第111話 最後の世界 -Not alone-

・1・


「二人共、まだ動けるな?」


 ガイはネビロスリングで纏った武装を解除し、その素顔を露わにする。


「「ッ!?」」


 タカオとユウトは絶句した。


「ガイ、お前……ッ」


 顔の右半分が黒に染まっている。そこにあるのは血走った瞳、鱗のような肌、そして鋭い牙。およそ人とはかけ離れた……まるでかつての邪龍ワイアームを思わせる――


「ッ!?」


 次の瞬間、ガイの右手から黒炎が放たれた。それは高速でタカオの頬を掠め、その背後の魔獣を一瞬で燃やし尽くす。


「ッ……何で……?」

「……場所を変えよう。魔獣がまだ来てる」


 聞きたいことは山ほどある。しかし満足に戦う術を持たない今の二人はガイの言葉に黙って従うしかなかった。


・2・


 三人はひとまず近くの廃ビルに身を潜めることにした。道中、ガイは黒炎で周囲を焼き払い、匂いや足跡といった痕跡を全て消してくれた。あくまで気休め程度だが、これで少しは時間ができる。


「……どういうことだよ? まさかまだ自分が死ぬために俺たちを排除したいなんて言わないよな?」


 タカオは少しだけ語調を強くしてガイに問う。もし彼が本当にタカオやユウトをはじめとしたこの世界にとっての異物を排除したいのなら、さっきのように二人を助けるような真似をするのは理にかなわない。放っておけば死ぬのだから。実際、そこまで二人は追い詰められていた。それ以前に今はもう平和で穏やかだった数刻前とは違う。黄泉津大神よもつおおかみ――あの悪神が全てを地獄に塗り替えてしまった。


「それにお前、その顔……」

「……」

「だんまりかよ……」


 ユウトは珍しく怒りを露にするタカオの肩に手を置き、彼の代わりにガイと向かい合った。


「ガイ、こんな形だけどまた会えて嬉しいよ」

「ユウト、世話をかけてすまない。そっちは……相変わらず平穏とは縁がなさそうだ」

「ハハ……まぁ、確かに」


 困ったようにユウトは笑う。実際、その通りだから。


「聞いてもいいか? お前の事情」

「……不可抗力だった。ここは本来、思い出と共にゆっくりと終わりを迎える世界。そこに第三者が介入してくるなんて思いもしなかったんだ。ましてやそれがお前たちだなんて……」

「……」


 ガイは変わり果てた醜い右腕を強く握りしめる。

 ユウトは何も言わない。言えなかった。カインが伊弉冉いざなみを再覚醒した時点でこうなることは決まっていた。伊紗那いさなを助けるチャンスにようやく手が届く。あの時はそのことで頭がいっぱいだった。


「……これからどうするんだよ?」


 タカオは怒りを抑え、落ち着いた声でガイに問う。


「俺は伊弉冉いざなみ――いや、名を変えて在り様を変質させたあの女と手を組んだ……というより、組まざる負えなかった」

「「!?」」


 ユウトとタカオは一瞬、体を強張らせる。ガイの言葉が真実なら、それはすなわちユウトたちにとって彼は敵ということに他ならない。

 しかし、ガイは小さく首を横に振った。


「心配しなくても俺があの女に従うことはないさ。たとえこの身を呪いに戻されようとも、それだけは絶対に」


 強い意志を宿したガイの目。彼が嘘を吐いているようには思えなかった。

 ガイの話によると、黄泉津大神よもつおおかみが彼に持ち掛けたのはあくまで取引。それはこの小さな世界を見逃す代わりに、ユウトたちを排除するのに協力しろというものだ。いくらここが彼女の領域であろうと、呪いの塊であり生を持たない邪龍ワイアームという存在に対しては強制力を行使できないようだ。


「けどそれじゃあこの世界は……」

「身の丈に合わない夢を見ていた……ただそれだけのことだ。お前たちが責任を感じることじゃない」


 気丈に振舞っているが、言葉から悲しみを拭いきれていない。それほどまでに人間として終わることは彼にとって叶えたい悲願だったのだ。


「だったら俺たちと――」

「いや」


 タカオの言葉をガイは否定する。


「それはできない」

「……何でだよ」

「この世界が壊れ始めたとき、俺は……自分という存在も一緒に壊れる音を聞いた。もう昔のようには笑えない。お前たちと共にある資格なんて――」


 その時、ユウトの横を何かが通り過ぎた。

 タカオだ。彼は目にもとまらぬ速さでガイの前まで移動すると、その拳をガイの顔面に叩きつけていた。まるで言葉の続きを言わせないように。


「……」

「タカオ!?」


 吹っ飛ばされたガイは痛がる素振りを全く見せない。むしろ痛いのはタカオの方だ。魔法が使えない今の彼の拳では、邪龍の龍鱗は刃物同然。案の定、彼の右手からは赤い血が滴り落ちている。


「……同情はしてやるよ。理由はどうあれ、最後の願いを踏みにじられたんだ。さぞかし辛いだろうさ」


 タカオは血だらけの右手を一度ゆっくり開き、そして胸の前でギュッと握った。


「けどな! 自分だけが被害者だと思うなよ!! 俺も、ミズキも……ユウトも他のヤツらもみんな……ッ、お前を失って死ぬまで治らねぇ傷を負ってんだ!!」

「……ッ」

「一緒にいる資格がない? そんなの誰が決めたんだよ!? お前だろ! こっちの話も碌に聞かないで、いつからテメェはそんなに偉くなったんだ!?」

「タカオ!」


 さすがに止めようとしたユウトをタカオ自身が血の付いた右手を上げ、制止する。声を荒げてはいるが、思った以上に彼は冷静だった。


「わかった……任せるよ」

「悪ぃな」


 タカオはいたずらっ子のように笑うと、もう一度ガイに向き直る。


「もし……ちっとでも悪いと思ってんなら、俺らと一緒に来い。どうせ人間として死ねないなら、せめて今度はちゃんと……俺たちの目の前で死ね」


 その言葉はタカオにとっての後悔そのものでもあった。

 仲間を犠牲に生き残った。仇も討った。それでも消えることのない深い、あまりにも深い後悔。


 自分が犠牲になればよかった?

 ――違う。

 自分にもっと力があれば守れたかもしれない?

 ――違う。

 そうじゃない。

 終わったことは今更どう足掻こうが変えられない。それが許されるのは物語の中だけだ。でももし、それでもそんな奇蹟が許されるのなら――言うべきことは決まっている。


「こっちに来い! ガイ!」


 タカオは叫ぶ。

 初めから、彼にとってガイが人間であるかそうでないかなど全く問題ではない。最も重要なことはとても単純だ。


「いつまでそこで蹲ってるつもりだ? 一人が嫌だから! お前が望んだ最後の世界ゆめは、俺たちとの日々を映してたんだろ!!」

「――ッ」


 共に在りたい。

 別れが必定なら、せめて最後のその瞬間まで。

 ただそれだけなのだから。


・3・


 烈風が虚影のビルを裂き、洪水が全てを覆い隠す。

 視界を塞ぐ圧倒的な『死』という名の暴力。それは魔術師風の魔獣ジャタの影ただ一体によってもたらされたものだ。


「スレイプニール!」


 たがレイナは臆さない。

 両足に宿る自身の魔具アストラを信じて突き進む。そして旋風を纏う高速蹴りが術者を真っ二つに引き裂いた。


「違う! こいつじゃない!」


 仕留めたのは偽物だった。これで四度目。レイナはすぐに気持ちを切り替え、再び最高速度で戦場を駆ける。

 このジャタというネフィリムの影は他の個体と違い魔術を扱う。あらゆる属性を自在に操り、自身の複製体を作ることでそれを安全圏から放てるのだ。


「レイナ! 上だ!」


 遠方でカインが叫んだ。彼は三体のネフィリムを相手取りながら、レイナに迫る危機を伝えてくれたのだ。


「ありがと!」


 それは空から飛来する無数の小型隕石だった。次の瞬間、広範囲にわたって次々と大地が爆ぜる。レイナは速度を維持しつつ、隕石の雨を潜り抜けていった。


「今度こそ!」


 そして彼女はランス型の神機ライズギアレギンレイヴを展開し、一番遠くにいるジャタの影を貫いた。


「ッ!? これも偽物!」


 レイナが一度地面に着地すると、戦闘中だったカインもまた彼女の背後に飛び降りてきた。


「チッ、思った以上に一体一体が強い。それに雑魚は無限湧きときた」

「ごめん、私があの魔術師タイプを早く倒せれば……」


 この戦場において最も厄介な敵はレイナが相手をしているジャタの影だ。先のような広範囲魔術はレイナだけでなく飛角やカインたちにまで影響する。

 チラッとカインは背後を振り返る。そこには窮地にあっても未だ闘志を燃やし続ける少女の姿があった。


「……シルヴィ、ちっとばかし力を借りるぞ」

「え? 今なんて――ちょ……ッ!?」


『Themis ... Loading』


 カインはリボルバー型神機ライズギアシャムロックにシルヴィアから受け取ったロストメモリーを装填すると、それをレイナに向けて発砲した。


「ギャーーーーーーーーーーッ!! ……あれ? 痛く、ない?」


 驚きのあまり思わず叫んでしまったが、レイナは自身に起こった異変に気付き目をしばたたかせた。


「何ふざけてやがる? 集中しろ」

「??」


 いつもより視界が開けて見えるのだ。広く、遠くまで気を配れる気がした。

 カインが使ったのはバベルハイズでシルヴィアから受け取った魔具アストラ――テミス。その権能は平等。自身と特定の対象とのあらゆる力の均衡を操作するものだ。それはつまり――


「俺の判断力をお前に反映した。これで少しは頭が回るようになるんじゃねぇか?」

「~~ッ! そういうとこッ! そういうとこホンット直して!!」

「ッ、次来るぞ!」


 顔を真っ赤にして叫ぶレイナをよそに、カインは高速で地面を駆けた。どうやら彼は彼でレイナのスピードの恩恵を受けているらしい。


「今なら本物を見分けられるかも」


 レイナは視界に入る全てのジャタたちを注視する。


(敵の性質から考えても本物は一番安全な場所にいる。それは間違いないと思う。問題はそれがどこか……ッ!!)


 その時、レイナはあることを思いついた。そしてそれを確かめるためにすぐに行動に移る。


「はあッ!!」


 大きく横に一回転して、彼女は風の衝撃波を誰を狙うでもなく拡散した。風圧は大量の塵を巻き上げ、周囲を覆いつくす。するとある一か所で妙なうねりを見つけた。塵を妨げる透明な何かを。


「見つけたッ!!」


 本物は文字通り、姿を消していたのだ。複製体はその中に隠れていると錯覚させるためのブラフ。


「これで――」


 本体さえ見つければこちらのもの。そう思った矢先、少女は何者かの声を聞いた。




「助太刀するぜ、レイナちゃん!」

「……へ?」




 次の瞬間、音を立てて何かがジャタの本体に向かって落ちてきた。


「へへ、本体討ち取ったり……ってあれ?」


 ジャタを倒し、そこに立っていたのはタカオだった。そしてそんな彼を少女が泣きそうな顔で見ているこの妙な状況。


「~~ッ」


 少なくとも窮地を救ってもらった感謝とかそういう雰囲気ではなく……。


「え……? 何? 何で泣きそうなの?」

「相変わらずというか……少し、ミズキが心配になってきた」


 そしてもう一人。彼の隣にいるガイは苦笑する。


「ん? まぁよくわかんねぇけど、準備はいいな? ガイ!」

「あぁ、ここからは反撃の時間だ」


 タカオとガイ。ここから先は彼らが主役だ。

 互いに拳を合わせた二人は、このクソッタレな悪夢での最後の戦いに身を投じていく。

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