声が周囲に響き渡る。次の瞬間、彼女が切り捨てたドルジが眼前で霧散した。


(幻!? でも確かに手応えは……まさか!?)


 刹那はカインを見た。正確には彼が抱きかかえている伊弉冉いざなみをだ。刹那が何を思ったのか瞬時に理解したカインは首を横に振る。


「ねぇ、今のって」


 どうやら燕儀えんぎも同じ結論に達したようだ。


「えぇ、今のは間違いなく。でもあれはまだカインの手にあるみたい」


 刀としての伊弉冉いざなみは今もなおカインの神喰みぎうでの中にある。であるならば、ドルジがその力を行使することはできないはずだ。なのに彼はそれを使った。


「何も不思議じゃねえ。御巫みかなぎの里でテメェ自身がやってたことだろ?」


 何もない空間が十文字に切り裂かれ、その裂け目からドルジが再び姿を見せる。


「……伊弉冉いざなみの魔力を奪ったのね」


 刹那は再度刀を構え、確信する。



 ――神格共有。



 御巫みかなぎの里で一度、刹那は伊弉諾いざなぎ石動曹叡いするぎそうえいに奪われた。そんな彼と決闘する際に彼女が用いたのは九条秤くじょうはかりが拵えた無名の一刀だった。業物ではあったが、何の力もない日本刀。当然魔具アストラには遠く及ばない。しかし刹那はそれに伊弉諾いざなぎの魔力を浸透させ、一時的ではあるものの擬似的な伊弉諾いざなぎを再現した。


魔具アストラから魔力を引き出して別の器にコピーする。なかなかいい発想だ。ま、テメェらじゃその場しのぎにしかならねぇだろうが、俺様は違う」


 ドルジの場合はそのさらに上。『神格剥奪』とも呼べる代物だ。

 魔人は伊弉冉いざなみの権能を得た切っ先を地面に突き刺し、不敵に笑う。


「リハビリついでに見せてやるよ。こいつの正しい使い方ってやつを」


 空気が凍り付く。まるで世界の全てが魔人に吸い込まれるかのように、ドルジを中心に景色そのものが歪曲し始めた。



「――魔装、黄泉津大神よもつおおかみ



 次の瞬間、漆黒が弾けた。


「……ッ! 魔装!!」


 刹那も即座に伊弉諾いざなぎで魔装を完了させ、全力で臨戦態勢を整える。


「オラ、行くぞ!」

「ハッ!」


 闇が濁流となって襲い掛かる。

 建御雷タケミカヅチ迦具土カグツチ。刹那の二つの絶刀がそれを切り裂いた。だが――


「ヒャハハハハ! どこ見てやがるうすのろ!!」

「そこッ!!」


 分かっている。しかし今度は外さない。

 返しの一閃。刹那は刃の速度を一切落とさず、背後の闇を再び斬った。


「ザンネ~ン♪」


 だが次の瞬間、


(な……ッ!?)


 斬られた。しかし理解が追い付かない。

 。まるで鏡に映った自分を見ているようだ。そしてそれを斬った刹那自身が、何故かその手にある二つの刃で斬られていた。


(何……が……ッ)

「刹ちゃん!!」


 魔装が解け、力なく落下する刹那を燕儀が何とか受け止める。


「刹ちゃん! しっかりして!!」

「姉、さん……ごは……ッ!」


 大量の血を吐く刹那。

 燕儀はすぐさま回復魔術を施すが、傷がかなり深い。自分で自分の全力の一太刀を浴びたのだから無理もない。


「おいおい今どきの退魔士ってのはどいつもこいつも頭お花畑か? 敵に背を向けて仲間の回復とは泣かせるねぇ」

「く……ッ!!」


 無論、燕儀もその危険性は重々承知している。しかし他に選択の余地はない。それほどまでの深手を刹那は負ってしまったのだから。

 不可視の刃が燕儀に襲い掛かろうとしたその時――


 ガギンッ!!!!


 その斬撃を『認識』できるもう一人がそれを受け止めた。


「あ?」

「ッ……無視してんじゃねぇよ。テメェの相手はこっちだクソ野郎!!」


 魔装・刃神Crazy Edgeを展開したカインがドルジの前に立ち塞がる。



・2・


 ――数分前。



「あの野郎……ッ」


 伊弉冉いざなみの力を奪われた。

 理屈は全く分からないが、それだけは事実だ。


「……主様」


 刹那たちがドルジと応戦している最中、それを見ていることしかできなかった満身創痍のカインに伊弉冉いざなみが囁きかける。


「つまらねぇ話なら後にしろ」

「主様は、わらわを欲しますか?」

「ッ!? ……続けろ」


 その意味が分からないカインではない。彼は伊弉冉いざなみの言葉に耳を傾ける。


わらわの権能……そのほとんどは奪われました。しかし根源は未だここに」


 魔人の持つあの刀。もはやあれはもう一本の『伊弉冉いざなみ』――いや、彼の言葉を使うなら『黄泉津大神よもつおおかみ』といったところか。しかしドルジは全てを彼女から奪ったわけではない。むしろ奪えなかった。


「主様が望むのであれば……僅かばかりの力は残せましょう」


 核となる部分。それさえ奪われなければ、例え力を失ったとしても魔遺物レムナントは再生する。不完全が故の飽くなき進化こそ魔遺物レムナントの本質だ。


「急に協力的になったな。何を企んでやがる?」

「フフ……企むなんてとんでもない。わらわは……わらわを欲する者には寛容なのです。無論、その資格がある者に限り、ですが」


 カインにはその資格がある。彼女はそう判断したのだろう。


「……分かった。お前の力、今度こそ貰うぞ」

「フフ、ご随意に」


 そう言うと、伊弉冉いざなみは眠るように目を閉じた。

 そして、カインはその神喰みぎうでで今度こそ彼女を喰らった。



・3・


 二つの漆黒が衝突する。

 その衝撃で闇は祓われ、禍々しい黒の鎧を纏ったドルジが姿を現した。


「へぇ、まだ力が残ってやがったか」

「――ッ!」


 目にも留まらぬ斬撃の応酬。互いの不可視の刃が衝突する度に雷のような光が次々と炸裂する。


「ヒャハハ! 差し詰めあの女を喰って強引に力を増幅させたってところか? なかなかエグいことするねぇ」

「うるせぇ野郎だ! 一発キツいの喰らわせて黙らせてやる!」


 カインは漆黒の大鎌を横に振るう。黒刃は闇を切り裂き、その先の虚像のビルさえも容易に切断した。


「あーダメダメ全くなってねぇ。ほら、こうやって使うんだよ!」


 ドルジは両手に逆手で持ったナイフ上の刃を交差させ、再びその姿を消す。


「チッ、ちょこまか隠れやがって!」

「隠れる? 違うな。ほら目の前に――」


 次の瞬間、カインの背中が二つの刃で切り裂かれた。


「が……ッ!?」

「ヒャハハハ! バカかテメェ!? 俺様が正直に自分の位置を教えるとでも思ってんのか? とんだ甘ちゃんだなぁ!」

「クソッ!」


 翻弄されている。しかもただ狡賢いわけではない。練度も正確さも圧倒的に向こうの方が上だ。どんなに大鎌を振るっても確実にその隙を突いてくる。例え同じ条件の下で戦ったとしても勝てるかどうか怪しい。そのうえで狡猾さが毒牙となってカインの精神力を削っていく。


「オラオラどうしたもう終いかぁ? 俺様に一撃喰らわせるんじゃねぇのか? あぁ!?」

「……ッ、銃神Noisy Barrel!」


 縦横無尽に襲い掛かる斬撃の雨の中、瞬時に魔装を切り替え白銀の騎士鎧を纏ったカインは、生成した銀の弾丸を左手のリボルバーに装填して二発撃ち込む。


「ッ!?」


 一瞬、ドルジが黙った。しかしすぐに下卑た嗤い声を漏らす。


「ククク、なるほど。少しは頭を使ったってわけだ」


 闇そのものだったドルジが急に姿を現した。その右肩からは血が流れている。カインの弾丸が彼を貫いたのだ。


「ハッ……どうだ? 一発喰らわせてやったぞ?」

「チッ、この程度で浮かれやがって」


 伊弉冉いざなみの『反転』の権能。

 それは相反する力をぶつけて対象を相殺する特効弾シルバーバレット。今回で言えばその対象は伊弉冉いざなみそのものだ。ドルジの黄泉津大神よもつおおかみも元をたどれば伊弉冉いざなみの権能。それがどんな力であれ、対伊弉冉いざなみに特化した弾丸をまともに防ぐことはできない。


「だが今ので俺様を仕留めきれなかったのはマズかったなぁ。もう同じ手は通用しねぇぞ?」

「……ッ」


 実際、その通り。完全に手詰まりだ。

 認めたくないが地力で負けている。一発当てるのが精一杯だった。

 ドルジは卑怯な戦い方を好んで使うが、それは弱さを隠すためではない。むしろ楽しむためだ。もし遊びを止めて本気で殺しに来れば、おそらくカインが負ける。



「そこまでにしてもらおう」



 その時、頭上から男の声が降ってきた。


「あ?」


 いい所を邪魔されて不機嫌になったドルジが上を向く。


「ククク、これはこれは……いったいどういう風の吹き回しだ?」

「!? 何で……」


 カインも内心驚いていた。何故ならカインとドルジの対決を止めたその男は神凪滅火かんなぎほろびだったからだ。今は一時的に協力関係とはいえ、彼の役割はあくまで出口を見つけること。カインを助ける義理はない。

 滅火ほろびは地面に着地し、いつものように眼鏡をクイッと持ち上げる。


「愚問だな。私は彼女エトワールを連れて一刻も早くこの世界から抜け出す必要がある。そのためには伊弉冉いざなみ同士で潰し合ってもらっては困るんだよ」

「相変わらずカーーッコいいねぇ!! けどまぁ、俺様のお楽しみを邪魔するのはいただけねぇなぁ」

「今回は天上の叡智グリゴリと君との間に契約はない」


 そう言って滅火ほろびが懐から取り出したのは、見たこともないだった。


「ッ!? テメェ、そいつは……」


 ドルジが驚いている。そんな彼をよそに滅火ほろびがそれを左腕に装着すると腕輪は暗い光を放ち、その形状を変化させた。

 外神機フォールギアではない。

 まるでユウトの理想写しイデア・トレースのような籠手へと。


「私の障害となるのなら、遠慮なく排除させてもらう」

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